風子のひとりごと

大脱走

*この記事は以前載せた「カエルのココロ」の最終章です。

カエルの季節が終わった。

10月18日は幼稚園の稲刈りだった。ケロちゃんとコロちゃんに「生まれ育った田んぼに返す」と約束したその日である。気温がだんだん低くなってくると、カエルたちも活動が鈍くなる。一時期、とりつかれたように家出を繰り返していたコロちゃんも、寒さのせいかここのところおとなしい。それで油断したのがまずかった。稲刈りの前の晩、いつも上にかけていた紙のおおいを忘れた。そして、さあ水槽を持って出かけようかと思ったとき、またまたコロちゃんがいないのに気づいた。

まったく!!!

コロちゃん、そんなにこのうちにいたかったのかな。

結局この日は取りやめた。ケロちゃんだけ帰した後に、コロちゃんが帰ってきたら寂しいだろうと思ったのだ。どうせ2,3日すれば見つかるさという思いもあった。仕方がないから、お別れを言う次の日取りは脱穀の日、11月8日と決め、そのまま田んぼに向かった。

幼稚園の稲刈りは手刈りだった。二手に分かれて周囲から稲を刈っていく。学童さんと共同で借りているので、小学生の子どもたちも一緒に刈る。

農薬を使っていない田んぼなので、生き物がたくさん住んでいる。稲が刈られるということは、生き物にとっては住処が無くなることを意味する。稲刈りに飽きた我がチビは、カエル狩りに夢中である。文字通り掃いて捨てるほどいるので、もうつかみ取り状態。もって来た水槽の中は一山いくらのカエルでいっぱい。

「ねえ、森。持って帰れないの、わかってるよね」

うなずく森。

「でもさ、今一匹しかいないよ(ウチには)」

そう来たか。

森の目は丸く、ほっぺたはふくらんでいる。やっぱりコロちゃんに逃げられたのはショックだったんだ。

しかたがないなあ。まあ、ケロちゃんを帰すとき、一緒に連れてくればいいか。

「じゃ、二匹だけね。後は返して」

というわけで我が家の「カエル口(人口ではなく)」は再び3匹になった。

けれどやっぱり秋はカエルを捕まえてくるのに、いい季節ではない。虫はごついバッタか、巨大なジョロウグモしかつかまらない。我が家の庭で網を振り回しても、半分眠ったようなカメ虫(?)しかはいってこない。コロちゃんはミルワーム(小動物向けに市販されているエサ専用の幼虫)をおはしでつまんであげても食べるが、新参者はただ跳ね回るばかり…。結局、心を通わせる暇もないまま、田んぼに返す日がやってきた。。ウチの車が新しくなったので、取りに行ってからその試乗をかねて家族ででかけ、ついでに田んぼに寄ろうという話になっていた。コロちゃんは帰ってきていないけど、もう仕方がない。

そのとき、私は二階にいた。だから相棒と森が何か騒いでいたのは聞いたけど、真相を知ったのはもう道を歩き始めてからだった。

なんと、相棒のクツの中にカエルがはいっていたというのである。

しかも、コロちゃんではなく、まだ緑色も初々しいアマガエル。

そういえば昨晩、不吉な前触れはあった。網の上に一匹カエルがいたので、つかまえて戻し、網を確実に縛った。いや、縛ったつもりだった。

いやな気分だぜ、と相棒は言った。カエル、踏みつぶしてみろよ。

幸い、完全に踏みつぶしたのではなかったらしい。森と二人でフキの葉の上に置き、様子を見ている所だ、と相棒は言った。だから、今運んでいる水槽の中にカエルは計2匹しかいないことになる。せめて彼らだけでも無事に帰したい。

先日刈った稲が干してある田んぼで、水槽のふたを開けた。

オレが逃がす、と森が言った。新しくつかまえた方はぴょんぴょん跳ねるが、ケロちゃんはなかなか飛ばない。三食昼寝つきの生活が身体が重いのかな。でもケロちゃんの狩りの腕前は一流だから、きっと大丈夫。

家族でひっつき虫(草です)を投げ合いながら、車に戻った。新しく手にいれたと言っても、中古車だ。それでも子どもも大人も、物珍しさではしゃいでいる。慣らしをかねてそのまま走り、混んできたところで家に戻った。

早速子どもたちと庭を見に行った。フキの葉の上にも、周囲にもカエルの死骸らしきものはなかった。よかったね、と胸をなで下ろした。子どもたちと、願わくばこの庭のどこかでコロちゃんと出会い、アマガエルの国を築いてくれますように、とまるでカエルの性別も、好みも無視した祈りを捧げた。コロちゃんたちには少し迷惑だったかもしれない。

来年の夏、アマガエルの声が聞こえてくるといいな。

(終わり)

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支えられている

支えられている、という感覚がある。

それはとてもありがたいことだ。

こんなことがあった。

ある雨の日、遊び場の用で市民の森の管理棟に行った。遠方からお客が来ていた日だった。手違いで鍵がなかった。管理棟での作業が予定されていたのでとても困った。

すると、助けが現れた。思いもかけないところから助けが現れて、鍵を貸してくれた。ほんの少ししか口をきいたことのない人だった。とてもうれしかった。

別の日。

イベントをいくつか抱えている。遊び場でひとつ、おはなしのたまごでひとつ、幼稚園でひとつだ。一人でやっているわけではないのだが、まわりの人の状況が悪く、抱え込むことが多くなる。そんなとき

助けが現れた。ほんの少しのことだけど、肩代わりしてくれる人がいた。とてもうれしかった。

自分のできることを精一杯やっている。限界かな、と思うたびにひとつ支えられる。

それはとてもありがたいことだ。

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コロちゃんただいま家出中

我が家には二匹のアマガエルがいる。幼稚園で借りている田んぼで、田植えの時に拾い、稲刈りの時に返すという約束で我が家に来ていただいている二匹様である。詳しい話を知りたい方は「カエルのココロ」シリーズを読んで欲しい。

さて大きさの違いから、安易に「デブ」と「チビ」と名づけられていた彼らだが、夏も過ぎ、努力の甲斐あって、チビもデブと変わりないくらい大きくなった。そこで名前をつけることになった。大きいほうが「ケロちゃん」、やや小さい方が「コロちゃん」。

大きさが同じくらいになって、顕著になったのは、二匹の性格の違いである。ケロちゃんは滅多に動かない。いつもお気に入りの枝の真下で、壁面にくっついている。彼(?)はたぶん経験を積んだ強者なのだろう。確かにそこが一番天敵に狙われにくい。それに凄腕のハンターでもある。動かないくせに、虫を入れたときだけはいきなり生き返る。目玉がぎょろっと虫を追い、後はすばらしいジャンプでかなりの大物でも食べてしまう。

コロちゃんには脱走癖がある。とにかく昔から逃げたがりで、水を替えたり、えさをやったりするときでも油断がならない。ある朝起きてみるとコロちゃんがいない。最初はコケにでも潜っているのだろうと高をくくっていたが、いっこうに姿が見えないことから「家出」と判定された。今までできなかったのになぜ? と思い、調べてみた。カエルの水槽は普通のプラスティックのものだが、ふたを閉めていない。ひとつには直射日光と換気のためで、ふたつにはフタが壊れているからだ。代わりにゴミの水切りネットをかぶせ、スズランテープで縛ってある。そのスズランテープがいつの間にか真田ヒモに替わっている。どうやら相棒が気を利かせて替えてくれたらしいのだが、あいにく真田ヒモには伸縮性があった。それがまだ夏休み中の話。

結局そのときはお風呂場で発見された。水槽と壁の間にちょこんと座っていたのを、風呂掃除のときに私が見つけた。まあお風呂場の虫を捕ってくれるのならありがたい。いっそお風呂場で飼ってもいいのだが、うっかり浴槽に落ちてゆでがエルになっても困る。ということでお帰りを願った。もちろんヒモはスズランテープに戻した。

コロちゃんの脱走癖が再燃したのはここひと月のことだ。二回目は(半年ほど)ざるで乾かしておいた玉砂利の上で見つかった。そこで水槽の欠けたところをふさいだ。それからエサをじゅうぶんにあげて待遇改善にも努めた。ところが、彼の家出は止まらない。私もだんだん慣れてきて、いないとわかると目を凝らし、耳を澄ます。たとえカエルがお皿に載ってようと別にかまわないのだが、うちには義母もいる…。コロちゃんは何が楽しいのかな、と思う。一生懸命逃げて、つれ戻されて、また逃げる。3回目、4回目は水槽の近くで発見された。しかも私と目が会う。どうも、「見つけてごっこ」をしている」ような気がしてしょうがない。

それでもお約束した稲刈りの日まであと二週間。大事なお体にケガでもされたら大変と、ついに真剣に対策を考えた。水切りネットの上から広告紙をかぶせ、もう一回りスズランテープでまいた。しばらくは、うまくいった。しかし、つい先日のこと、朝になって紙のフタを外すと、

なんと!

なんと!(「かしこいビル」のまねです)

コロちゃんは水切りネットの上にいた。ネットからは抜け出したものの、紙に阻まれてでられなかったようだ。次の瞬間、コロちゃんはぴょ~んと飛んだ。そして私に捕まれた。水槽に戻し、朝ご飯を食べ、海を朝練に見送り、戻ってみると、相棒が水槽をのぞき込んでいる。

「二匹いるかぁ」

いない!

私は落ち着いてあたりを見わたした。今さっきまでは居た。ということは遠くへは行っていない。私には見つける自信があった。生き物は無機物と違う。意識を向けると、返してくる。どうしてもその反応でばれてしまう。だから逆に見つかりたくなかっtら、気配を素通りさせればいい。コロちゃんがその領域まで達したら、私にももう見つけることができない。

コロちゃんはテレビの横につかまって、こちらを見ていた。

よっぽど出たかったんだねえ!

すぐ戻すのは、切なかった。

「森、ちょっとコロちゃん見てて。大丈夫、ただ見てればいいから。カエルの散歩だと思って」

「えぇ~」

「だって」とわたしは言った。「今連れ戻してもどうせまた出ちゃう。無駄なことはしたくないの」

森にはさぞかしプレッシャーだったようだ。逃げたらどうしよ、とドキドキしているのがわかる。

「かあか」としばらくして森が呼んだ。「コロちゃんが奥にいっちゃう。そうしたらつかまえられない」

泣きそうな声であった。私はコロちゃんを水槽に戻した。それから虫をとってきていっぱいあげた。

逃がそうかな、と思うこともある。後は水槽を新しく買ってくるとか。

でも、たぶんどちらもしないだろう。結局わたしはこの状態を楽しんでいる。人生には隙があった方がいい。それに家の中をカエルが跳んでいるのもなかなか悪くない風景だ。

ということで、うちのカエルは半分放し飼い。コロちゃん、ただいま家出中かも。

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夏におぼれて 番外編

暑さ、寒さも彼岸まで。ということで、書き残していた夏のエピソードを書いて「やまんばさんのおうち」もようやく秋になるか???

海の夏は部活の夏だった。ほぼ毎日朝練。7時に現地集合だから、6時45分出発。6時15分朝食。45分前に起こさないと起きられない海ちゃんのために、私は5時起床。

この夏のはやりは冷茶だった。といっても緑茶パックなど買わない。頂き物の緑茶を紙パックに詰めて、ガラス製のポットに浮かべておく。小一時間もすれば、きれいな緑色の冷茶ができてくる。海は冷茶が好きなので、朝練の時には水筒に詰めて持たせる。

その海の一言。

「練習の後に飲む冷茶は、グレープフルーツジュースの味がする」

だそうで。

残念ながら私はまだその味を味わったことはない。きっと海にしかわからない味なのだろう。

森の夏はリターンの夏だった。リターンとは、すなわち「逆襲」。

先回書いた下田の夏祭りに行くと決まったとき、森はこう宣言した。

「去年はおじさんに入れてもらったけど、今年は自分でつかまえる」

ニジマスのつかみ取りで一匹も取れず、係のおじさんに入れてもらったのが、よほど悔しかったらしい。これで一匹もつかまらなかったらどうなるのだろう。心配になった私は、カメラ片手に森の回りをうろちょろ。子どもたちの足でかき回され濁った水は、ニジマスの姿をすっかり隠している。その中に手をつっこんでがんばる森。そしてついにニジマスが! やや小振りだったけど、そんなことは何でもない。でも結局おじさんにもう一匹もらったね。

カヌーもひとりで乗った。去年はおじさんと二人乗りで、おまけにオールがほとんど水につかず、おじさんに手で漕いで進めてもらった。今年は一人乗りのカヌーしかなかった。どうすると聞いたら、乗る、という。今年のお兄さんは熱心に説明してくれた。

「腕を腕に上げて、ヒジが直角になるまで曲げるんだよ」

きっと「直角」って何なのかわからないんだろうなあ、と母は思う。それでも見よう見まねで、元気もりもり風に腕を上げる森。

カヌーの上でも、お兄さんは森に気を配ってくれた。

「あ、今度は右を漕いで…」

「右」という言葉が、森の神経繊維を伝わって脳に届くまでの時間を母は密かに計った。小学生でないということは(そして自由な幼稚園にいるということは)、言葉で指示される経験が少ない、ということだと気づく。だって奴はまだ未就学児なのだ。そうはみえないにしても。

それでもカヌーから下りた森は、とても満足していた。きっと自転車に初めて乗れたくらいすごい体験だったのだろう。

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昨日たまたま園の先生と話をした。私が長年感覚的に思っていたことと、同じことを先生がおっしゃっていたからだ。

「夏に子どもは成長する」

それは、すごい体験をした、とか遠くへ出かけたとかとは関わりないのだと先生は言われた。

「理論的にお答えできなくて申し訳ないんですけど…」

「夏の魔法ですかね」と私は答えた。

(終わり)

次回アップ時から秋にします。

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夏におぼれて 2

夏休みの記録第二弾。

お盆過ぎに帰省。日本海はお盆がすぎるとクラゲの海になる。が、今回は思い切って、妹の車で母も連れ、1時間弱の寺泊へ。茶色い板張りで黒い瓦の日本家屋がたくさん残っている、落ち着いた町並みがきれい。

寺泊には有名な「魚のアメ横」がある。土日は人でいっぱいだけど、今日は平日。そこでイカ焼きとホタテをかって海岸へ。森はイカ焼きに夢中。

幸いクラゲにはさされず、遠浅の海でバチャバチャ。太平洋より少し塩がきついかな。波ないし、サーファーいないし、快適~。

続いて水族館へ。

正式には「寺泊水族博物館」。施設は古いけど、魚は生き生き。改装前の江ノ島水族館みたい。夏休みの特別展示で、は虫類と両生類がてんこ盛りで、個人的にはそれがお気に入り。

金色の目のモリアオガエルくん。

別の日、今年も下田のお祭「雨生の大蛇祭」へ。下田は故郷を流れる五十嵐川の最上流に位置する、心の故郷。おじいちゃんルーツはここから来ている。併合で市内になってしまったけど、明らかに別世界。子どもの遊び図鑑などで有名な遠藤ケイさんが、今この地に住んでいる。出身はご近所。そのうちお会いしたいな。

イワナのつかみ取りに挑む森。

「去年はおじちゃんにいれてもらったけど、今年は取るぞ~」

取れました! 一匹だけだけど。もう一匹はもらったね。家族は総勢5人。後の3匹は海に託す。

その間に、オレは川遊び。つかまえたのは

アメンボ一匹…。ザリガニもいたみたいだけど。

海は難なく目標達成。炭火でこんがり焼けたイワナにかぶりつく。うまい!!

