震災後

まつりこと〈政〉の話をしよう 6 未来の党と小沢さんのこと

衆院選の投票が始まっている。期限前投票は済ませたので、私は今日投票所に行くことはない。けれど、どうしても書いておきたいことがある。それは小沢さんのことだ。

 

このひと月ほど、いろいろな人と選挙の話をした。その中で何人かこういう反応をする人がいた。   
「未来の党はいいけど、小沢がねえ…」   
「結局、小沢さんが仕切ってるんじゃないの」   
「〈小沢さんが〉どうにも好きになれない」   
「小沢を信じていいものかどうか」

 

決して極端な人たちではない。むしろわたしから見れば、仕事もきちんとこなし、子どもを愛していて、新聞やニュースにも敏感な、ある意味「良識的な」人たちに見える。そういう人たちに限って意外な「小沢拒否感」がある。   
いいたいことは色々ある。だがここで資料を並べ立てている時間も余力もないので、一番言いたいことだけ言わせてもらう。

 

選挙は人気投票ではない、

 

ということだ。人間の好悪の印象など、写真一枚で簡単に変わる。「好きだ、好きでない」発言の元になる印象はどこから来ているのか。それをじっくり考えてみてほしい。   
さらにいえば、投票したからといって、その人が〈あなたの望むことを、例えば脱原発を〉何でもやってくれるわけじゃない。仮にあなたの思う人や政党が当選したとして、その人やその政党が掲げた政策を実現するかどうか、しっかり見張るのもわたしやあなた、つまり主権者の役目だ、と思うからだ。

 

投票すること=その人に丸投げすること、と思うから「信じる」という言葉が出る。

 

政治家を信じる必要はない。その人があなたの思うことをできる能力がある〈ここでの能力とは覚悟も含む〉かどうか、冷静に見極めて投票してほしいのだ。

 

わたしが「未来の党」に託してみようと思う理由は幾つかある。以下、箇条書きにしてあげてみる。

 

一.311以来、ほぼ二年間、ツイッターやフェイスブックなどSNSの中での振る舞いを見てきて、信用できそうだと思う人たちが「未来の党」を応援していること。

 

二,IWJや「田中龍作ジャーナル」など、独立系メディアの取材で見る嘉田さんや小沢さんの印象が納得できること。   
田中龍作ジャーナル 嘉田・小沢初の合同演説 聴衆、マスコミ報道との違いに驚き   
IWJ 緊急公開対談 ~日本の未来を語る~ 嘉田由紀子 VS 小沢一郎

 

三,「未来の党」が二重構造であること。これは懸念を表明するひとと同じ理由だが、わたしの解釈は逆だ。「脱原発・反TPP・反消費税」と言うだけならいくらでも言える。確かに共産党は、ずっと「反原発」の党だった。けれども彼らは本気で権力をとる気がないようにわたしには見える。わたしは共産党や社民党にも「未来の党」に加わってほしかった。小沢や亀井を「未来の党」の「恥部」とみるか「筋肉」〈実際に人を動かす力と経験がある〉とみるか。嘉田さんは、そこを十分承知して小沢さんと手を組んだと、わたしは思う。

 

本当に起こっていることに心を開いてみよう。新聞やニュースの押しつける「物語」が腐臭を放っていることに、そろそろ気がついてもいいんじゃないか。小沢氏や、鈴木宗男氏など、裁判沙汰になっている議員が、いずれも反官僚・離米〈それぞれ親中・親露派〉であることをどう見るか。   
前福島県知事の件に異議を唱える人はいないだろうが、汚職・収賄などで裁判をおこし、社会的な制裁を加える手口は中枢権力の常套手段なのだ。   
参考文献:「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件

 

ここで、この連載の最初に戻る。そう新潟3区の話だ。田中角栄もまた反官僚・離米の政治家だった。彼は「ロッキード事件」の上告中に、刑事被告人のままなくなった。あの時は、角栄に異を唱えることがリベラルであると父は信じた。あの時代にもしツイッターがあり、IWJがあったら、彼はどんな判断をしたのだろうか。〈終〉

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まつりごと〈政〉のはなしをしよう 5 神奈川15区の沈黙を破れ

 

【お知らせです!】

 