参加者が持ってくるイワナを次から次へさばき、串を刺すおじいちゃんたち。山の男たちはかっこいい。イワナ取りに参加し、山ほど取ってくるおばちゃんたちはたくましい。ちなみに串は川で洗ってリサイクル。

森のもう一つのお楽しみ、カヌー教室。この教室は地元で活躍する団体が主催。実は下田は、今年開かれるカヌーの国体会場になっている。

やったあ~、(はじめて)ひとりで乗れた!!! 後ろに写っている白いTシャツの人が教えてくれる。限りなく真剣な森。

海はもう余裕。

お祭りの最後は花火大会。最後までいることはできなかったけど、ちょうど家路を目指す車の窓から、大輪の打ち上げ花火が…。いつまでもふり返ってみていた子どもたち。

イワナの骨は実家の新しいメンバー、犬の百百(もも)のお土産に。

(続く)

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夏におぼれて 1

私にとって夏というのは、寒天ゼリーを通り抜けることにも似ている。子どもたちの夏休みというはっきりとした枠があるせいかもしれないが、なにか密度の違う時空に入っていくような気がするのだ。その中では私の脳は溶け、かろうじて日常をこなすのが精一杯。いわば「夏におぼれる」ような状態になる。

今年はその症状がことのほかひどく、その影響がブログに現れた。言葉を使う別の遊びに熱中していたこともあって、ひとつもアップできなかった。たびたび訪問してくださった方にはお詫びの言葉もない。

夏は終わった。海はなんとか宿題をこなし中学へと向かう。森は二日後に控えた登園をとても楽しみにしている。私はようやく寒天ゼリーを脱し、人型へと復帰した。そこで今更なんだけど、写真で一気にこの夏を綴ってみる。よろしければおつきあいください。

まずは我が家のお盆イベント、海ちゃん、父ちゃん西丹沢までサイクリングす、の巻。

出発は朝四時。まだ暗い。国道一号にて。

途中で見つけた花。白い鳥みたい。

もうすぐ丹沢湖。こんな道が延々と続く。

ようやく着きました。自然教室の上の滝にて。

俺はシャチで来た、ワケじゃない。森と私は物資搬入班。

キャンプ場を流れる川。

直火オッケーの気楽なキャンプ場。クラシックに飯ごうご飯。

西丹沢コテージキャンプ場。おじいちゃんとおばあちゃんがやっている。設備は整っていないけど、こののほほんさが気に入って。吊り橋もあるよ。

というわけで、やまんばさんのおうち再開です。またおつきあいくださいませ。

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カエルのココロ おまけ

カエルちゃんたちは今日も元気です。

おととい庭で、ちょうどアマガエルくらいのヒキガエルがはねていました。私が見つけ、森が飛び出してつかまえました。森はうれしかったのでしょう。ちょうど二階にいた海と相棒にむかって何回も「とうちゃ~ん、海ちゃ~ん、チビヒキだよ~」と叫びました。

上で窓の開く音がしました。海がベランダから顔を出して「見たよ~」といいました。次に階段を駆け下りる音がしました。相棒がやってきました。そして庭に通じる網戸を開けると、片手に持っていた「きりふき」を森が手に持っているカエルにむかって突き出しました。そしてカエルにむかってシュッしゅっをかけようとしています。私は彼が二階でなにか作業をしていて、その作業につかっていた「きりふき」をもって来て、森とふざけているのだと思いました。けれどそれにしては相棒の表情がどうにも腑に落ちません。突然、彼が言いました。

「そっかあ、「チビヒキ」かぁ。父ちゃん「きりふき」って言われたんだと思って、「きりふき」もって来たよ」

そういうわけで「きりふきくん」と名づけられたちびのヒキガエルは、家族の反対を押し切った森によって、アマガエルの水槽に入れられ、一泊して帰って行きました。この異種接触はなかなかおもしろかったです。

さて、この長梅雨を象徴するようにだらだらと続いた「カエルのココロ」もとりあえず終わりました。今日はおまけです。題して、おすすめのカエル本2冊。

まずはデヴィッド・ウィーズナー著「かようびのよる」

地味な表紙ですが、よく見ると画面の端にハスの葉が飛んでいるのが見えます。このハスの葉に乗っているのは…。火曜日の夜に何かが起こる。

実は私は同じ作者の「漂流物」がほしかったのですが、森に押し切られてしまいました。折れるときの理由に「じゃあ、この本はカエルちゃんたちに買ってあげようね」と言ったら、ほんとうに水槽の前にこの本を持っていって、読み聞かせていました。

子どもは純だね。

かようびのよる かようびのよる

著者:デヴィッド ウィーズナー
販売元:徳間書店
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おまけのおまけ

漂流物 漂流物

著者:デイヴィッド ウィーズナー
販売元:BL出版
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二冊目は正当派「アマガエルとくらす」。家に飛び込んできたアマガエルと10年以上も暮らした著者のおはなしを片山健さんの絵が彩っています。カエル好きには、涙なしには読めない本です。

アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集) アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)

著者:山内 祥子
販売元:福音館書店
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今まで飼ったことのない生き物を飼うと、その生き物の世界にココロが広がって、今まで見ていた世界がさらに広がるよね。

「この世界に生きているのが人間だけじゃなくてよかった」といつまでも言えますように…。

(終わり)
 

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カエルのココロ 4

つかまえてきたときから、多少大きさに違いはあったかもしれない。そしてそういう話も聞いていたから、気にはなっていた。

水槽で2匹のカエルを飼う場合、強い方ばかりがえさを食べ、強い方はますます強く、弱い方はますます弱くなるという話である。

バッタを大量に入れたときは気にならなかったのだが、庭に出たついでに一匹だけつかまえてくると、必ず同じカエルの口に入ってしまうことに気がついたのは、6月もはじめの頃だった。そのカエルはとにかく反応が早く、正確なジャンプと素早い飲み込みで、あっという間に虫を口に入れてしまう。気づいてからは、必ずバッタを二匹以上入れるようにしたのだが、人間と違ってなかなか平等に分け合うというわけにはいかない。

どうやらもう一匹のカエルはえさ取りが苦手らしい。ついこの間まで、田んぼで生きてきたカエルである。そんなことあるもんかと思うのだけれど、実際あるのだからしょうがない。見ているとジャンプの目測を誤って、口に入れ損ねたり、果ては自分の技量不足を補うためか、目のまえのバッタを手でかっさらうようにして食べたりしている。カエルのリアルとはこんなものなのだろうか。

そういうことに気がつき始めると、エサの時間を見るのが苦痛になってきた。下手な方がんばれ、がんばれ、と心の中で声をかけてみたりするのだが、なかなか願いは通じない。ある日、しばらく公園に行けなくて庭のバッタで済ます日々が続いた頃、下手な方がだんだん元気を失ってきたように見えた。強い方のカエルにえさをとられ、ずっと何も口にしていないんじゃないかという懸念が浮かぶ。もちろん、実際のことはわからない。いかに物好きだとは言え、私もバッタを入れてからずっと見ているわけではない。しかしいったんそう思いつくと、何とかせずにはいられなくなった。

そこでわたしは思いきった手段に出た。まず、ごちそうであるクモを4匹取ってきた。そして強い方のカエルを捕まえると、牛乳パックに押し込んでふたをピンチで留めた。君、ちょっとこっちにいなさいというわけだ。それから4匹のクモを水槽の中に放した。さあ、どうなるだろう。

チビはいつも気がつくのが遅い。けれど気がつかないというわけではないのだ。このときチビは、自分のペースでぴょんぴょん跳んで、自分のペースでクモを見つけ、自分のペースですべてを平らげた。一匹食べるたびに元気になっていくのがわかる。そして4匹のクモを平らげたあと、水槽の端から端までぴょ~んと跳んで見せたのである(ずっと見ていた私も暇だなあ)。

目のまえで行われている弱肉強食に、手を出すことにはためらいがあった。けれど水槽は自然状態とは違う。田んぼは広いから、この二匹は棲み分けてどちらも生きていくだろう。人為的な環境に連れてきたのは私だから、秋になったら二匹とも無事田んぼに返す責任が私にはある。

これは大きなターニングポイントだった。あれでチビちゃんは変わった。2,3日後、大型バッタを大量に入れたとき、デブちゃん(強い方)が、口から足をはみ出させながらもりもり食べている横で、チビちゃんも(生まれて初めて)、口におさまりきらないバッタに食らいついていた。

もう大丈夫だね、とわたしは思った。

「ネズミのすもう」という話がある。びんぼうな家のやせネズミが、金持ちの家のカエルと相撲を取り、負けてばかりいるのを見かねたおじいさんとおばあさんが、(自分たちだってカツカツだろうに)餅をついてやせネズミを強くする話である。この話の落ちは、やせネズミが強くなって終わるのではなく、こんどは負けるようになった金持ちネズミにもモチを振る舞い、「どっちも負けるな」と応援するところにある。
今回の私はその気持ちがよくわかった。
(一応本編はこれで終わりです。でもおまけを思いついたので、もう一回続きます)

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カエルのココロ 3

食べる―食べられるという関係には、誠に深遠なモノが潜んでいる。

ある日、こんな光景を見た。

水槽の上下左右を斜めに横切るように、直径一センチくらいの枝がさし渡してある。カエルちゃんたちのお気に入りの場所で、よくそこに止まっているのを見かける。
その日はバッタが豊富だった。公園で大量に捕まえてきたからで、中には指の関節ふた節くらいのかなり大きなバッタもいた。枝に止まっていたカエルちゃんが、水槽のバッタをめがけて飛んだ。バッタはぱくりと口の中へと思いきや、なんと大きすぎて口からはみ出している。

今までにもこういう事はあり、最初見たときはびっくりした。カエルの身体は柔らかく、飲み込んだモノの形に合わせて変形する。バッタの足を口からはみ出させた「ひし形カエル」である。と言ってもやはり楽な体勢ではないのだろう。バッタを口いっぱいに頬張ったまま、目を白黒させ、じっと動かない。けれども、そのうちバッタの足は少しずつ短くなっていき、ついには飲み込まれてしまうのが定番のストーリーだ。

その日は様子が違った。どうにかバッタは捕らえたものの、飛び出した枝に片足の吸盤を引っかけたまま、逆さづりになっている。カエルの吸盤というのは、本当に優れもので、指の一本、吸盤ひとつでもけっこう体重は支えられる。しかし、その体勢はあまりに不自然だった。

カエルちゃんは苦しそうにもがいている。そのあげく、一度は体勢を立て直し、枝に戻ったものの、また再び逆さづりの宙ぶらりんである。いつもとどこが違うんだろう、と私は思った。よく見ると、カエルちゃんの口からはみ出しているのは、バッタの足ではなく、頭であった。ここから先は想像に過ぎないのだが(こういう想像はしたくない人もいるかもしれませんね)、頭から飲み込んでしまえば、バッタは気絶し、すぐ動かなくなるのではないだろうか。しかし足から飲み込んだ場合、バッタは意識があり、いつまでも抵抗を続ける。そのせいで、さすがのカエルちゃんも、思うように飲み込めないのかもしれない。

ついに決着がつくときが来た。カエルちゃんの口から、バッタがのそのそと這い出してきたのだ。その動きはお世辞にも速いとはいえなかったけれど、カエルちゃんの方にはすでに追いかける気は全くなかった。

と言うわけで、カエルの胃袋まで足を突っ込んだバッタは、その後もしばらく生き延びていた。それでも最後にはいつの間にか、消えてしまっていた。カエルちゃんは、こんどは飲み込む方向にも気を遣ったのではないだろうか。
(続く)

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カエルのココロ 2

アマガエルちゃんたちは何で食べる。葉っぱに着いた青虫。ハエ、小さなガや蝶。バッタやクモ。

虫を捕ってきて、水槽に放すと、今まで眠っていたような小さな生き物が、ぴくりと目をさます。姿勢がまったく違う。アマガエルはどうやら、ます目で獲物を捕らえるようだが、その瞬間全身の筋肉が、獲物に向けて引き絞られるのが、ありありとわかる。小さいといえどもハンターの気迫。一撃で飛びかかり、次の瞬間、獲物は消えている。ただし、口より大きい獲物にも平気で食らいつくので、口から獲物がはみ出していることもある。黄土色のガを食べたときは、そのはみ出し方が、ピーナツバタートーストを口いっぱいにほおばった森と、あまりによく似ているので、笑ってしまった。

こんな風な毎日を続けているうちに、私の感覚はどうやらアマガエルにシンクロしてしまったらしく、虫を見る目が以前とはまったく違ってきた。たとえば、家の中を飛んでいるハエ。以前は「五月蠅い(うるさい)な」と思ったのに、今では「いらしゃ~い。おいしいご飯ちゃん」と反応してしまう自分が恐ろしい。アマガエルの味覚も想像できるようになった。ガはバタートースト、ハエはジューシー、蚊は軽いおやつ、バッタはさくさく。こわっ。自分がこわい。

虫を手づかみするのも平気になった。というか、網を持ち出す間に虫は逃げてしまうので、瞬間的に身体が反応してしまうようになった。かわいいアマガエルのためだもの…。以前は殺すために手を使った。その手を生きたままつかむために調節するようになった。蚊をつぶさないで捕るのはなかなかむずかしい。柔らかく握る。けれど決して逃がさない。

庭で捕まえ、カエルたちの水槽まで連れていく短い間に、虫はあがく。ハエは騒ぐ、バッタははねる。小さな命いっぱい、生きようとあがく。それを他の生き物に与えることに人間が関与する。そのこと自体にたじろぎ、立ち止まっている人もいるかもしれない。けれどそのおかげで、私は虫たちの鼓動を感じられるようになった。指の間に柔らかく握りしめた小さな身体が、私たちと同じようにどくどくと脈打っているのを感じるとき、私の心は敬虔な気持ちで満たされる。だから救おうというのではなく、他の命を満たすためにそれを与える。そのときほど「命のつながり」を感じることはない。虫取りをする私たちの身体に蚊がまとわりつき、産卵のための糧をえようと機会をうかがう。連鎖はどこまで行っても、途切れることなく続いている。
(続く)

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カエルのココロ 1

ちょっとご無沙汰してました。その間に日本列島では梅雨明けしたようですが、「やまんばさんのおうち」はまだです。

前回の記事で、梅雨明けしたら夏バージョンに模様替えするという予告をしましたが、今日から始まる連載記事が完結したときが、「やまんばさんのおうち」の梅雨明けです。だって、カエルの記事はやっぱり梅雨バージョンがふさわしい。そう、思いませんか?