★12月14日13~15時ころ★茅ヶ崎駅北口ペデデッキで何かが起こるかも。ママさんたちが「選挙に行こう」「未来を選ぼう」「あきらめないで」などの声を伝えるリレートーク。「市民の演説会」かな~。応援大歓迎。あたたかくして、おしゃれして〈笑〉おいでください。

 

***********************************   
わたしが選挙を嫌いな理由の一つはあの宣伝カーにある。大きな音量、無意味な言葉、子どもの昼寝時に決まって走りまわるあの車がわたしは大嫌いだった。ところが今、わたしの住んでいる神奈川15区で異変が起こっている。宣伝カーがさっぱり来ないのである。    
もちろん皆無、というわけではない。共産党の宣伝カーには2度ほど行会った。自民党の宣伝カーは近所のママ友が聞いたと言っていたから、きっとウチの近くを通ったのだろう。けれど、しかし、昼間パソコンに向かっていることが多いわたしの耳に聞こえてくるのは不気味な沈黙。冬のぬけるような青空の下、その静けさに不吉なものを感じるのはわたしだけだろうか?

 

神奈川15区は候補者が二人の選挙区だ。一人は自民党の若手河野太郎、もう一人は32歳のママさん候補、共産党のあさか由香である。杉並(東京8区)で自民党・石原伸晃に挑む山本太郎に、ならぶ無謀さ〈ほめてんのよ!〉だ。   
勝敗はもう決まったと多くの人は思っているに違いない。だから投票に行っても無意味さとつぶやく声もあるだろう。実際、以前の私なら投票には行かなかったろう。

 

実は今日、期限前投票に行って来た。意外なことに投票場は賑わっていた。杖をついたお年より、仕事中らしいビジネススーツの人に交じって、小さい子どもを連れた人の姿が目立つ。前だっこ姿の父親と買い物カゴを下げた母親、ベビーカーを押している母親。ふと、胸が熱くなった。この行動は無駄ではないとの思いがこみ上げる。

 

宣伝カーが往来しないのは、何かわたしの知らない事情があるのかもしれない。種々の制限や、資金の問題? べつにこの選挙区が、「どうせ勝てるさ」「どうせ負けるさ」との思惑で両党から見捨てられたわけではないのかもしれない。しかし、結局そんなことはどうだっていいのじゃあ~。

 

「しらすのはぎしり」でもできることはあるのだ。〈シラスはごまめより小さい〉

 

選挙音痴のわたしが今回学習したところによれば、衆院選は「小選挙区」:と「比例区」のふたつの選挙でできている。「小選挙区」では1名の当選枠をめぐって各党候補者がしのぎを削る。15区でいえば、河野太郎とあさか由香だ。けれど「比例区」は、この2名の所属政党にとらわれることなく、自由に政党を選ぶことができる。

 

「自民と共産じゃねえ」とよく人はいう。けれど選ばなければならないのは、「自民と共産」ではない。「河野太郎」と「あさか由香」を選ぶのは「小選挙区」だ。しかし「比例区」ではそれに縛られることはない。「未来の党」でも「社民党」でも何でも自由に書けるのだ。   
***********************************昨夜、ここまで書いたところで、大きなニュースが飛び込んできた。「後悔しないように」「何かできることはないか」と模索していた若いお母さんたちが、本日14日〈金〉午後1時から3時くらいに北口ペデトリアンデッキで、「リレートーク」を企画したという。   
やったあ、その時間、空いている、とわたしは参加することにしました。なにかせずにはいられない皆様、選挙で悩んでいる皆様、一人じゃないって思いたい皆様、ぜひペでデッキへおいでください。   
あたたかくして、できれば道行くひと目に留まるようなカラフルな格好で、神奈川15区の沈黙を破ったろうじゃないかい!

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まつりごと〈政〉の話をしよう 4 天のしずく

〈前回からの続き〉   
わたしは「システム」と最低限の関わりしか持たず、生きていく道を選んだ。だから選挙にも行かなかった。だが、2011年3月11日に起こった東日本大震災とそれに続く原発事故は日本を変え、わたしを変えた。

 

「天のしずく」という映画がある。料理研究家、辰巳芳子さんの‘いのちのスープ’をめぐるドキュメンタリーである。藤沢で公開された最後の一日、奇跡のような偶然でこの映画を見ることができた。生の始まりと生の終わりに、人が口にする‘いのちのスープ’。辰巳さんの優しさに満ちたこの映画には誰でも涙する。   
けれど、わたしが一層悲しかったのは、彼女のスープを支える自然の恵みにも、等しく放射能は降り注ぎ、放射性物質をため込んでいる、という情け容赦のない事実だった〈(注):映画内にそのような記述はありません〉。    
辰巳さんの住居は湘南にある。その庭で彼女がしそを摘むとき、3.11以降、その葉にはセシウムが含まれているだろう。神奈川県内の梅の実や、柑橘類にも比較的高い放射能が検出されている。辰巳さんの優しい笑顔が際立てば際立つほど、画面の向こうに見てしまう、おぞましい現実にわたしは泣いた。母なる大地、私たちをはぐくんでくれるはずの自然そのものが、汚されてしまった。その悲しみと怒りをどこに向けようか。

 

奇しくも衆議院が解散するその日、「イマジン湘南」の企画で阿部芳裕さんの話を聞いた。   
プロジェクト99%安部芳裕さんお話会とシェア会「お金のしくみと私たちの暮らし」: イマジン湘南のブログ    
「イマジン湘南」は、「昨年311以降ゆるやかに繋がった「脱原発」の意思を持つ個人のネットワーク」だが、阿部さんが代表を務める「99%の人びとのための社会を目指す市民グループ、Project99%」は、脱原発、反増税、反TPPとさらに踏み込んでいる。    
Project99%   
なぜなら、この3つの施策は、どれも切り離して考えることができないものであり、仮にある政党が「20○○年までには原発をなくします」と宣言しても、TPPに参加することにより、「外国投資家が、投資先の国の政府を訴えることができる」ようになる(ISD条項)ため、原子力発電所に関わっている外国企業の訴えにより、脱原発できなくなる可能性があるからだ。   
阿部さんの作った「脱原発、反増税、反TPP」に対する各党の態度を一覧にした「政党通信簿」を見てみよう。   
project99%が採点!政党通信簿   
ここで覚えておいた方がいい言葉に「党議拘束」がある。議員には個々の考えがあるけれど、多くの政党がほとんどの案件に党議拘束をかけている〈未来の党をのぞく〉。   
   
〈注〉わたしが見た時点では「未来の党」はまだ存在せず、「国民の生活が第一党」の名前があった〉

 

この表は阿部さんの独断で作った、とはっきり書いてあるので、これだけを判断材料にする必要はない。反原連の作ったこういうチラシもある。これはもう少し個々の政策に踏み込んだ記述がある。   
脱原発「あなたの選択」プロジェクト

 

ただ一つ確かなのは、今回の選挙の柱は「原発、増税、TPP」であり、わたしはこれらを推進する政党には決して荷担しない、ということだ。

 

「天のしずく」をこれ以上汚さないために。〈続く〉

 

動画はこちら   
【動画アップ】阿部芳裕さん講演会

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まつりごと〈政〉の話をしよう 3 男たちの知らない女

「昭和一桁の男を父に持ち、新潟三区に生まれた。言ってみればみれば、それが私の根っこにある『政治体験』だ」   
この連載はこう始まり、1,2回目にはそのことについて書いた。だがもうひとつ、大きな影響を与えた要因がある。それはわたしの性別、女に生まれたということである。

 

人は女性に生まれるのではない、女性になるのだとフランスのフェミニストが言った。まあ、そうだろう。わたしは生物学的に女に生まれたが、社会的な意味においてはたいていの場合、「女性」であることをうまくすり抜けてきた。幸い、生物学的な側面については、それなりに堪能させていただいた。だが、「男性と女性」という役割が社会的なフィクションにすぎないのに、それを無意識に押しつけてくるシステム〈お上と世間〉への不信感はずっと続いている。

 

無意識を意識化するのには、すぐれた文学作品が役に立つ。ここでSF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編「男たちの知らない女」の助けを借りよう。話のテーマはとても単純、すなわち「空飛ぶ円盤にさらわれる地球の女」。〈以下の内容はネタバレを含んでいます〉

 

舞台はユカタン半島、 主人公の男性はチャーターしたセスナで休暇に向かう途中、印象の薄い母娘連れと乗り合わせる。悪天候で機は墜落、パイロットを含めた4人は救助を待つ。だが救助は現れず、密猟者らしき一団に脅かされる。けれどその正体は不時着した異星人だった。人型とはほど遠いその形状、けれど女たちは自分たちを連れていってくれるよう宇宙人を説得し、そのまま一緒に飛び立っていく。