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二匹のアマガエルが我が家にやってきたのは、田植えの日だった。

昨年は断った。生き餌は無理と思ったからだ。けれど同じ年、息子が持って帰ったカエルをひと夏、世話し続けた友人の奮戦ぶりを見たら、やってやろうじゃん、という気になった。
虫取りが嫌いな人なら大変かもしれないが、私も森もそうではない。しかもうちの庭は「半自然状態(薬は使わず、草取りは最低限)」のため、虫の宝庫である。食料庫つきの家にもらわれてきたのだから、カエルちゃん、まあ、かんべんしてくれ。

さっそくお部屋を整える。ふたの壊れている大きい水槽に、生ゴミの水切りネットで網をかぶせる。腐葉土を敷き、その上に水ゴケ。アマガエルは木登りが好きだと聞いて、ちょうどよい太さの枝をさしわたす。我が家では枝も(工作用に拾ってくるので)そのへんに落ちている。ぴったり合うような長さに切ったのは森だ。

こう書くと、何もかも都合よく運んでいるように聞こえるが、カエルフィーダーの一年先輩である友人には大変お世話になった。最初、ビニール袋に穴を開けておおっていたのを、通気が悪いからと水切りネットを教えてくれたのは彼女だし、水ゴケもいただいた。おかげで、いかにも住み良さそうなカエル部屋が完成した。

さて次はお食事である。6月はじめのバッタはまだ小さく、ネットの編み目からすり抜けてしまう。クモを食べるとは聞いていたし、実際我が家にも(家の中にも、外にも)たくさんいるのだが、気軽にとれないわけがあった。

実はうちのクモは「仕事中」なのだ。お願いしてゴキブリの幼虫や、畑の害虫を捕っていただいている。家の中でクモを見かけると、よろしく!と声をかける仲なので、いくらカエルちゃんのためとはいえ、簡単にエサにはできない。一回、どうしてもエサがなかったとき、森が庭でハナグモを捕まえてきた。息子の得意そうな様子に、逃がしてやれとはいえず、そのままあげてしまったが、以降は慎んでいる。

朝7時30分、海はとうに朝練に行き、相棒を見送った後、森と二人で庭を一周するのが日課になった。もちろん虫を探すためだ。虫を探すにはコツがある。まず感覚を虫レベルに調整する。平たくいえば、虫のココロになるのだ。毎日回っていると、庭にいる虫が無限ではなく、ちゃんと一定の場所に一定の数で、住んでいることがわかってくる。特に「捕食者」の数は限られていて、ミョウガの林には2,3匹のハナグモ。まだ小さい柚の木にも一匹。それとハンミョウが一匹か、二匹、畑と庭に必ずいる(もしかしたら一匹のハンミョウが庭と畑を回っているのかも)。

ちなみに「捕食者」とは、他の命を食べる、生態系の上位にいる生き物のことだ。一匹の「捕食者」が生きていくには、たくさんの「被食者(この場合は草や野菜を食べる虫)」が必要だから、たぶんうちの面積ではこれくらいで限界なのだろう。だから安易にハナグモを捕ってしまうと、他から捕食者が移り住む、あるいは成長するまで、うちの生態系のバランスが微妙に狂う。まあ、そんな堅いことを言わなくても、たいていの揺れは吸収されるから、気にする必要はないのだが、同じような事態が閉じた生態系で起こった場合は、深刻になることもある。ちなみに地球は閉じた生態系である。
(続く)

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ケロちゃん コロちゃん

いくつになっても新発見はあるものだ。
海のアトピーがひどかった頃、薬屋さんでもらい集めたカエルの指人形は、今でも森のお気に入りだ。4匹いるので、はしご車に乗って消防隊になったり、船に乗って海賊になったり、大活躍している。
森にひとまとめで「カエルちゃんたち」と呼ばれている彼らだが、よく見ると目の向きが二種類ある。右向きと左向きだ。うちに来てもう10年以上たつ彼らだが、私は特に気にもせず、ランダムな製造過程の結果(つまり、適当なんだな)だと思っていた。
ところが、ひょんなことから素性がわかった。なんと彼らのブログパーツがあったのだ。そしてその名前が「ケロちゃん コロちゃん」となっている。そ~~~~かぁぁぁ。あの二種類の目は、ミスではなかったのかあ、とよくよく手にとって調べてみると、なんのことはない胸のところに浮き彫りの文字で「KERO」「KORO」と書いてある。
・・・・・・・・・。
ごめんね。10年以上も一緒にいながら、名前も呼んであげなくて。
******************************
というわけで、期間限定、梅雨明けまで「ケロちゃん コロちゃん」のブログパーツを置くことにしました。3つのスロットが合うと、恐ろしいことが起こるので、ぜひお試しください。
梅雨明けまでといっても、この列島は長く、梅雨明けも同時ではないので、どの地域の梅雨明けかは、そのときに決めましょう(要するに、つけたいだけ、つけておくということだな)。
日頃「やまんばさんのおうち」をごひいきになさってくださる方、びっくりしましたか?
「やまんばさんのおうち」まだまだ奥が深いのです。
というわけで、引き続きよろしく!

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家を洗う5

クライマックスの障子張りは日曜日に行われた。
その前の土曜日、まず子どもたちを巻き込んで、窓ガラス&網戸掃除を行う。よく晴れて気持ちのいい日。相棒は仕事。海が部活から帰ってきて、みんなでお昼を食べ、食休み(これが大事!)をした後、おもむろに始める。
窓は庭に面している。すべての作業を外から行うため、午前中に庭を整地した。自転車をどかし、積んであった竹の棒をどける。長いので、捨てるために切る作業を森に依頼。と書くとかっこいいけど、なんのことはない、のこぎり遊び。
午後、長柄のワイパーとブラシで窓&網戸を磨く。花形仕事は海。窓ガラスをぴかぴかにするのが気持ちいいんだそうだ。私は窓枠を拭いて、地味に応援。森はというと、午前中に切りそろえた90センチくらいの棒で「家を造る」とがんばっている。
庭に面した窓は3面。海は和室を終え、「他もやってもいい?」。どうぞどうぞ、と私はその間に障子の桟から張りついた紙を濡らしたぞうきんではぎ取る作業にかかる。実家にも障子はあり、イネばあちゃんとよく障子張りをしたのを思い出す。そのときの記憶通り、やはり紙はとれにくい。仕事を終えた海も途中から加わってくれたが、やはり少しずつしか進まない。夕方、相棒が帰ってくる頃、ようやく終わりが見えた。
次の日の障子張りは4人がかり。といってもちょうどお昼前に始めたので、ときおり私か海が台所に立つ。大人のどちらかが障子を張り、森はそのときに必要なもの(ノリとか拭き取る布とか)を渡す役。
窓から外さずに障子を張るのは、想像以上に大変だった。特に桟が下になっているほう。ノリも一度にはつけられないから、三分の一ずつつけた。そして一番困ったのは「風」。庭を吹き抜ける風が、ついでとばかりノリの乾いていない障子紙をいたずらする。私ははじめ外で押さえる役だったのだが、脚立の上に片足をかけたまま、限界まで手を伸ばして一番上を押さえ、さらに身体の線を使って、横から風が入らないように障子に張りついていた。文字通り「身体を張って」、貼った障子紙だ。
一枚目はようやく完成。そしてうどんをゆでていた海から
「そろそろいいよ!」の声がかかる。ここで私と海は交代。私がゆであがったうどんを冷やしている間に、こんどは海&森と相棒でもう一枚の障子を張る。
「麺喰い」の我が家にしても滅多に食べない量、900gの冷や麦が水で冷やされ、ひと巻きずつ取って、器に盛られる頃、もう一枚の障子も無事完成。そして、その冷や麦がすべて食べ尽くされ、4人で映画を見ながら食休みをしているうちに、ノリも乾いた。はみ出した障子紙をカットし、今度こそ本当に障子張り完成。
障戸を閉めた和室には、柔らかい光が満ちていた。子どもたちは生まれて始めてみる風景に目を見張った。たかが一部屋、されど一部屋。家の他の部分にだって掃除をする余地は山ほどある。けれど、この部屋が生き返ることによって、この家によどんでいた何かが、通りはじめたのはまちがいない。
子どもたちはそれぞれにこの和室を活用している。森は「真っ暗ごっこ」ができる部屋、押し入れには入れる部屋、として。海は座卓でそろばんをする。そして相棒は、夕食の後、ここにごろんと横たわり、身体を伸ばしてから二階に行くのがひとつのパターンになりつつある。もっともその静寂は長くは続かず、次第に夕飯を終えた子どもたちによって浸食されるのが常なのだが。
和室が開放されて、一番喜んでいるのは、結局のところ、彼なのかもしれない。
(終わり)

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家を洗う4

我が身を振り返らなければならなくなったのは、義母だけではなかった。和室の隅には私たちの「とりあえず使わないもの」も置かれていたのだ。相棒はあくまで、床に何も置かないことを主張した。その中には段ボールに入ったままの自著の在庫などもあり、私はそれをどこかに動かさなければならなかった。

どこかに、といっても家中すでにいっぱいである。思えば和室は便利な「ブラック・ボックス」だった。いらないものはとりあえず、そこに押し込んでおけばいい。

「あそこも片付ければ何とかなる」

「とにかく片端からどんどん片付ける」

という相棒の厳しい方針により、私は寝室のクローゼットを片付けることになった。着るかも(いつか? 私が? 海が?)と思っていた洋服も処分した。カセットテープも大量に捨てた。和室から始まった掃除の波は、いつしか家中を巻き込んでいた。

相棒と暮らし始めてからちょうど15年。こびりついてしまった暮らしの垢を掻きだして、新しい波をむかえる。海も中学生。育てるだけの暮らしから、旅立つことも視野に入れた暮らしに切り替えるちょうどいい潮時。

一連の出来事の中で何よりうれしかったのは、以前本棚から間引いたまま、和室に起きっぱなしになっていた本が処分できたことだ。ほとんどがハードカバーの人文書、間引かれたとはいえ、相棒にとっては大切な本だった。どうせ某B-OFFに持っていっても引き取ってもらえないのはわかっていたから、勇気を出して他の古本屋を回った。はじめの2軒の対応は予想したとおりで、打診したときに難しいのはいらないといわれたので、わざわざ文庫中心に選んでいったのだが、それでもジュース代にしかならなかった。

折しも翌日は古紙の日。引き取ってもらえなかった本を縛って出しておいたら、おじさんが来てあさっていた。どのような形にせよ、求められたのがうれしくて思わず声をかける。

「あのぉ」

おじさんがびくっとする。

「好きなだけ持っていっていいので、ちゃんと縛っておいてくださいね」

後で見たら、どうしてこれを?という本が抜けていて、おまけにちゃんと縛ってなかった。他人のニーズというものはわからない。

最後に二袋の本が残った。中でも厳選したハードカバーばかり。これをどこに持っていくのか。実は私には当てがあった。以前から目をつけていた某古書店。商店街の中ではなく、ただの道沿いにポツンとたっている。一度も入ったことはないのだが、珍しそうな本が並んでいて、開店したときからつぶれるのは時間の問題だと思っていた。ところがつぶれなかった。それどころか数年前に移転し、以前よりわずかに駅に近く、わずかに広い場所に店を構えた。問題はしょっちゅう店が閉まっていることで、重い本を運んでいって無駄足じゃやるせないので、持っていくのに二の足を踏んでいた。

その日、私は朝から機嫌が悪かった。原因はわかっていた。本を持っていきたくないのだ。断られるのがイヤなのだ。内面の声を無視しきれなくなった私はひとつ保険をかけた。(本当に滅多にしないのだが)気のおけない友人とランチの約束を取り付けたのだ。友人に電話をかける前、内面の子供によく説いて聞かせた。

「今日でないかもしれないよ。今日(彼女の)時間が空いているとは限らない。でも必ず約束するから」

私は運がよかった。私たちは今日の12時に会うことを約束した。そして、私は自転車の荷台に本を積んだ。

古書店の中は想像以上だった。ハトロン紙をかけた本がびっしりと並び、床にも本が積み上げてあった。懐かしい神田の風景。おじさんは私が持っていった本を積み替え、積み替えしながら眺めている。私は壁の本に目をやりながら、その様子を横目で見ていた。しばらくしておじさんが言った。

「…いい本ですね」

「当たり前だ」と私はこころの中で叫んだ。一級品の人文書売り場に並んでいた本だぞ。

おじさんは思いきったように値段を言った。私は言い値でいいです、といった。

ランチに使い込みたいという誘惑を退けて、本を売ったお金を相棒の机の上においた。端数はくれるかな、という期待もあった。帰ってきた相棒は、私の話を聞くと一言

「捨てないでよかった…」とつぶやいた。

結局、分け前は請求しなかった。この出来事が予想以上に相棒の何かを癒したのを感じたからだ。薄っぺらな資本の論理の底で、何か別の流れが途切れずに続いている。その流れを信じてみようと思った。

(続く)

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家を洗う3

(繊細な方、きれい好きの方は食事前に読まないことをお勧めします)

押し入れそのものの掃除に活躍したのは海であった。

ざっと掃除機をかけた後、こびりついたゴキブリの糞を歯ブラシでこする。我が家では滅多に使われない合成洗剤を薄めた液をつけて。その作業をコリコリやっていると、海が近づいてきた。実は彼女はこういう細かい作業が大好きだ。それを知っているから海がいるときに始めた、ということもある。

「やる?」ときくと、「うん」と答えたので選手交代。海ちゃんももう中学生。現実の汚さ(文字通り)を知っておくのもいいでしょう。押し入れには黒いカプセル上のものもこびりついていた。最初ネズミの糞と勘違いしたが、相棒はこともなげに「ゴキブリの卵だよ」と言い放った。

ええ~、見たことあるわけ!!!

さすがに海はそれに触るのをいやがったので、私が交代。それもこれもコリコリと落とし、掃除機で吸い取る。水拭きをし、洗剤を落とすと、一丁できあがり! 海ちゃん、偉い!