 

本編収録の文庫「愛はさだめ、さだめは死」の前書きの言葉を借りる。   
「それ(「空飛ぶ円盤にさらわれる地球の女」という題材〉をマンネリから救い、完全に変貌させているのは〈中略〉冷静でがまんづよい女たちが、異種の支配者の一組から逃れ、別の一組の、よりたえやすいかもしれない支配者たちに平然とくらがえする光景である」〈太文字は筆者〉

 

「異種の支配者の一組」が何を指すかは明らかだろう。個人的には「え、俺が支配者だって!」と感じるに違いない、心優しい男性がいることは否定しない。けれど、わたしが幼い頃から感じてきた「これはわたしのシステムではない」という直感と、この作品は見事にシンクロしている。『男の作った世界というマシンの隙間で、一人二人とバラバラに生きている、オポッサム』。それが「男たちの知らない女」、すなわち、わたしだった。

 

その感覚を「疎外感」と言うこともできる。孤独を感じたこともあったと思う。だけど心に導かれ、ひたすら道を外れるにつれ分かってきたことがある。「システム」というのは大地に作ったコンクリートの道でしかなく、その外には広大な自然がひろがっていて、行こうとするものには世界は限りないってことが。

 

徐々にだが、わたしは「システム」に頼らなくなった。「システム」に認めてもらおうと思わなくなった。その内「システム」が阻害しているのが女性だけではないことにも気づいた。同じように狭間で生きている男の人と出会い、家庭も持った。子どもが生まれた。遊び仲間がいなければ、見つけ出した。遊び場がなければ、自分たちで作った。幼稚園も心にかなうところを見つけた。子どもが小学校に入り習いごとをするときも、尊敬できる先生にお願いして自分たちで始めた。

 

わたしは「システム」と最低限の関わりしか持たず、生きていく道を選んだ。だから選挙にも行かなかった。問題や挑戦は常にあったが、わたしは総じて幸せだった。2011月3月11日、東日本大震災と福島原発事故が起きるまでは。

 

〈続く〉

 

参考文献:「愛はさだめ、さだめは死」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著〈ハヤカワ文庫〉   
〈注〉「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」の本名は「アリス・B・シェルドン」。彼女は長らく自分の正体を隠し、男性名で執筆していた。

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まつりごと(政)の話をしよう 2 夢の新幹線

1982年、上越新幹線が開業した。   
80年から上京し、学生生活を送っていた私は、この間の変化を直接体験している。新潟―東京間の移動手段と言えば、特急の「とき」と急行の「佐渡」。「とき」は4時間弱、「佐渡」はといえば6時間弱かかって、上野駅に到着した。貧乏学生の私が乗るのは大抵「佐渡」。中央線で東京駅に出て、そこから上野へ。カネがなくても時間はある。本を片手の旅が私は好きだった。

 

開業当時上越新幹線は大宮からであった〈東京駅に繋がったのは91年〉。実家の最寄り駅は「燕三条駅」。燕市と三条市の間の確執があり、駅の場所は当時の市外から離れた場所、両市の境とされた。そして、この事が三条市に、ひいては一介の小売り酒屋である実家に少なからぬ影響を与えていく。

 

東海道新幹線に次いで上越新幹線が実現したのは田中角栄の政治力の所産であることは間違いない。もっとも田中が主となって推進した新幹線の計画自体は列島各地にあった。大都市への過度の集中を分散し、地方の発展を図るというのが田中の狙いだった。

 

田中角栄の功罪について書くことは、私の力量を越えている。田中が日本全土への鉄道網敷設計画を練り始めたのが七〇年代。寒村出身の政治家の悲願が「地方の経済発展」だったというのは、うなづける。けれど、あれから40年がたち、バブルも、とうに弾けた「現在」という地点から見た場合、一番の問題は田中が夢見た「地方の発展」が結局「大都市の模倣」「地方をミニ東京にすること」だったことにあったと思う。

 