庭に面した窓には障子がはめてあった。日に焼け、茶色くなり、おまけにある日窓を開けておいたら、風で破れた。外そうとしたら、この障子は外せないことがわかった。おそらく建てられたときからそうだったのだろう。この家の内装は所々怪しい。業者の手抜きが見え隠れする。ということは障子張りは外からやることになる。その過程を想像するだけでうんざりする。

だがまずは…。

「(森)し~ん」と呼んだ。今回、部屋が汚いから入るな、とお邪魔虫にされ続けた森の出番がついにやってきた。

「障子、破っていいよ!」

森は飛んできた。さっそくビリビリ、グシャグシャやり始める。すると海も飛んできた。

「森の届かないとこ、やってよ」というのに、一緒になってバリバリやっている。それどころか、森が手を伸ばそうとするところを先回りをしてバリンと破る。まったく、もう! まあこういう時はうるさいことはいわない。私も手を伸ばして一番上をバリッ! 舞い散る障子紙。子どもたちの笑い声。これぞまさしく破邪の舞。ちぎれた紙をゴミ袋に押し込んで、後に残るは骨ばかり。

障子のなくなった枠は、真実の骨格のように和室の風景を照らし出す。古いものをはぎ取ったすがすがしさが、やがてくる何かを予感させた。

(続く)

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家を洗う2

押し入れにしまったものの大半を義母は忘れていた。

「私は知らない」

「私のものじゃない」と何度も言われた。

それを一つ一つ確認し、「取っておいて」といわれたもの以外は捨てた。

最初、その役は私に回ってきたのだが、私は「できない」と断った。だって、私はその「もの」に対する記憶が全くない。義母がおかしなことを言い出しても、止める根拠がない。相棒はとてもイヤそうにその役をこなした。かわいそうだが、仕方がない。過去の決着は自分でつけるしかない。10代、20代の頃着ていた服がしみだらけになって出てきた。奴はそれを黙って全部捨てた。

布団は私の役目だった。二間ある押し入れの上段にぎっしり詰まった布団を使えそうなものと捨てるものに分けた。とりあえずのゴミを落とし、状態を見る作業は相棒の手を借りて玄関先でやった。私はマスクをつけ、子どもたちを遠くへ追いやった。ときおりゴキブリの糞や死骸が出てくる布団は、とても家の中で払う気にはなれなかった。

3分の2の布団が使えないと判断された。ゴミを出すにもお金がいる。茅ヶ崎では「布団」は3枚で500円であった。捨てる布団は10枚以上ある。2000円払って捨てるのはあまりにもったいない。市の「環境事業センター」を調べた。車で持ち込めば、かなりの重さまで500円だという。もったいなさが私を突き動かした。相棒と二人で車のトランクはもちろん、後部座席にまで布団をぎっしりと積み込み、平日は動けない奴に変わって、私が搬入することにした。初めての道、初めての場所…。

心細い私を救ってくれたのは、昨年引っ越したばかりで「環境事業センター」にもお世話になった友人の道案内だった。

布団(それに押したたみ式テーブルが一台)は全部で40㎏だった。

布団を干しながら掃除をする日々が続いた。15年もののホコリを吸い込みたくないので、防塵メガネにマスクをかけて布団を叩いた。その音はどんなに小気味よく響いただろう。呪いを払うつもりでやった。よどんだ精神をこの家から追い払い、新しい風を入れること。

一度、とても風の強い日に、夏掛けが飛んでしまい、お隣のレトリーバー「レオちゃん」のいるデッキに落ちたことがあった。私と森が公園から戻ったとき、レオちゃんはその上にちょこんと座り(もう大きいのですけどね)うれしそうに布団をなめていた。さっそくお隣に話し回収したが、その布団を汚いとはまったく思えなかった。ゴキブリの糞に比べたら、犬の方がよっぽど清潔だ。レオちゃんに清めてもらった気がした。

(続く)

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家を洗う1

我が家には「開かずの間」がある。

玄関を入ってすぐ左、6畳の和室である。この和室は義母の管轄で、数年前まで、朝にはシャッターを開け、夕には閉めていたのだが、義母の高齢化とともにここしばらく締め切りの状態が続いていた。

そのため中はかび臭く、押し入れには15年以上前、この家が建てられたとき以来の布団類が詰まったままだ。荷物をいじった、いじらないで何度かトラブルの種になったこともあり、私はこの和室に入るのが大嫌いだった。何しろゴキブリの巣、である。スリッパを脱いではいるのがいやで、どうしても入る用事があるときは、履いたまま入った。そのくらい嫌いだった。

和室のすぐ隣はリビングである。この空間を何とかしたいと思い始めたのは昨年のこと。相棒の生活設計によれば、この和室は義母の隠居用で、今彼女が住んでいる2階の洋室は、二人の子供部屋になる予定だったという。

(この予定は、私たちが出会う遙か以前、独身の彼がこの家を設計したときにたてたものである。従って私は関知していない。)

しかし上の子供が中学になる今になっても、義母はいっこうに動きそうもない。私としても、もし義母が和室に移ってきたとして、お友達とリビングで話している会話をすべて聞かれるのは、気持ちのいいものではない。ならば、いっそ、私たちが和室をもらったらどうか?

そういう考えを相棒に話したのは、一年以上前、私が自宅で「作文教室」でも開こうかと考えていた頃のことである。けれど結局義母に、和室を使わせてくださいとは言い出せなかった。「作文教室」の話はそのまま立ち消えになった。

この間の春休み、実家から帰ってきたら状況が変わっていた。留守の間に相棒が義母に話を通し、和室を使えるようになったというのである。要するに海がもう中学だから、子供部屋を明け渡せ、と迫ったらしい。それなりに怒っても見せたらしい。けれど腹の中では最初から和室をもらうつもりだったらしい。私のために? まあ、家族のために。

記憶スパンの短い私としては「天からぼたもち」である。私は指一本動かさず、和室を手に入れたのだ。けれど、怠け心でいうわけではなく、これが正しいルートだったのだと思う。奴が動くこと。この家を変えるために。未来を切り開くために。なぜなら、その和室に詰まっているのは義母と相棒の歴史であり、私には関係のないものだからである。

(続く)

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花-on(かおん)

黄色い花の上で、虹色のいも虫を見つけた。黄色い花を食べているからだろうか。薄緑と薄紫の混じった美しい色だった。庭から摘んできた花がキッチンの窓枠に飾ってある。その上で見つけたから、調理している間、常に目の前にいる。おかげさまでよくよく観察することができた。

黄色い花の上に横たわる姿は、幼女の美にも似て美しい。好奇心半分、殺すのも面倒だったので、そのまま放っておいた。そうしたら、名前が降ってきた。花の上にいるから、「花-on」と書いて「かおん」。

名前をつけたら、情が移る。写真を撮ったら、もといたところに戻そうと思っていたのだけれど、台所に来るたびにカメラをもってくるのを忘れている。その間にも「花-on」はどんどん大きくなる。あっというまに最初に飾った花を食べ尽くした。思わず花を追加する。

大きくなった「花-on」は、花心の周りに沿ってくるりと円を描く。ただの本能だろうけど、その姿がまた愛らしい。このまま大きくなって、それでどうなるんだろう。

あるひ、「花-on」の様子が変わった。花瓶の周囲を伝ってどこかへ行こうとしている。アゲハの幼虫とつきあった経験から、さなぎになるのではないかと思い、花瓶に割り箸をさしてみる。けれども「花-on」は見向きもしない。結局また花の上に戻り、こんどは、花びらの下にある萼(がく)にぐるりと巻きついた。そして、このときからなんと「花-on」は緑色になった。

このあたりで何かの予感がした。それでも次々と花を食べ尽くす「花-on」にせっせと花を運ぶ。これってただの親ばかではないだろうか。ついに、ひとつの花の上では、身体を支えきれなくなった「花-on」は、花の茎を支柱にし、もうひとつの花に顔を突っ込んでもぐもぐと食べている。お行儀が悪いぞ!「花-on」。

そして、恐れていた日が訪れた。「花-on」の身体に模様が浮き出てきたのだ。自転車の荷物を止めるゴム紐にも似たその模様。ああ、なんということだ。「花-on」は、昔、私が畑でさんざんつぶした「ヨトウムシ」だった!

「ヨトウムシ(夜盗虫)」はその名の通り、日中は土の中にいて、夜這い出してきては畑の作物をむしゃむしゃ食べる。家庭菜園家にとってはとても憎たらしい虫だ。「畑の虫は天敵に任せ、多少は虫の取り分と考える」という寛大な方針でやってきた私ですら、どうしてもつぶさずにはおれなかった虫だ。なにしろ発芽した幼苗が、一晩で全滅するくらい大食漢なのだ。

ああ、「花-on」!

「花-on」をつぶすべきだろうか、と考えた。しかし「花-on」は現在、畑にいるわけではない。

うちの庭は虫がいてもいい場所と、いけない場所に別れている。畑の作物や、実のなる木などについた虫には、悪いけど死んでもらう。しかし、それ以外の場所まで、人間さまのものだと主張するつもりはない。植物を食べる虫は、やがて他の虫やカナヘビ、ヒキガエルなどに食べられる。人間が妙な介入をしなければ、自然は自分で自分の面倒を見る。何もしないからといって、特にうちの庭が虫だらけ、ということにはならないようにできているのだ。

私が悩んでいるうちに、ある朝「花-on」はいなくなっていた。もう一晩待てば、もといたところに戻してやったのに、などとつぶやいてももう遅い。成長したヨトウムシは土の中に潜る。きっと「花-on」は本能に従い、土を探す旅に出たのだろう。我が家のどこかで「花-on」の旅は終わったのだろうか。それともしぶとく、外に出る道を見つけただろうか。

私はといえば、かわいい娘が成長して、じゃらじゃらした姉ちゃんになり、どなりつけてやろうかと思っていた先に、家出されてしまった親のような心境である。

悪いけど、この次畑で会ったらきっとつぶす。

そう言えば、結局写真は撮らなかったな。

な、「花-on」。

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どの枝を切ろうか

ユスラウメが茂りすぎたので、剪定をした。茂りすぎた写真も撮っておけば違いがわかったのにと思うが、もう遅い。切るときはばっさり切る私である。これが切った後の写真。

この日は土曜日。海と相棒は出かけてしまい、残された森と遊ぶつもりでの枝きり。もともと園芸の知識もなく、勘のみに頼る。樹にしては迷惑かも知れない。一回、図書館で本を借りてみた。しかし、テキストはテキスト、実践は実践。本に載っている樹形とうちのは同じじゃない。結局ライブ・パフォーマンスによる枝きりである。

ところが、今回発見があった。どこで切ったらいいか、わかるのである。木の芽が読めるような気がしたのだ。そこで調子よく、すぱすぱ切っていたら、もうひとつうれしいことがあった。

通りすがりのおじさんが、ひょいと声をかけてきたのだ。盆栽を通じての同好の士との会話。ああ、あこがれの老年期にまた一歩近づいたような気がした。

彼は重大なヒントを残して去っていった。

「この枝、切っちゃった方がいいんじゃないの?」

彼が指さしたのは、一番上まで伸びている我が家よりの枝。

でも、それ一番実がついているんだけどな、と曖昧にうなづく私。

すると、彼はそれに気づいたように

「あんまり家とかに、ぶつからない方がいいからね」

そういえば、そうだ。ユスラウメは切っても、切っても、毎年これでもかと思うくらい枝が伸びる。トイレの窓に映る緑の影は、美しいと思う反面、邪魔でもある。

「ま、好きに切ればいいんだよ」

「いい実、つけてるじゃん」

言い過ぎたと思ったのか、取りなすようにそういうと、そのおじさんは自転車で走り去っていった。

もう会うこともないだろうおじさん。彼の出現は意外な効果を私に及ぼした。

ひとつ、どんな形であれ、ほめられてうれしかった。

ふたつ、なんだか「あの枝」は切った方がいい気がしてきた。

しかし、見ず知らずのひとの一言のままにスパッと切るには、あの枝は惜しい。

どうしようかな、と私は改めて枝を眺める。まだ決めてはいない。いまも悩んでいる最中である。

そして、その枝の向こうに私はもうひとつのものを見ていた。現実の理(ことわり)と夢想の理が重なり合う貴重な瞬間。

いまは、まあまあ実がなっているけれど、私の本筋に必ずしもつながらない「あのこと」「このこと」は切るべき時が来たのかも…。

簡単に答えが出ることではない。今も考えている。

古来、通りすがりに受け取る戯れ言は、天からの言葉でもあるという。

さあ、どの枝を切ろうかな。

「いい実?」

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弁当こわい

寝室の床に弁当がひとつ、ぽつんと転がっていた。

土曜日、朝8時。海は朝練へ。相棒もついさっき出社した。海は午前中で帰ってくるから、弁当は持っていってない。

ということは…。

相棒の会社に電話をする。誰も出ない。まだ仕事が始まってないのかと思い、後でもう一度かけることにする。

私が作った弁当を台所から相棒に届けるのは、子どもたちの役目だ。ついこの間までは、年上の海が弁当配達を独占し、チビの森はおはしと水筒しか持たせてもらえなかった。それがもとで、朝からよくけんかをした。やはり弁当が主役、森だって弁当が運びたい。海も、海だ。たまには譲ってやってもいいだろうと思うのに、自分が寝坊したとき以外は、情けのかけらもない。

その弁当を運ぶ権利が、海の中学入学、クラブ入部によって棚ぼた式に、森に転がり込んできた。いまや、朝起きて出かけることだけで必死の海。弁当のことなど気にする余裕もない。森はウハウハである。問題は水筒がやたら大きくて、弁当とおはしと水筒という3点セットを森の手では一度に運べないところにある。この日もまず水筒とおはしを運び、二階に行ったまま帰ってこない森を、もう一度呼んで階段のところで確かに弁当を渡した。それが、なぜ…。

父ちゃんの弁当を見た森は、さすがにまずいと思ったらしい。

「…忘れちゃったのぉ」と、泣きそうな声を上げる。

「電話してみるからさ」と私。

別に怒るつもりはない。けど、よりによって何で「今日」なんだという思いはつもる。今日はとっても変則的な日で、11時から立て続けに用事が2件入っている。手はずとしては、海が帰ってきたらすぐ、早めのお昼ご飯を食べて、全員で出かけなければならないのだ。

私の中で、「届けてあげたい」という思いと、「この忙しい日にばたばたするのはいやだ」という思いが交錯する。相棒の会社は自転車で30分。森と一緒に走れば45分。往復で1時間30分をいまからひねり出すのは正直つらい。だがどちらにせよ、連絡がつかないことには動きようがない。私は15分おきに電話をかけ続けながら、出かける前に終わらせるつもりの家事をこなし続ける。

9時。ようやく家事のめどがついた。動き出すならぎりぎりの時間。だが、いまだに電話には誰も出ない。私の方の踏ん切りはついた。

あきらめよう。やつは大人だ。財布も持って出ている。コンビニもある。何とかするさ。

森にもそのことを告げる。

「父ちゃん、お財布もってるからさあ。コンビニで買うよ」

「そうだね…」とまだ心配そうな森。

海が帰ってきて、みんなでお昼を食べた。仕方がないので、弁当もみんなで食べた。今日の弁当は、相棒の好きなゆで卵、忘れちゃいけない塩の分包、ちょっと珍しめのウィンナー、彩り豊かなミニトマトと緑の野菜。

いつもきんぴらと煮物の多い我が家の弁当にしては、色よく仕上がった傑作だったのに…。

「父ちゃん、食べ損ねちゃったねぇ」と海。だからといって遠慮するような子どもたちではない。たちまち、弁当は食べ尽くされる。

そして、私たちは用事を果たしに行った。

::::::::::::::::::::::::::::::::::

夕方5時。そろそろ相棒が帰ってくる頃。子どもたちはどきどきで帰りを待っている。私もとっておきの「冷凍たこ焼き」の数を確認する。

「怒っていたらどうする?」

「いや、機嫌悪いくらいじゃない?」

「そしたらたこ焼き出せばいいよ」

「森ちゃん、謝るんだよぉ」

そのとき、相棒が帰ってきた。階段を駆けおりる子どもたち。

「とうちゃ~ん」「おかえり~」

「お弁当、なかったでしょ」

「買った?」

相棒は苦笑いしながら、答える。

「中に入ってから気がついたからさ、買わなかった」

ああ、やっぱり…。そういうこともあるかなあ、と思ってはいた。もともとけんかをすると、一食や二食、抜いても平気な経歴の持ち主だ。こころのどこかで、そういう事態もあり得るとは思っていた。子どもたちはちょっと怪訝な顔。私は明るく声をかける。

「たこ焼き、もってくるねぇ」

そして、相棒は皿にぎっしりともられたたこ焼きを食べ、さらにおいしい夕飯を食べ、私と相棒の間ではこの件は終わった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::

深夜12時。横に寝ている森がもぞもぞする。森は夜中に目を覚まして私がいないと、隣の部屋まで追ってくる子供だ。早起きしてパソコンに向かう充実した時間を、邪魔されたことは数限りない。しかし、今夜は私が横に寝ているにもかかわらず、ふらふらと隣の部屋に向かっている。いるのに気がつかなかったのかな、または寝ぼけたのかなと思い、後を追う。森は隣の部屋に入る。そこには相棒がまだ起きていて、何かをしていた。

奴の言うことによればだが、相棒の腕の中に倒れ込んだ森は、とっても悲しそうな顔をしていたのだそうだ。

父ちゃんに謝りに来たのかな。

というわけで、話はおしまい。

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かみさまのしごと

起きろ!と声がする

そうして私は起きて、かみさまの仕事をする

広大無辺なこの世の隅から

こころの熊手でシャリシャリと

言葉のかけらを拾い集め

それをつなげて、形にする

誰も踏んだことのない雪のような

宇宙の果てに出かけていって

私だけが作れる言葉の意味を

微細な熊手でかき集める

楽しい…

かみさまは死んでいない

死んだことなどない

この

消費文明の末端に姿を変えてさえ

すべての存在にほほえみかけている

世界に隙間などなく

つながっていないものなどなく

宇宙は声で満ちているというのに

なぜ?

かみさまがちょっと

すねているとしたら

人があまりかみさまの

声を聞かなくなったからだ

そうして孤独だといい

毒をまき散らし

自分と世界を殺し続けている

それが新しい遊びだと思い込まされて

起きろ!と声がする

そうして私は起きて、かみさまの仕事をする

腕の中の、尊いぬくもりを愛しく思い

それを振り払っても行きたい場所が

あることをとても幸せに感じながら

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ゴジラ踏む浜

ゴジラの踏んだ浜、といえば?

たたら浜。

たたら浜ってどこにあるの?

観音崎。

観音崎って?

三浦半島の先っぽ。

もう、一週間もたってしまったが、気にしないで書くことにする。またまたGW話。

我が家から観音崎までは35キロある。5月の5,6と観音崎青少年の村へキャンプに行った。今回は半チャリ。つまり相棒と海はサイクリング、私と森はドライブというパターンである。

行きは時々雨、帰りは全雨。初めてのカッパ(を着て)走行に挑む、海ちゃんであった。川沿いの道を走るのんびりサイクリングと違い、今回は車道を走るかなりの上級者コース。結果的には何事もなかったが、実はかなりどきどきだったらしい。水たまりとか、車による水のはね上げとか、トンネルとか…。

行きも帰りもほぼ同時に出発したから、どうしても車組が早く着く。小雨の中どこで時間をつぶそうか、どこで待ち合わせをするかなど、決めることがたくさんあった。前準備にかなりのエネルギーを使う。完璧主義の相棒をもつ、良さと悪さである。

ついたときは幸い小雨。(どう見てもヤブイヌ向きではない)美術館という案を避けて、山道を通り、待ち合わせ場所の自然博物館を目指す。地図はない。当てにしていた案内板も見あたらない。それでも、うろ覚えの記憶を頼りに勘だけで歩き出す私。父ちゃんと姉ちゃんのいないときの森は、今ひとつ元気がない。おまけに(こっそり教えちゃうけど)、森の一番苦手な人気のない(自然の中の)道。

自然の中に一人でいるのが大好きな私。(気持ちもわかるがよお)ぐずぐずする森にいらいらする。時々ウォーキングや、犬の散歩をしている地元の人とすれ違うが、時間が早いこともあり(9時頃でした)、観光客らしい姿はない。それでも、分かれ道には方向を示す案内板が出ている。それを頼りに1時間以上歩いて、ついたところが前述のたたら浜。ここは映画でゴジラが上陸した浜で、かなり前にはゴジラの滑り台もあったということだ。

待ち合わせ時間の10時を過ぎること、およそ30分。待たせちゃったかなあ、と最後の階段を駆け下りると、自転車組もちょうどついたところ。

それにしても観音崎の自然は濃い。山も思ったより深いし、浜には色とりどりの海草がうちあがる。雨もほとんどあがっていたので、そのまま海岸の道をたどり、浜でお昼を食べる。

浜にはシーグラスがたくさん打ちあがっていた。さっそく拾いまくる私と海。しかし波の関係か、けずられ方がいまいちで、ほとんどのかけらをもう一度海に戻す。

浜でオブジェを発見。みんなが少しずつ、好きなものを載せた感じがいい。

祭壇みたい。

さらにアップ。お気に入りの木目。

ミニラ上陸??? いいや、船の舳先にたっているつもりの森。

観音崎灯台も登った。昔ながらの小さい灯台で、ミニ博物館もある。江ノ島の新しい灯台よりも好きかも。

なんだか私は先っぽが好きだ。陸地の果てるところ、海の始まるところ。

伊豆半島も好きだが、観音崎のにおいはもう少し歴史くさい。観音崎と千葉の富津岬にはさまれた浦賀水道は、江戸時代から首都防衛の要所だった。

正面に平たい島のような「海ほ」が見える。「海ほ」とはWikipediaによれば、

「日本は明治から大正にかけて、山縣有朋陸軍大将が日本国内の要塞化を主張。東京湾には千葉県富津岬沖から、神奈川県横須賀市側にかけて首都防衛のために三ヵ所の人工島が造成された。完成後は兵舎や砲台が建設され、軍事施設である海堡として運用された。」だそうで。

通る船もさまざま。

午後になると雨は激しく降り始めた。雨の中でもなんのその。おいしい夕飯をたっぶりたべ、翌日は全員で橫須賀美術館により、おみやげだけを買って帰った(つまり見てはいない。もう少し森が大きくなったらね)。

雨に濡れる2台の自転車。

後日談だが、この連休に120キロ走った相棒の自転車は、ついに前輪のベアリングがいかれてしまった。海のは入学祝いに買ってもらったばかりの新品だからな。自転車のいいところは、あっちこっちいかれても取り替えれば走れるというところだ。前輪が新品になった相棒の自転車は、今日も通勤にとがんばっている。(終わり)

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やびぃ

5月3日の動物園。おいていかれる義母の一言。

「どうせ人でいっぱいなんだろ」

「・・・」

「あ、でも人気のない動物の前はすいているか、タヌキとか…」

その一言に、日頃「タヌキ、タヌキ」とからかわれている森が微妙な反応をした。

「オレ…、タヌキっていわれてるんだけど…」

さすがに義母もまずい、と思ったらしい。何となくお茶を濁して食卓を去っていった。

さて、健闘の甲斐あって10時半にたどり着いた動物園。まず私たちがしたことは、ベンチを見つけ出して一休みすること。目の前にある、インドゾウのオリの前には、てんこ盛りの人、人、人…。

「大丈夫だよ。流れてるから」という相棒の一言に気を取りなおし、とにかく突入。

人混みに気おされたのは私たちだけではなく、遠くに引っ込んで姿を見せない動物も結構いる。そうだよな、気持ちわかるよ。

「アジアの熱帯林」「亜寒帯の森」「オセアニアの草原」「中央アジアの高地」ときて「日本の里山」エリアに近づく。今日の関心はタヌキのオリの前。「オレ」の威信もかかっている。

ひとつ手前のアナグマのオリは空っぽ。人々はちょっとのぞいては、立ち去っていく。だいたいこういう小動物は夜行タイプ。昼間見れると思うのがそもそも甘いと、こころに言い聞かせてタヌキのオリへ。

ところが、予想を裏切って、タヌキの前にはなんと黒山の人だかりが…。しかも何か活発に動いている…。

とそれは、一つ先のキツネが反対側から見えていただけ。しかし、海と森はついに見つけた。ヤブの中で寝ているタヌキを。そして次の瞬間、タヌキは一瞬姿を現し…、また隠れてしまった。粘りに粘った海ちゃんのナイスショット。

こんにちは、タヌキ!

そしてこの日、動物園で私たちはもうひとつ、愛すべき動物を見つけてしまった。それがヤブイヌ。

見たところ、足の短い犬でしかないヤブイヌは、その行動がめちゃかわいい。ただひたすら住みかの中をぐるぐると歩き回っているだけなのだが、その歩き方に「ルビ」をつけると「テケ テケ テケ テケ テケ テケ テケ テケ…」となる。

それもみんなで同じ方向にぐるぐる、ぐるぐる回っている。かといって、統一がとれているか、といえばそうでもなく、順序はしょっちゅう入れ替わる。

その行動が、私に何かを思い出させた。そうだ、これはさして広くはない園庭をぐるぐる、ぐるぐる遊び回っている、森の幼稚園の子どもたちにそっくりだ!

回るヤブイヌ…。

時間ががあれば、ずっとずーっと、見ていたい。しかし、私たちの前には25キロの帰り道が待っている。

そして無事、家までたどり着いた森は、ヤブイヌのぬいぐるみを授与されただけではなく、「50キロと走る男」としてタヌキからヤブイヌに昇格した(前記事参照)。

ただやっぱり、本人的にタヌキも捨てがたいみたいで、現在は「ヤブタヌキ」ということで収まりがついている。

丸い顔、短い足、そしてなんと水かきのついた足…。

ああ、やっぱり森だあ。

オレのことはこれから「やびぃ」って呼んでくれよな。

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50キロ走る男

5月3日、サイクリングに行った。

名付けて「自転車に乗ってズーラシアに行こう」。

道は、この間「ウイトリッヒの森」に行った境川をさらに上流にさかのぼり、一般道を5キロ行ったところ。

なんと片道25キロ!それを往復するから50キロ!

ギアつき自転車の3人は、まあいいとして、18インチの子供用自転車に乗る森の運命は?

主発は朝7時。到着想定時刻は10時。

藤沢の市街地を抜け、まずは新緑が美しい境側。

飯田牧場を過ぎた辺りの景色。一番のお気に入りスポット。

橋の景観と、ミズキの花がとても美しい場所。

同じ場所の少し手前。これは海のお気に入り。後方の畑の感じが好き!

よく見るとわかるけど、この2まいの写真は光線が違う。下は夕方の風景。

つまり私たちは同じ道をたどり、無事ズーラシアに行って、帰ってきた。

行きも帰りも3時間45分の旅だった。おまけにその間にズーラシアを一回り。帰宅は夕方7時。12時間後の帰還だった。

これが森の愛用の自転車。高知に行ったSさん一家からいただいたもの。

立派に走っているよ、Sさん!

めでたく「50キロ走る男」となった俺が、ズーラシアで手に入れたのは、

ヤブイヌのぬいぐるみ「ヤブちゃん」でした。

オカピじゃないところが、ほんとに渋いぜ!

ヤブイヌの愛らしさについては、また後日。

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妄想一題

ある休日、外出をしていて、昼食の用意が遅くなった。

義母のテーブルには「レンジでチンするご飯」がおいてあった。

義母が時々(私のいないときなどに)これを食べているのは知っている。

「早くしろ」ってことかな、とちょっと疑問に思いながら、焼きそばの準備を進めた。

海にもタマネギを切るのを手伝ってもらう。タマネギを切るのが苦手な海は、早くも目に涙をため、グシュグシュしている。

かわいい。

平和なGW。

そのとき義母が階下に降りてきた。

「でかけるから」(ああ、早くしろってことね)

「ご飯食べようと思ったら」(私たちが帰ってきたとか?)

レンジに鍵がかかっていて、できなかったよ」(!!!)

一瞬、頭の中が真っ白になった。

言葉で反論せず、実地検証。

レンジに異常はない。扉も開く。

「開きますよお」

「開かなかったよ!」

大変偉い海ちゃんがフォローを入れる。

「変な方向に引っ張ると開かないとき、あるよお」

「開かなかったんだよ!」

「・・・」

「パン食べたから…」(要するにもういらないのね)

義母は去っていった。

いやあ。久しぶりに新手の妄想。

その独創力にはびっくり。

「レンジが開かない」→「力の入れ方がまずい」「私の力がなくなった」

という風に自分に原因があると考えず、

「レンジが開かない」→「誰かが鍵をかけて、私にレンジを使わせないようにしている」と被害妄想に走るのが義母の特徴ではあるが、

この発想力はすごいんじゃないだろうか。

鍵のかかるレンジ、誰か発明しませんか?

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雨降って

幼稚園。森は年長に進級した。大して心配もしなかった親も親だが、昨年度末あたりから見え隠れし始めた「母性(父性)?」を存分に発揮して、進入園児たちの世話を焼きながら、家ではほとんど園生活について話をしない息子も息子である。かといって、そのためにひどく赤ちゃん返りするわけではなく、ひたすら訴えるには

「もっと遊びたい!」

ああそうか、園では(仕事が忙しくて)あまり遊べてないのか、と部活で遅くなりがちな娘を放っておいて、久しぶりに夕方まで公園がよいをする親子であった。

めでたし、めでたし…。

というわけで、我が家に関しては順調なスタートだと思うのだが、実は4月そうそう幼稚園で、一つ解決しなければならない問題にぶち当たった。

題して、「親の進級問題」である。

ただし、これから話すことは、私の視点から見た話で、他の人から見たらまた違っているかもしれないということを申し上げておく。

うちは小さな園である。その中で昨年度から感じていたのだが、ある特定の親子(複数)への風当たりがやけにきつい。要するに「外されている」のである。やり方はいたって、小学生風。目配せ、指さし、こそこそ話。外している側の中心は2人。それにそれぞれの「おつき」が加わって、4人。自分が名指しされているわけではなくても、まとまっていると「ちょっと感じ悪い」雰囲気が立ちのぼっている。

秋のバザーの後で、それは最高潮に達し、年度末まで続いた。新年度になる一日前、「その後」が心配だった私は、ある「検証」を行った。

全員を公園に誘うつもりだったのにもかかわらず、「外している人たち」と「外されている人たち+それに同情的な人たち」のグループのそれぞれ一部にだけ、情報を流し、「後は適当に誘ってね」と断りを入れた。そしてその経過を「観察」した。もちろん全員にメール&電話するほど、暇ではなかったというのも本当のところ。

結果は、悲しいくらいあからさまだった。一番乗りは私として、次にきたのは「外している側」の二人。案の定、グループの人にしか連絡していないのは、まあいいとして、「外されている側」の一人が来たところを見つけて、「…さそったっけ…」(お好きなトーンを想像してください)。後も、もう書きたくないあれこれで、子どもたちにとっては非常になごやかないい日で、こんな日がずっと続くといいなあ、と思ったにもかかわらず、その日私は一つの決心をした。

別に好きな人同士仲良くするのはいっこうにかまわない。だがそれが、特定の人への「中傷」や「攻撃」を核にして成り立っているのだとしたら、それは小学生以下だ。端で見ていても非常に気持ちが悪い。私はもう一年、そんな日々を我慢するつもりはなかった。

私は「外している人」以外の年長のお母さん全員に声をかけ(一桁です)、昨年それぞれが見聞きしたこと、体験したことについて率直に話せるような場を用意した。最初は語るつもりのなかった人が、何人も声を震わせた。そういうつもりであろうとなかろうと、傷ついた人がいる事実は動かせない。そして私と信頼できる友人とで、その課程を園に伝えた。

もちろん、園が誰かの肩を持ったりすることはなく、それは最初から望んでもいなかった。むしろ、「その場」にいなかった人だって、それぞれ悩んでいるのだ、と公平な見方を示された。そうだろうと思う。「恐れ」故の結束、「何かを排除することを核としたまとまり」。そんな状態が幸せとはとうてい思えない。私が救いたかったのは、「外されている人」と「外している人」の両方であり、そんなこと簡単にはかなわないことくらい骨身にしみている。でも…。

結果は?