校外にできた新駅は人とカネの流れを変えた。信越本線と弥彦線の駅を結ぶようにひろがっていた主要商店街はやがて「シャッター通り」となっていく。その商店街とローカル線の駅を結んでいた道に、実家は位置していた。商店街の衰退は、人通りの衰退に繋がる。ちいさな商店にとっても自体は深刻だった。街の中心はいつのまにか校外に移り、市が中心街の再開発を狙って誘致したジャスコ系列の大型ビルは、思うように売り上げを伸ばすことなく、先頃20数年の歴史を閉じた。   
88年に大型ビルが開店したとき、三条初の「ミスタードーナツ」も開店し、人々は長蛇の列を作った。それは中央資本へのあこがれの象徴だった。けれど上越新幹線はもたらすばかりでなく、奪い去ってもいく。83年から連載が開始された青年コミック「美味しんぼ」により、日本酒ブームが到来したときのエピソードを今でも覚えている。

 

新潟の銘酒と言えば「越乃寒梅」が有名だが、当時あまりの日本酒ブームのため、地元ではほとんど手に入れることができなかった。もともと中学生の私に「効き酒」をさせるくらい味にうるさかった父が第二の「越乃寒梅」として目をつけたのが「八海山」だった。しかし直接連絡を取ったにもかかわらず、「八海山」の返事はにべもないものだった。ちょうど有名になりかけていたからなのかどうか、地元の酒屋に卸す商品はなかったようである。父はそれでもめげることなく、こんどは村上の宮尾酒造に交渉に行く。辛口で男っぽい酒の「八海山」にたいして、やさしい味の「〆張鶴」。新潟の男酒、女酒というべき、二つの酒に目をつけた父には、彼なりの先見の明があったのだと思う〈私は両方飲まされた〉。幸い宮尾酒造は商品を卸してくれることになり、父が亡くなったあとも、ほんの数年前までその付合いは続いていた。   
「八海山」に取引を断られた頃のことだと思うが、父がつぶやくようにこう言っていた。   
「いいものは何でも都会に行ってしまう。米も酒も…」

 

田中角栄の「夢の新幹線」。都会との間に通った大動脈には、中央による地方の侵略、という影の側面がつきまとった。柏崎原発が東京に電気を送るために存在するという事実も、同じ構造を持っている。〈続く〉

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まつりごと〈政〉の話をしよう 1 新潟3区

昭和一桁の男を父に持ち、新潟三区に生まれた。言ってみればみれば、それが私の根っこにある「政治体験」だ。

 

以前もどこかで書いたが、毎年8月15日になると父が繰り返していた言葉がある。ラジオやテレビから「終戦記念日です」という台詞が流れるたびに、父は決まって「敗戦記念日だ」と呟き返すのだ。聞き手がいようと、いなかろうと少なくとも一日10回以上。「まじ、ウザイ」といまの子どもなら言うであろう。   
父にとって初めて生まれた子どもである私は、性別に関係なく「長子」として育てられた。それはこの家と自分の考えを受け継ぐ子どもということであった。そのせいか、年端もいかぬ頃から新聞に載っていることが、父と子の話題だった。

 

有吉佐和子の「複合汚染」が朝日新聞に連載されていたときは、毎日記事を切りとるように頼まれた。その前から食品添加物の本は家庭にあったけど、事実を詳細に並べていく書き方は迫力があり、ティーンエイジャー、すなわち私の根本にかなり影響を与えたことは間違いない。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」もこの頃に読んだ。

 

うちは酒屋だった。新潟の酒屋とくれば「造り酒屋」を連想するだろうが、うちは小売り、しかも食品店あがりの酒屋だったので、食品類は何でも扱っていた。いまのコンビニの元だ。当時は日本酒はもちろん、醤油、みりん、味噌、すべて「量り売り」。駄菓子屋さんを思わせる広口のビン が壁の棚にずらりと並び、店頭にはアイスの冷凍庫があった。 その頃、アイスの値段は10円、黄色いカップのバニラや「ももたろう」というピンクのアイスキャンディを、お客のいない時を見はからっておやつに食べた。

 

父がインテリだったわけではない。戦時中の一時を代用教員として過ごしたらしい父は〈この件については存命中に裏がとれなかった〉、上の学校に進み教職に就くのが夢だったという。父の父の早すぎた死は、その選択を許さなかった。まったく商売に向いていない不器用な性格の父は酒屋を営み、20年近く前にその一生を終えた。

 