園は今まで曖昧だった、親に任せていた部分を明確化した。

「外されていた人」は「私の苦しみをわかってくれる人たちがいる」と思えるようになった。

「何も知らなかった人」は知った。

それでは「外していた人」は?

何も変わらないだろうって…。

いいや。

少なくとも私は彼女たちの「弱さ」を以前より理解できたように思う。

あのとき、話し合いの最後に「(親も)居心地のいい園にしたいね」と誓いあった仲間たちで、その「弱さ」を包み込んであげられたら、きっと、何かが変わるかも。

こうやって、私たちは年長児の親に進級した。

待ってるよ!

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ウイトリッヒの森

起こったことを、起こった順番の通りに書いていくのはあきらめることにした。

本当は、この前の日の「ソーラン節」のことについて書いてから、と思っていたのだ。でも、もう週末がきてしまう。するとまた何かが起こり…。

いいやあ。書きたいときに書きたい順に書こう、と思った。

で、この前の日曜日。

家族四人で、境川沿いのサイクリングに出かけた。最近すっかり「二輪家族(サイクリング・ファミリー)」。

目標は「飯田牧場」でアイスを食べる。けれど、この間友人からその近辺にあるという森のことを聞きました。名前は「ウイトリッヒの森」。

どうです。ちょっと謎めいているでしょう。

境川を3キロほど走ってから、右に折れ、後は適当。途中、ご近所らしき方に道を聞き…着きました!

最後は、自転車を押し上げるくらい急な坂でした。

看板にも書いてあるけど、ここはスイス人のアーノルド、ウイトリッヒさんがすんでいたところなのだそうです。今は住居はないけれど、四角い広場にはイスとテーブルがありました。

腹ぺこでたどり着いた私たちは、まずお昼をパクパク。私たちと、後は森だけのすっきりした空間でした。市民の森以上に何もない空間でしたが、樹の種類が豊富で、癒されました。

小道のうえに張り出している木の根っこ。こういうものを見つけたら、登らずにはいられません。あとにつづく子どもたち。

ところが、案の定、森がそこから水筒のふたを落としてしまいました。ふたはころころとがけの下へ…。拾いに行くついでに散歩です。

先ほど登っていた樹の下っ腹。「踊る彼女」。

最後にもう一度広場に戻ってきたら、リスがお地蔵さまに降りてきていました。お供え物ねらいかもしれないけど、まあそれはさておいて…。

市民の森で活動している私が言うのもなんですが、何も建築物がない森というものいいなあ。

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此の力

此(こ)の力、と彼(か)の力を拮抗させるのだ。

此の力は「つながる力」。

彼の力は「分ける力」。

ひとは、彼の力にあこがれ、大地から、母なるものから、

自分を切り離そうと…。

幼児の気安さで、作り、また壊し、

大地をがらくたでうずめてしまった、とさ。

彼の力もて、此の力に帰るときがきたのも知らず…。

つながりなおそうよ。

つながりなおそう。

大地のくびきから逃れようと

いたずらにあがくのではなく、

自らもまた大地であることを知り、

その骨を土に返そう。

******************************

この辺のことは以前にもブログに書きました。

つながりの歴史

分けること、つながること

でも少し考えました。すぐに答えの出ることではありません。

一生考えていきたいと思っています。

とりあえず今年は「つながりなおす」という言葉をテーマに動いてみたいと思っています。

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物語と言語

帰省していたときに読んだ本の一節が、気になっている。

「17歳のための世界と日本の見方~セイゴウ先生の人間文化講義」

松岡正剛著(春秋社)という本だ。

人類史の中で最初に発生した物語は口伝えだったという話に続いて

「でも、言語と物語の関係は、もうちょっと奥が深い。言語が物語を生み出したのはまちがいないのですが、一方で物語が言語のしくみを生み出したという見方もできるんです」(原文では太字の部分が強調点)(p63)

言葉が物語を作る、と同時に物語が言葉を導く。

わかるようで、わからない。

でも、わからないようで、わかる。

自分が言葉を探すときに即して考えてみる。

足をおろす場所を探しているような、

誰も踏んだことのない地面に触れるような、

そういう感覚の中に、ここだ、というポイントがあり、

そこに足を置くことによって、自ずから次の一歩が決まってくる。

そして流れていく。ダンスのように。

「ここだ、ということがわかる感覚」を、

さして珍しいとも思わず、

呼吸のように続けてきたが、

もし、その行為、それ自体が、

何かしらの導きの元にあるのだとすれば、

それが「物語」。

いや、「物語のもと」。

すると、私なんぞはさしずめ

「物語」の奴隷だな。

自分以外の「物語」は生きようたって、生きられないもの。

ああ、そうか、とここでひとつ思い当たる。

このつらさ、この不自由さに耐えきれず、

人は自分以外のものになろうとするのか。

へえええ、おもしろい、このやり方。

ひとつ「詩」ができた。

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虹も、雨も

海の中学校入学式。校長先生がお話しをした。その中で「虹を見たければ、雨を我慢しなければならない」という女優のドリー・バートンの言葉を引用した。

まあ、いいんだけど。

やっぱり「雨は我慢するもの」なのかなあ。虹のために雨を我慢するなんて、雨の立場がない。

私的には

「虹も、雨も楽しみたい」

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古都の街角にて

久しぶりの金沢駅前はすっかり様変わりしていた。日本航空と全日空ホテルが両側にそびえ立つ通りを、背中にリュックをしょった三人組がのこのこと歩いていく。大きな姿が二つ、小さな姿が一つ。目指すはワンブロック先の「すかいらーく」。

ここで最初の番狂わせ。なんと目の前には「すかいらーく」ではなく「ガスト」が…。海がちょっと動揺する。こういうところ、きまじめだよなあ。いくらグーグルで検索しようとも、目の前にあるのが現実。受け入れるしかない。メールで妹1に変更を知らせる。

朝6時のファミレス。さすがこの時間に子ども連れはいない。珍しがってメニューをすみからすみまで見るわたしたちは、同時に珍しがられる。わたしがトイレに立っている間に「おねえさん? かわいい弟さんね」といわれてまんざらでもない海。食いしん坊の森は、モーニングセットで一番ボリュームのある「ダブル目玉焼き&ベーコン・ウィンナーセット」を頼んで大満足。

8時過ぎ、妹夫妻が従姉妹のYちゃんをつれて現れる。朝ご飯も早々に駆けつけてくれたらしい。改めて朝食を済ませ、さて、どこへ行こうか?

車を香林坊(金沢の繁華街)近くのパーキングに停め、金沢城と兼六園へ向かう。雨はかろうじてやんでいるが、すごい大風。花見灯籠が、がんがん倒れている。花粉混じりの風は結構つらいが、自然が春を迎えようと大掃除をしているのは心地よい。大学が移転した後の城跡は、今再建工事のまっさかり。

後ろに写っているのは、再建したばかりの城郭。

兼六園では「雪つり」の名残を見学。ちょうど梅の季節だ。

茶屋で昼食を済ませた後、再び香林坊へ。そのときちょっとした事件が起こった。金沢には手工芸の伝統があり、道筋にも焼き物や漆塗り、はたまた茶道具専門の店などが軒をそろえている。チビ連れでは入るのも気が引けるような店ばかりだが、ウィンドウに飾られたものは美しく、それを見ているだけで心が和む。

わたしたちはとある漆器店の前で立ち止まり、そこに飾られたものを品定めする。あんなのいいね、と海がひとつの品を指した。あんな棚ほしいね、とわたし。すると負けず嫌いのチビが一言。

「俺もあのバケツほしい!」

バケツ???

なるほど、確かにそこにある品はとても機能的で美しく、公園での水遊びにぴったりといえばぴったりだった。六桁に近い、その値段を除けば、ということだが…。

いつか買ってね、森。

(金沢旅行記は終わりです)

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夜を走る

夜8時40分過ぎ。

深夜バス初心者のわたしたちは、座席のうえでごそごそしていた。鉄道ではお代がいらない未就学児も、バスでは一人分の立派な乗客である。わたしたちは一番後ろの4列のうち、3列に並んで座った。さて、それからが騒がしい。荷物を置くところを間違えて、座席がリクライニングしなくなったり、備え付けてあるスリッパを取り出したり…。

わたしの隣、4列目には物静かなおじさん、すぐ前には相当乗り慣れているみたいで、すでにアルコールのにおいをぷんぷんさせているおじさんが座っている。今のところ乗客はそれだけ。なるべく迷惑にならないよう静かにしていようと思うのだが、何しろ全員にとって初めての体験。勝手もわからないし、森は興奮しているしで、こりゃ寝れるかなと正直心配になってきた。

深夜バスで驚いたのは、カーテンがあらかじめ、すべて閉まっていることだ。だから窓際の席で、好きなときにカーテンを持ち上げられる海は別だが、原則として外を見ることはできない。それが最初は不満だった。乗客が乗り込んでくる最後の駅、横浜を出発したときには、ほぼ満席。いよいよこれから長い夜の旅が始まる。

深夜バスのリクライニングはかなり優秀で、足も伸ばせる。森など座席の3分の2しか使っていない。その森は意外なことにいつの間にかすやすや寝ている。消灯の時間になり、夜の暗さが肌身に触れる。とりあえず、わたしも寝ることにする。

深夜12時。バスの振動が「止まっている」ことで目が覚めた。そういえばパーキングで運転手の交代があるといっていた。そのときに少しバスを降りる時間もあるという。けれど、停車してからどのくらいたっているかが見当がつかず、パーキングエリアをのぞきに行くのはあきらめる。

バスは再び走り出した。あと6時間。ところが一度去った眠りは、なかなか訪れてこなかった。広いとはいえ両隣には人がいる。あまり目立たないように身体の細部をあちこちのばし、可能な限り快適な姿勢を心がける。そのまま呼吸を整える。意識して一息ごとに長くはいていく。そのまま眠りにつくはずが、頭の中は冴え渡ったままだ。

わたしはその状態を楽しんでいた。こんなに意識がはっきりしているのに、何もする必要がないのは、普段の生活ではまずあり得ない。頭の中で好きなことを好きなだけ、自由自在に考える。路面の振動だけがお尻の下に響く。布張りの箱の中に入って、遠くへ運ばれていくこの感覚は悪くはない。鉄道に比べて、バスというのはこぢんまりしている乗り物だ。アナウンスも運転手の肉声だし、何より路面の振動で、運転手の精神状態がわかるような気がする。幸い今晩の彼は、とてもいい運転をしている。

そして、その振動の中で、わたしは今まで経験した長い移動のことを思いだしていた。それも飛行機ではない。陸路の旅だ。

アムトラック(アメリカのJRのような鉄道)には乗ったことあったっけ?

二度目の渡米の時、現地でできた友人を訪ねてホームグラウンドから少し足を伸ばした。セントラルステ―ションの雑踏。平気で遅れる発車時刻。そして(友人が待ってくれているとはいえ)見知らぬ町に向かって、この身ひとつで運ばれていくという感覚。

わたしはいつの間にか眠っていた。次に目を覚ましたのは明け方。まもなく北陸自動車道のパーキングエリアに停まる頃。続いて目を覚ました海が、カーテンの向こうに日本海を見つける。そうだ、わたしたちは一晩で日本列島を横断した。

金沢駅前に着いたのは朝の6時。明けていく空には、かすかに雨の気配。

(続く)

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ただいま!

実家には夏・春帰省しているが、今回はちょっとプラスアルファがあった。海の小学校卒業を記念して、海と同年代のいとこがいる家に泊まりに行こうというプランがついていた。何の変哲もない話である。いとこがすぐそばに住んでいるのなら…。

いとこの家は金沢のある石川県にある。金沢市内から車で1時間以上かかるうえに、その町までの鉄道は数年前廃止された。海にとってはただ一件のいとこの家なので、前から行かせてやりたいとは思っていた。しかし、である。

幸い、鉄道の廃止と前後してそう遠くないところに空港ができた。「羽田まで送っていくから後は一人で」というプランも考えた。だがなんということだ。調べてみたら、飛行機は12歳から「大人料金」。おまけにもちろんそのプランは海にも却下された。

結果、ひとの助言もあり、最終的には高速バスを使った。奇跡的に二駅先から直通便が出ていたのである。夜8時40分発。翌日朝6時10分着。およそ10時間の旅だ。ここ数年、帰省には深夜快速を使っているので、子どもたちも夜の旅には抵抗がない。しかし高速バスは初めてで、どうなるだろうという不安はあった。

いとこたちとは金沢駅近辺で落ち合うことにしたが、早朝出発しても到着は8時くらいだ。6時から8時。その2時間を過ごす場所も決めておかなければならない。近くにファミレスはあるらしい。ついてからのんびりさがしてもいいのだが、子連れで早朝、果たして道をたずねる人がいるかどうか。そこで、グーグルマップで場所を確認。妹1と携帯の番号を交換して、前準備は整った。ちなみにここまでのやりとりは皆メール。つくづく便利な時代になったものだ。

(続く)

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春のトモダチ

お知らせ:一週間、帰省の旅に出ます。更新ができるかどうか自信がありませんので、その旨ご承知ください。いっぱいおみやげ話をもって来ます。またのご訪問をお待ちしております。

では本文のはじまり…。


初めての下宿は4畳だった。部屋自体は普通の4畳半なのだが、空中に押し入れが半畳つきだしていたのである。この構造なら部屋の外に収納スペースを設置しなくてもよいから、より多くの部屋数がとれる。半分学校の寮のようなその下宿で、わたしは4年間を過ごした。家賃は1万円台前半だったのを覚えている。