当時の酒屋はまた「飲み屋」でもあった。お店には一杯飲みに来る常連さんがいて、おしゃまな私はたいそう可愛がられた記憶がある。一升瓶が持てるほど成長すると、常連さんに注ぐのは私の役目になった。常連客には色々な人がいた。当時〈40年以上前〉としては画期的な「玄米パン」を扱うパン屋さん。旧制高校当時の父の親友たち、くせ者の英語教師や、市議会議員、商店街の顔役など…。そこに飛び交うのは大人の話であり、私は手伝いをしながらそういう話を漏れ聞いて育った。

 

1983年 、田中角栄の金権政治を批判して、野坂昭如が新潟3区から立候補した。この時のことはよく覚えている。私はすでに家を離れていたが、頃は師走、冬休みだったので実家に戻っていた。生まれ育った市は、近隣の市に比べても「金がものを言う商人の街」で、父はいつもそれを嘆いていた。周りは当然田中一色。そんな中、野坂昭如が我が市にも選挙演説にやってきた。父はそれに出かけていったらしい。今は無き「スーパーまるよし」の前だったそうだ。商売が忙しい師走のさなかに、寒風の中を好きこのんで、周囲と反する行動をとりに出かける父を、人は〈母を含む〉「変人」と呼ぶ。   
結局、野坂の出馬は田中陣営の危機感をあおり、田中は22万票という前代未聞の得票数にて当選。ただし江田五月のブログによれば、当選は見込めないまでも「反角の象徴」としての役割は果たしたとか。http://bit.ly/QvMJ0Q

 

父の垣間見た、リベラルの夢は一瞬で消し飛んだのである。

 

ただし、夢は見るものだ。父から受けついたものは多数ある。

 

「敗戦記念日だ」という一言は、マスコミが必ずしも本当のことを言うわけではないことを私の骨身に叩き込んでくれた。また大人の社会には抗しようもない流れがあるが、勝ち目があろうとあるまいと、自分の信じることをやることが正しいと行動で示してくれた。

 

12月16日は総選挙である。選挙権を得てから30余年、かぞえるほどしか権利を行使していない私がこの時期に何ができるか。連載しながら、考えていきたい。

 

〈続く〉   

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一緒に走ったね~湘南パレード顛末記

9月が終わります。昨日のワークショップでようやくひと区切り、と思ったら明日はちがぼ~だった。なかなか終わらない連続イベントの合間を縫って、ボチボチ報告していきたいと思います。以下は、9月17日に行われた湘南パレードの私的覚え書きです。感想として送ったものを一部変更して乗せています。

 

公式のブログにはスタッフさんの感想が沢山載っていますので、こちらも見てね。

 

イマジン湘南のブログ

 

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パレードの打ち合わせが始まった頃、あるお母さんと主催者さんの間でこんなやりとりがありました。

 

H母さん「私なんて、ただの母ちゃんで…」

 

主催者さん「ただの母ちゃんだからいいんじゃない!」

 

そう、それなんです。3.11の時、「ただの母ちゃん」だったこと。それは何よりのギフトだとわたしは思います。

 

残念ながら(ここはあえてこの言葉を使います)、私は準備ができていました。破壊的な力とか、洗脳とか、権力者のやり口とかに馴染んでいたのです(いつから?多分生まれたときから。お役目なのでしょう)。だから即行動ができました。一番先にしなければならないことを判断し(子どもの内部被曝を最小限にする。中でも給食)、行動し(市に陳状を出し)、成し遂げました(市は食品測定器購入。色々問題はあるが、給食丸ごと定期的に測っている)。   
もちろんひとりの力ではありません。仲間がいたからできたことです。

 

ところが私には3.11以前から「わたしにしか出来ないこと」が見えていました。そして遠い道を一歩一歩進み、あの地震の起こった午後にも企てを進めようとしていました。そんなときに起こったあの事故。当面は流れ出る血を止めようと必死に活動しましたが、ふと気がつくと、やるはずだったことは無残にも放り投げられ、荒れ果てた畑のようになっていたのです。

 

私のやりたいことの柱は2本あり、一つは「遊びからボディワーク」までの身体のこと、もうひとつは「ストーリーテリングから執筆まで」の言葉のことです。

 

それは3.11以降ますます確かなものになり、「ボディワーク」に関しては、あぱあぱの恵子さんとの出会いを得てむしろ活発になったりして、どんな悪いこともいいことに変えてしまう「こっしぃマジック」は健在だったんだんですけどね。

 

まあそんなんで、私の人生における重要度はすごくはっきりしています。

 

1,自分にしかできない活動

 

2,家族とともにすごす時間

 

3,その他

 

そして、イマジンの活動は私にとっては、3番なんだなあ。

 

皆様の愛あふれる投稿を見ながら、申し訳なさと共にそう思っています。

 

1番のために2番は押しやられることが多いから、3番のためには2番は削れない。

 

17日の参加も、15日の「アースウォーク」が優先だったから、最後まで行くって言えなかった。そしてもし、あの日旦那が休みだったら、私は家族と過ごす選択をとっていた。

 

ところが、ところがだよ! 旦那はなんと3日続けての休日出勤。そこで「ちがぼ~」の代表として17日に行われた「神奈川プレイパーク小集まり」にでるつもりだったのに、一日遠出するには生憎の天気…。   
分かりました。パレードに行けってことですね。大いなる何か(グレートスピリット)様。

 

そう決まったのがパレード前日。けれど私には「こぶたぬきつねこ」の替え歌という天から預かった荷物がある。始め参加しない予定だったから、言い出しっぺがいないんじゃなあ、とそれ以上話は進めていない。素晴らしいコールができたのも知っている。でもどうやら合間に「もりのくません」歌うんだって。だったら、その時に歌えるかどうか提案してみよう!

 

で、してみました。結局ファミリーではコール一本で行くことになったのですが、遊行寺から奥田公園まで歩く途中で、市民チームリーダーのたまちゃんとの出会いがあり、急遽スピーチ&コールのかわりに歌わせてもらうことに決定。これも何かの計らい、とありがたく受け入れました。自我にまかせない方が、うまくいくことが多いのだ。

 

ファミでは第3みこしのフォローに入り、頃合いを見て市民チームに移動、最後は光栄な「住宅地なのでコールはおやめ下さい」の大役をいただき、まずは顔メイクで気合いをアップ。最近シャイな息子を巻き込みつつ、風船配りだの、うちわ売りだの、目についたところをお手伝い。私にとって「現場は祭!」。冒険あそび場だろうが、ワークショップだろうが、パレードだろうが、その場で最高のパフォーマンスをするのが身上。

 

延々と準備を重ね、いま花開くファミリーチームスタッフの面々を言祝ぎ(ことほぎ)ながら、あくまで自分のペースで動かせていただきました。

 

「こぶたぬきつねこ」も、好評のうちに迎えられましたが、スピーチで咄嗟にさけんだ言葉を書き留めておきたいと思います。大体ですが…。

 

「卒業するのは原発だけじゃない。TPPも卒業(ローマ字3文字、咄嗟にど忘れした私を助けて下さった方ありがとう)。

 

それから、言いたいことを言えないのも卒業!

 

夢を追わないのも卒業!

 

愛している人に愛しているって言えないのも卒業!

 

内も外もあわせて、みんな卒業だよ!」

 

遊行寺に先に着いた息子は、お目当ての自転車発電にまっしぐら。みこしをかつぎ通した後、かき氷に並ぶより、そっちを選んだ君の体力に脱帽だぜ!

 

最後にタイトルの意味について

 

私は私の道をたんたんと走ってきました。自分で選んだので、まったく後悔はありません。上り下りありの山間部の寂しい道だと思っていたら、山一つ越えた向こうにいつのまにか大通りができていて、渋かったり、若かったり、でもとにかくかっこいい人たちが大勢、同じ方向を向いて走っていました。正直、ビックリです! 私の道っていつのまにかマイナーじゃなくなっているの?

 

今では自分お仕事の合間に、山一つ越えてときどき遊びに行くのが楽しみです。これからも一緒に走りましょう!

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今日、一日を

目を開けたら、白いエネルギーが充ち満ちていました。

 

それはまるでぷちぷちと泡立つ、シトロンのようなのです。

 

今日、一日を大切に過ごしましょう。

 

ウソはつかず〈つくときは心を込めて〉、

 

誠の言葉を話し、

 

どうでもいいことはせず、

 

会うべき人と会い、

 

一日を過ごしましょう。

 

そうして5時になったら、

 

嘘つきの集団を取り囲む、

 

心ある人々の群れに心を沿わせて、

 

自分の決めたことを淡々とやりましょう。

 

すなわち、

 

集う人は集い、

 

パソコンをつける人はつけ、

 