アパート自体は2階建てだったが、わたしの部屋は一階だった。日当たりはたいしてよくなかったが、わたしには好都合だった。窓の外にはへいをはさんで、大家さんの敷地が広がっている。うっかり鍵をもたないまま、ドアをロックしてしまったときなど、その敷地を通ってしのびこむのに便利だったのである。そしてそういうことは、決してまれなことではなかった。

2階の部屋に初めて引っ越したのは、就職が決まってからだ。今度の下宿も大家さん家の隣で、窓の外には広々とした空間が広がっていて、南向き。日当たりは最高だった。正確には覚えていないが、鍵はきっとボタンロックではなかったのだろう。2階の窓からよじ登った記憶はないからだ。

ある春の日。おそらく引っ越してからいくらもたっていない日の夜。風がざわざわと木の枝を揺らす夜。カーテンをあけ、外をのぞいたわたしは、なじみのない影にぎょっとした。目の前の木の枝に鳥がたくさん留まっている。その鳥はなんだかふっくらとしていて、枝が揺れるのと一緒に揺れている。

そうか、とわたしは思った。こんな風の強い夜には、鳥もこんな風に夜を過ごしているのだな、と。なんだかうれしい気分だった。でも正直言うと、少しだけ怖くもあった。鳥だってたくさん集まれば…無力というわけではない。うれしさと怖さの混じった気分で一晩過ごした。まだその空間で夜を過ごすことになじめていなかったのだろう。妙な興奮状態の一夜が過ぎ去った。夢の中でわたしと鳥は、この心細い一夜を一緒に過ごすトモダチだった。

翌朝…。もう飛び去ってしまったかな、とカーテンを開けた。そのとき、わたしは事の真相に気づいた。鳥は飛び去ってはいなかった。いや、そもそも鳥なんかいなかったのだ。朝日の中で、一晩一緒に過ごした鳥たちは、白いつぼみをつけたふっくらとした花に変わっていた。見事な白木蓮(はくもくれん)の枝振りが、わたしの目の前で踊るように揺れた。

そのときから、白木蓮とわたしはオトモダチである。

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寝ぐせの発見

森の髪がだいぶ伸びてきた。といっても1センチの丸刈りだったのが、2センチになった程度なのだが、そのせいで、ここのところ毎朝寝ぐせがついている。といってもたいした寝ぐせではない。ちょろっと一部に角が生えたみたいでたいそうかわいい。朝ご飯を食べているときにそれを発見するのが、家族の遊びみたいになっている。不思議なことに、毎日位置が違う。耳の後ろだったり、頭の角だったり、後ろの生え際だったりする。

ある日、たまたま寝ぐせが頭のてっぺんにたっていた。もちろん、そのことは朝ご飯の話題になったから、森も知っている。ちょうど家族で平塚総合公園に行った日だった。昼食後、広い園内を散歩していたとき、突然、森が立ち止まって言った。

「俺って、寝ぐせが生えてるんだ」

その様子が、なんか真理を発見した人のようだったので、みんなも立ち止まった。でも同時にこう思った。

どうして今それを…。

ここには鏡なんかないのに…。

よく見ると、森の目線は路上に向いている。その目が見ているのは…。

路上に落ちた黒々とした影だった。

そして確かに、その影には怪しい突起が…。

(わかりますぅ。ちなみに右側の影は写真を撮るわたしです)

かくして、真理はこのように発見されたのだった。

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やまんばさんのみそづくり

今年もまた味噌づくりの季節がやってきた。味噌づくりの歴史は子育ての歴史と同じくらい長い。最初に誘ってくれたのが上の娘(海)のママ友だったOさんだったからだ。当時はBホームの「水煮大豆缶」をつかっていた。今思えば豊かな時代だった。

乾燥大豆から作るようになったのは、下の息子(森)が生まれたのをきっかけにパルシステムを始めたからだ。一時、味噌づくりをやめていたこともあり、最初はおっくうさが先に立った。自分の横着さを計算に入れ、すぐに作らなくてもいいように「乾燥こうじ」にしたのだが、それでも失敗したこともある。3月の声を聞くまで流しの下に放っておいたら、なんと「乾燥こうじ」にカビが生えていた! しめしめ、大豆は大丈夫だな、と確認した直後だったから余計ショックだった。もちろんこうじはすぐビニールに包んでゴミ箱へ。大豆は水煮にして各種お料理に使った記憶がある。

あれ以来、材料は目の届くところにおいておくようにしている。そうすると大豆が「早く味噌にしてくれ~」とささやく声が聞こえてくる。その声にうながされて今回もどうにか2月中に作ることができた。大豆様、ありがとう。

さて毎年行っていることこそ、その年その年の違いがおもしろい。今年は前の晩に水をつけておくのを忘れて、トホホの始まり。しかし午後作ればいい、と気を取りなおして朝一番に水につける。

水につけて5時間くらい。もう少しで戻る大豆様。しわしわのあまりのかわいさにここで写真をパチリ(よく見えないけど)。

今年はひとつ目標があった。それは大豆をつぶすとき、踏んでつぶすこと。今までは鍋のなかにバーミックスを突っ込んでお手軽につぶしてきた。難点はかなりの頻度で丸のままの豆が残ることと、子どもたちが手伝えないこと。森も5歳になったことだし、「いやだ!」と言い出す年頃になる前にぜひ一度試しておきたかった。

煮あがった大豆様。水気を切ったあと、

鍋のなかにビニールを敷き、豆をあける。湯気でビニールが曇る。

豆を広げてからガムテープで留める。もう一枚ビニールをかぶせて、大豆パックのできあがり。

さあ、森、踏め!

ところが…「熱いよお」といっていやがる森(足がいやがっている)。

「そんなはずないでしょ」と交代。

やまんばさんの足。

で、やっぱり熱い!…ごめんね、森。

そうだ、靴下をはけばいいんだ!

華麗なるステップで、踊る森。

足が増えた。学校から帰ってきた海も参加。

踏むこと15分くらいで、大豆様は見事に粉々。

今回は1㎏で試しましたが、これなら2㎏もいけそうです。

子どもたちが逃げてしまったので、一人で寂しく味噌団子づくり。

団子をつぶすのは俺だ。

こんなに上手に押せたよ。

本当にとっても上手に空気が抜けていました。

味噌づくりのたびに、子どもたちの関わり方が少しずつ変わっていくのを感じます。味噌づくりだけじゃないけど、毎年決まってやることって、家族の成長と変化を図るひとつのバロメーターだと思う。

乾燥大豆にして2㎏、できあがりで8㎏の味噌は、毎日味噌汁を飲む我が家では、半年ちょっとでなくなってしまう。だから味噌自体は半年後にできるけれど、新味噌を楽しむのは翌年のお正月になってからということにしている。長い、長い時間待って、初めておいしくなるものがあるということ。そんな体験もきっと人生の糧になるかも、という高尚な思い半分、あとの半分は人手ほしさに、子どもたちと続けている味噌づくりでした。

いつか一年分の味噌を一度に造れるようになりたいなあ。

頼むよ、海、森…。

詳しい作り方は

パルシステムHP「手作り味噌」 でご覧ください。

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ガトーショコラ

ガトーショコラ。またの名をガトーショコラ・クラッシック。チョコレートケーキの逸品である。子どもの頃食べていた、表面にチョコレートをぬったスポンジケーキとは違う。あくまで苦く、あくまで重い、ずっしりとした大人のケーキ。そう、これはけっして甘い話ではないのだ。

バレンタインにこのケーキを焼くようになったのは、まだ海が小さかった頃だ。なぜおぼえているかというと、海と最初で最後の横浜ドリームランドに行ったとき、その残りを持っていった記憶と結びついているからだ。作り始めた理由は簡単なものだったと思う。つまり、チョコレートだとあっという間に食べてしまうから、とかたまたま「DANCHU」に作り方が載っていたとか。

最初の年のケーキは石のように堅かった。メレンゲをうまく混ぜ込むことができなかったのだ。そのケーキをドリームランドから帰るときの車の中で食べた。堅いので、くずがボロボロと落ちるのを気にしながら食べた。それがガトーショコラの本来の姿ではないと気づいたのは、翌年もう一度焼いてみたからだ。次の年のガトーショコラは別物かと思うくらいしっとりしていた。

自分の腕が上がったことに気をよくした私は、翌年以降も焼き続けた。ガトーショコラは、一切れでじゅうぶん満足でき、しかも日持ちがする。バレンタイン後数日は、他になにも用意しなくても、それだけで豪華なおやつを食べた気になる。そんな点も気に入っていた。

さて時は移り、海が自分でチョコを作るようになったある日のこと。つまりつい2,3日前のことだが、私と海は相棒の前でバレンタインの相談をしていた。つまり、なにをいつ作るからそれまでに材料を買わなければとか、そういう話である。海は昨年からトリュフを作っているのだが、レシピに従うと生クリームが半分残る。それをガトーショコラに使えばいい、と話していたときだった。職場から帰ったばかりで、着替えをしていた相棒が突然、

「今年もあれ、作るの?」

と聞いてきた。うん、そうだよ、と軽く答えた私に続いて聞こえてきたのは

「俺、あれ苦手なんだよな…」

「今まで言えなかったけど…」という相棒の声だった。

聞きようによっては腹の立つセリフである。腹立ちの種火のようなものは確かに私の中にあった。怒ろうかな、と一瞬思った。けれど…。

数瞬間の思考を経て、わたしは言った。

「…言えてよかったね」

考えようによっては、これであのガトーショコラを作る重労働からは解放されたわけだ。愛とは誤解のもとになり立っているという貴重な経験もさせていただいた。それでもやっぱり思うのは

ああ、ガトーショコラが食べたい…。

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ピーター・ダックの秘密

またまたアーサー・ランサムの話です。

ただいま第二巻「ツバメの谷」読破中。やっぱりおもしろい。冒頭でいきなりツバメ号座礁。また船の話、と期待する読者を裏切るこの手法、おはなしを作ろうとする身には憎ったらしくなってしまうくらい、うまい。

つぎは「ヤマネコ号の冒険」。なんと子どもたちは「フリント船長(ナンシイとペギイのおじさんなんだけどね)」と海へ。

ここでひとつ、大人になってからわかったことがある。それがあんまりびっくりぎょうてん、ナンシイ流にいうと「おどろき、もものき、さんしょのき」なのだけれど、どう書いたらいいのか…。

「ヤマネコ号の冒険」で海を駆け巡った子どもたちは、「女海賊の島」ではシナ海までいってしまう。この系統の話はもう一つあって「シロクマ号となぞの鳥」では北の海が舞台だったはずだ(内容は忘れました)。

子ども心にはなんでもありだから、そういうもんかと思っていた。つまり子どもたちが宝探しをしたり、女海賊と絡んだりするのも別に不思議ではなかったのだ。しかしランサム関係のサイト(たくさんあるんです)を読むと、上記の三作品は「子どもたちが長い冬休みのあいだに作った作中話」とある。

なああるほど、そういう仕掛けだったのかあ。わくわくしながら、子供心にここまでやるのかと感じていた、かすかなしこりがほどけたような気がした。子どもたちが作ったおはなしなら、あそこまで大胆な設定なのもうなずける。

ランサムの巧妙なのは、すでに第2巻で伏線が張ってあることだ。

「ピーター・ダックは、ティティの心の中で、徐々にもっとも忠実な友のひとりになりつつあった。(中略)ピーター・ダックは、ウォーカーの子どもたちが、ナンシイやペギイやフリント船長と、屋形船で冬休みを過ごしたとき、毎晩つくった物語の、最も重要な人物だった。」(「ツバメの谷」P68)

とあるが、このピーター・ダックこそが「ヤマネコ号の冒険」の老水夫だ。そして日本では「ヤマネコ号の冒険」と名づけられているこの本の原題は

"PETER DUCK"

そのものずばりではないか。

これもサイトのひとつに載っていたのだが、原著にははじめに添え書きもあるそうだ。つまり「子どもたちが作った話です」というような。日本語版には(なにか意図があったのか?)かけらも見あたらない。

まあ、書いてなくても、「ツバメの谷」をきちんと読んでいれば想像はつくのだろうが、わたしはそこまで精密な読者ではなかったようで、その記述を「ヤマネコ号の冒険」と結びつけて考えたりしなかった。だってさあ、まだ子どもだったんだもん…。

かる~いショック…。このショックの正体って何だろう?

話はちょっとそれるが、20代後半の数年を英語圏で過ごしたときに感じたことがある。それはそこに飛び交う情報の率直さだった。英語という言語の特性なのか、そのとき周りにいた人たちの特質なのかはわからないけど、日本語というフィルターをかけられていない世界は、スパイスを使った料理のように神経にピリピリきた。そしてその料理はわたしの口にあった。そのときの直感、情報が日本語に訳されるときに、何かが「濾(こ)されている」という直感をまたもや裏づけられたということ???

逆に、物語作家としてのランサムへの尊敬は増した。この先を考えるのは「ヤマネコ号の冒険」を読んでからにしよう。大人になって読んでも、さらにおもしろい。こんな作家、滅多にいない。

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いちばんよい土人

〔アーサー・ランサム話の続きです〕

小学校高学年の頃、わたしの生活でもっとも活気にあふれていたのは頭の中だった。屋上で大縄飛びを真剣にやったり、公園中をつかった缶けりなどに熱中していた覚えはある。けれどそれらには現実生活につきもののいたみとか悔しさも合わさっていて、バラ色の思い出というわけにはいかない。それにひきかえ空想生活の中では、すべてが色濃く生き生きとしていた。

ドリトル先生と一緒に大亀に会いにいったり、メアリー・ポピンズと空を飛んだり、ムーミンと一緒に洪水におびえたりすることの方が、色あせた学校生活よりよっぽどリアルだった。だから学校のキャンプくらいしかアウトドア生活を経験したことがなくても、ツバメ号にのって湖を走るのはとても自然なことだった。

子育てをする中でキャンプにはまり、さらに冒険遊び場など野外の活動で子どもと関わる生活を経験した後に読んだ「ツバメ号とアマゾン号」は、さらにグレードアップしてリアルだった。当時は子どもの感覚しかわからなかったのが、プラス、かたわらに寄り添う大人の感覚がわかるようになっていたからだ。

「ごっこ遊びを見守ってくれるお母さんや、子どもを信頼しているお父さん」がどれほど得難く、また達成するのがむずかしい境地であるかをわたしは子育ての日々の中で学んだ。

「ツバメ号とアマゾン号」の中で、子どもたちを貫いているのは「ごっこ遊び」と「名づけの感覚」だ。

四人は小帆船ツバメ号にのって島へキャンプに行くのだが、ただ行くのではない。船乗りとしていくのであり、電報を受け取った四人が最初にすることはまず「船員雇用契約書」をつくることだ。それぞれ船長、航海士、AB船員、ボーイとし。半端なごっこじゃない。本気で遊ぶ。その感覚は、最初は敵、そしてつぎには同盟者として登場するアマゾン海賊のふたりにも共通している。