あるいはろうそくを灯し、

 

お風呂で脱原発の歌を歌い、

 

命を慈しむ絵本を子どもに読み、

 

包丁のリズムに叫びを重ね、

 

私たちの望む物を、まだ目覚めていない人に向かって、表し続けましょう。

 

それが、よき意志を育てるのです。

 

そして、願わくば、明日からもずっと、そのように生きられますように。

 

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こぶたたぬききつね風 「さよなら原発」の歌

パフォーマーである、ということはどういうことか? 時、場所、身体〈声含む〉を駆使して、4次元の物語〈つまりは現実〉を書き直すことをめざす、ということ。

 

直感的にウォークが苦手だった。で、この間半不可避的に〈最終的に参加を選びました〉ウォークに参加する機会があった。いいウォークだったとか、成功したとか、そういう評価とは関係なく、なぜ自分が苦手意識を持っていたかを理解した。以下、箇条書きにする

 

・コールが趣味でなかった。強い言葉が多く、その割に理が通っていず、言いながら違和感があった。

 

・列に一体感がなかった。統一したリズムをつかめないまま終わった。

 

:警官の妨害波動がすごかった。「親切殺し」とでも言うのだろうか? ていねいな言葉で何回も「お気をつけ下さい」と言われたが、拡声器をつかっているのでその声が大きすぎ、こちらのコールが聞こえにくかった。

 

これは「評価」ではなくパフォーマーとしての「感想」で、それでも参加した方がいいのはもちろんだけれど、やっぱりやるのならもう少し連帯感と達成感のあるウォークにならないかなあ。そうすると鍵はやっぱり、リズムと歌と踊りだろうなあ。ということをずぅ~っと考えていたら、ある日神来〈インスピレーションが来た。

 

題して「こぶたたぬききつね風さよなら原発」の歌です。子どもと一緒に歌いながら歩いたら、リズムもとれるし楽しいかなあ。でも言いたいことはちゃんと言ってるつもり。英語版はただ訳したのではなく、英語で作詞してみました。これに関してはもっと詳しい方のご教示をお待ちしています。

 

長年活動やウォークにかかわってきた人とは違う見方だろうけど、パフォーマーとしてはウォークは「まつり」であって欲しい。数だけじゃなく、一体感。見ている人にも届くような。重い課題であることは重々承知で。

 

 

げんぱつ いらない

 

おひさま あるよ

 

げんぱつ いらない

 

かぜも あるさ

 

 

 

だれかを なかせる

 

でんきは いらない

 

みんなが わらえる

 

みらいが ほしい

 

 

げんぱつ いらない

 

にほんの うえに

 

げんぱつ いらない

 

ちきゅうの うえに

 

 

 

だれかが とくする

 

でんきは いらない

 

こどもに わたせる

 

みらいが ほしい

 

〈適時合間に〉

 

こぶた たぬき きつね ねこ

 

だれが かけても せかいは まわらない

 

ぶぶぶ ぽんぽこぽん こんこん にゃ~お

 

みんなで わになり せかいを かえよう

 

 

 

[English Version]

 

Good-bye dear, the Atomic plants

 

Good-bye dear, the Atomic Bombs

 

Say Hello to the Sun

 

Say Hello to the Wind

 

 

 

No more tears, No more nukes

 

No more fears, No more blah(ごまかし)

 

Share the world with the whole

 

Future is in our hands

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巨大「原発かるた」、貸し出します

およそ一月前。
3月3日の「サポセンまつり」で行った巨大「原発かるた」大会に、興味を持たれた新聞記者さんがいました。当日の取材はもちろん、その後も「原発かるた」の作者、古知屋恵子さんや私個人にインタビューを重ね、3回連続の記事にしてくださいました〈3月13日〈火〉~15日〈木〉・神奈川新聞・湘南版〉。スキャンをしたり、縮小したりといったひとつひとつのことに時間がかかり、随分遅くなってしまいましたが、やっとブログに掲載することができました。

Karuta_01_2

Karuta_02_2

Karuta_03

ぜひ、感想をお寄せください。

また巨大「原発かるた」は作者古知屋恵子さんのご厚意により、貸し出しが可能です。貸し出しは無料ですが、郵送が必要な場合は、往復とも負担していただく形になります。

詳しくはwolfruns@gmail.comまでご連絡ください。

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