「ジャマイカ・ラムの大たるに穴をあけよう。(中略)コックはそれをレモネードっていってるけど。」

これはアマゾン海賊、ナンシイ船長が条約を結んだあとに口にするセリフだ。何しろこのナンシイ船長、自分の名前が湿っぽいからといって(ルース…「慈悲」を表すらしい)、海賊稼業の時には別の名前を使うほどなのだ。

別の方のブログに書いてあったことでなるほどと思ったことがある。(リンク貼ろうと思ってもう一度探したのですが、みつかりませんでした。もし、知っている方がいたら教えてください)ランサム世界の独特さは、船乗りごっこをしている子どもたちを書いたのではなく、普段は「子ども」を演じているが休暇の時だけ本来のすがたにもどる子どもの姿を描いているからだ、という一文だ。こういう感覚はとてもよくわかる。カギ括弧つきの「子ども」(あるいは「親」「妻」「夫」)であることは、了解済みではあっても、その人のすべてではない。人は本来のすがたに戻るとき、いちばん輝くのだから。

ランサムの小説に満ちているのは、人が本来のすがたに戻ったときの「喜び」の感覚だ。このシリーズが初めて書かれたのが1930年だというのは驚きだが、今読んでも色あせてないのは、その「喜び」が時代を超えたものだからなのだと思う。

「ごっこ」は自分がなりきるものだが、「名づけること」は他の存在を自分のものがたり世界に引き入れるための大事なテクニックだ。ここに登場するおとなたちの大半は子どもたちによって「土人」と名づけられている。たとえ物わかりのよいお母さんでも土人だから、ひみつの港はあかせない。それでもこの土人は最高で

「こんにちは、フライディ」と、ティティはうれしそうにいった。

「こんにちは、ロビンソン・クルーソー。」とおかあさんがいった。ここがおかあさんのいちばんよいところだった。ほかの土人とちがって、こういうことをいっても、おかあさんには、いつでもわかってもらえる。

のだ。

せめて自分の子どもにとっては「世界中でいちばんよい土人」でありたい。こういうおとなのあり方がさらりとかけるランサム、やっぱり最高だ。

(もう一つ書きたいことがあるので続きます)

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オボレロノロマハ

子どもの頃好きだった本の話をしていても、アーサー・ランサム好きにはなかなかお目にかかれない。「ドリトル先生」とか「ムーミン」とか「メアリー・ポピンズ」の話をすると「そうそう、わたしも」という返事が返ってくることが多いのに…。

森の声さんと一緒に行っている「表現教室」の課題で、年末からひとりひとりおはなしをつくっている。わたしの場合、主人公が女海賊で、船のことも書くことになるんだろうなという予感があった。それと自分の「海賊好き」のルーツはどこにあるんだろうと考えたとき、ふとアーサー・ランサムの代表作「ツバメ号とアマゾン号」シリーズのことを思い出した。たしか「女海賊の島」というタイトルの巻もあったはずだ。そこでさっそく図書館へ。あの懐かしい灰色にヨットの表紙を探す。子どもの頃、わたしは何の予備知識もなく、あの表紙にひかれ手に取った。そしてランサムの世界にすっぽりとはまった。けれど(なかば予測はしていたけれど…)児童書のコーナーにはランサム全集はなかった。わたしは書庫から取りだしてもらった、分厚い灰色の本をかかえて図書館を出た。

子どもの頃、夢中になった本を読み返すことには不安が伴う。失望するのではないかという予感がするからだ。けれどもその心配は杞憂だった。冒頭から引用する。                                                             

「湖からハリ・ハウ農場までの急勾配の野原を、ロジャが右、左と大きくジグザグに横ぎりながら走ってきた。ロジャは、七つでもう末っ子ではない。ハリ・ハウは、ロジャたちが、夏休みのいく日かをすごしているところだ。ロジャは、小道のきわの生け垣ぎりぎりまで走っていくと、むきを変えて、こんどは反対側の生け垣ぎりぎりまで走る。そこでまたむきを変えて、もういち度野原を横切る。横ぎるたびに、だんだん農場が近くなる。風は真むかいから吹いているので、ロジャは風上に間切りながら、農場にむかっているのだった。農場の門ではおかあさんが、がまんづよく待っていた。」

ロジャがなにをしているかについては説明がいるかもしれない。「間切り」というのは「帆船が風上にむかって、左右ジグザグに進むこと」と脚注にはある。そうロジャは帆船になって農場にむかっている。けれども「間切り」という言葉を知らなくても(この本を読み始めた頃のわたしは間違いなく知らなかっただろうけど)、夏の臭いのする野原を風にむかって走っていく身体感覚にひたることはできる。

そして当時のわたしにはさして意味を持たなかった一行が、子育てを経験した今になって、静かに効いてくる。そう「農場の門ではおかあさんが、がまんづよく待っていた。」という一行だ。

おかあさんは手になにかを持っている。それはロジャたちが待っていた電報で、ロジャはそれに気がつくのだが、けっして一直線に農場にむかってはいかない。「それでは蒸気船になってしまう」からだ。その電報はウォーカー家の四人の子どもたちが、お父さんに当てて書いた手紙の返事だ。湖の島で子どもたちだけでキャンプをしていいか、というのはこの夏休みを左右する重大事項だ。

電報にはなんと書いてあったろうか。

「オボレロノロマハノロマデナケレバオボレナイ」

「それ、いいってこと?」とロジャがきいた。

もうこれでメロメロである。親が子に向ける信頼をこれほど小気味よく表現する言葉にはあったことがない。もしかして???になっている人がいるかもしれないので、三番目のティティの言葉を借りて解釈すると

「もし、わたしたちがノロマなら、おぼれちゃってもいいっていってるんだ」

「ノロマじゃないなら、おぼれないだろう」

ということです。

子どものごっこ遊びを辛抱強く待っているお母さん。子どもたちを信頼しているお父さん。こんな両親ほし~い!

長くなっちゃったので、続きます。

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そのまた奥には

元旦。初日の出を拝んだ後、お雑煮を食べて、今度は寒川神社へ初詣に行ってきました。快晴の関東地方。自転車三台を連ねて、快調に飛ばします。今回、森は父ちゃん号でしたが、かなり体重が増えてきたので、来年は四台になりそうです。江ノ島まですいすい飛ばす彼のこと、距離的には問題ないのですが、一部歩道の狭いところがあって今回はパスしました。

毎年恒例の干支の飾り物。今年は丑年。この写真の下はかなりの人出です。

寒川町は農村地帯です。神社のすぐ脇には田んぼが広がり、牛舎もあります。うちの子どもたちは田んぼの畦で「イチゴアメ」をほう張ります。

その後、寒川中央公園へ。ここには小高い丘があるのですが、そこから大山が見えます(下の写真、中央)。不思議な雲を見つけたのでパチリ。大山の左下に寒川神社の大鳥居が見え、まるで大山と雲を拝んでいるように見えます。

お賽銭を上げ、手を合わせたとき、森に「この向こうにはなにがいるの?」と聞かれました。

実家の近くにある越後一宮の弥彦神社のご神体は弥彦山です。

そんなこんなで連想がつながって、寒川神社は大山をご神体としているのではないか、という仮説を立ててみました。

ネットで調べてみたら、寒川神社は相模川と関係が深い治水の神のようで、大山との関連は出てきませんでした。確かに鳥居の向きがちがいます。大山は雨乞いの山なので、大きな循環の中ではつながっているのですけどね。

神が名づけられる前、人は自然と直接相対し、祈ってきました。いまや起源を忘れた私たちは利益のために神社仏閣で祈りますが、元来その奥には自然への畏敬が潜んでいたのです。拝殿の奥にあるものに思いをはせる想像力を、持ち続けていける一年になりますように。

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あけましておめでとうございます

皆様 あけましておめでとうございます。

旧年中は、この気まぐれなブログにおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

今年もどこへ飛んでいくやらさっぱりわかりませんが、お暇なときにでものぞいてくださいまし。日常のすぐ脇にあるやまんば空間へとお誘いいたします。

てんで…

初日の出を見に行ってきました。

初日の出は日が昇るまでがおもしろいと暗い中、出発いたしまして、歩いて10分の海岸に着いたときには、まだ真っ暗。人の姿もほとんどありません。日の出の連続写真を撮ろうと、5分おきくらいにシャッターを切りましたところ、これがさっぱり写ってえやしない。かろうじて写っていた最初の一枚。

地平線がほの明るくなってきました。

真ん中で光っているのは江ノ島の灯台。

これはしばらく経ってから。ぬれた浜辺の輝きに注目。

この二人はだあれだ。

この後当然、初日の出の写真が続くはずなのですが…。調子に乗って、波と遊ぶ森のビデオなどを撮っているうちに、予想外の充電切れ。周りでシャッター音がシャカシャカと響く中、家族4人でじーっと新しいお日様を見つめておりました。ドジといえば、ドジな話ですが、写真撮らなきゃというプレッシャーがない分、純粋に光景に埋没することができました。

それにしても、なんということもない一晩が過ぎただけで、なぜお日様があんなに新鮮に思えるのか。人の心はなにかを区切り、流すという「死と再生の魔法」を本能的に知っているのだと思えてなりません。

以前も書きましたが、わたしは暗闇の中にほのかに光る明かりがとても好きです。闇の中の光、光の中の闇。ふたつが入り交じる魔法の瞬間をいつも心に留めていると、なにげない出来事の中に潜む不思議をよりよく感じることができるような気がします。

それでは今年も

Have a nice Year! (よいお年を!)

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オーナメント???

クリスマスよりさらに時はさかのぼる。

で、そのオーナメントである。11月下旬から12月初旬にかけて、わたしの時間を大量に奪ったあのオーナメントである。

幼稚園のお手紙にはこうある。

愛のオーナメント~母の愛をツリーにのせて~

原文、そのまま(ちなみに今年、父子家庭のお子さまはいなかった)。

我が家で問題だったのは、オーナメントにのせられたのが「母の愛」だけではなかったことにあるのかもしれない。

「わが子のことを思って手作りする」

そのコンセプトは海の幼稚園時代も同じだったから、まあいい。

オーナメントって何だ?という問いには「クリスマスツリーに飾るもの」という答えがついている。

問題はなにを作ったらいいのか、ということだ。

何しろ実用的なお家柄である。ただ「飾る」ものなど、ほとんど思いつかない。何しろ最初はロケット型のエスカレーター(二本のひもで引っ張ると登っていくおもちゃ)を作ろうと思っていたら、ある保護者から「あら、飾るものなのよ」とご忠告をいただいた。

森のすきなもの、といえば、近頃は恐竜かロケットである。で、まず聞いてみる。

「森、恐竜とロケット、どっちが好き?」

聞かれた森は何のことやらわからず、という顔をしていたが、しまいには答えを出した。

「ロケットかな?」

ただし、これがクリスマスと関係あるという伏線は張っていない。

そうして時間はどんどん過ぎ去っていく。あれ以来アイデアの進展はなく、ほんとうにロケットでいいのかという疑問もつのる。ついに面倒くさくなって、わたしははっきり、くっきり聞いてみた。

「森、クリスマス会の時にツリーに飾るの、カアカ作ってあげるけど、なにがいい?」

考えている。まだ考えている。そして森の出した答えは意外なものだった。

「毛糸で作った宇宙」

ひゃ~、ビッグバンかい。ちょっと想像力の限界を超えてしまった。そこで仕方がないので、少しレベルを下げる。

「ねえ、森…。宇宙って形がないからさあ…地球、でいい?」

本当のところ宇宙も地球も区別がつかない森は、ウンと言い、交渉は成立。

わたしの頭には羊毛でできた青い地球が浮かび、これで事態はうまくゆくかと思われた、その夜。相棒に「オーナメント」という言葉を切り出したとたん、待ってましたとばかりの反応が返ってきた。

「もう材料買ってあるから」(えっ、えっ、何の材料)

「いつもぎりぎりになって、ばたばたするからさ」(確かに、そうだけど、そうだけど)

「ロケットと飛行機が作れるようにしてあるから」(ロケット…、飛行機…、ち、地球は…)

しかし、わたしにはわかっていた。いま、「実は地球を作ることにした」という話を出せばどうなるかが。せっかくの親切な段取りを無視して、コロコロ発想を変え、あたりを振り回す、というレッテルが自分に貼られているのはよくよく承知している。わたしにしてみれば、ちょっと相談しただけで気を回して先走りし、その結果、自分の労力がむだになった、と後で怒られてもなあ、と思うのだが…。

わたしの頭は高速でフル回転した。なんとかこの窮地を切り抜けなければならない。

わかった! 地球とロケットを両方作り、それをモビールにしてつるすのだ。

たとえ、手間が2倍になろうとも…。

相棒は確かに材料は用意してくれた。ロケットのデザインにこまっていたら、膨大なページの中から最適な画像を探してくれた。色だって、色だって、相談に乗ってくれた。しかし、実際に手を動かしたのは、すべてわたしだ。もちろん、自分でやれ、ということもできたのだが、もめるより手を動かした方が遙かに楽だと選択したのは、これもわたしだ。

父の愛、はずっしりと重かった。

「愛のオーナメント」はいま、寝室の壁に飾られている。

ちなみに、流木にはめ込んであるキラビー(熱することによって中だけ割ったビー玉)は月のつもり。

おまけ。森がわたしにくれたプレゼント。風におどっているモミジ。

ああ、クリスマス…。

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ろうそく好き

あやしいタイトルになってしまった。一応クリスマスブログなんだけどね。

その証拠に写真を一枚。

ろうそくが好きだ。

暗い中にぽつんと燃える炎が好きだ。

時々考える。わたしが好きなのは、光だろうか。

それとも、それを取りまく闇なのだろうか、と。

クリスマスが近づくと、やたらとろうそくをつける。わたしにとってクリスマスというのはろうそくのためにあるようなものだ。ツリーも一応飾る。リースを作るときもある。今年は幼稚園の作り物におされて、それどころではなかったが…。でもなんと言ってもろうそくが好きだ。

キリスト教に基づくクリスマスのお祝いがこんなに広まっていなかった頃、それは遠い遠いむかし、冬至の祭りというものがあった。ちょうど森の声さんのブログに、それについての

森へ行こう「メリークリスマス」

太陽がその力を失い、消えてしまいそうに思える暗い時を人々が恐れたにちがいない、という想像は容易につく。大いなる暗闇の中に訪れる光を人々はあがめた、と考えることも。

その光がいつしか「御子イエスキリスト」と重ね合わされた、あるいは意図的に重ね合わせていったというプロセスは大いに考えられる。土着の原始宗教を根絶するのではなく、取り込んでしまうのは、世界のどこにでも見られる権力者の得意技だ。もっとも、そのおかげで冬至の祭りは(形を変えて)世界中に広がった。私たちが実は何にあこがれているのか、知らないままに。

わたしは一切の宗教を持たない。わたしと相棒の家は両方とも、お寺に墓を持っているけれど、それはわたしの宗教ではない。わたしが歩んでいくために持っているのは、ホール(whole)システム、あるいはエコシステムとでも言う、「大いなる全体」に対する信頼だけだ。

「大いなる全体」には当然のことながら、光も闇も含まれている。生物も非生物も。

闇を拒まず、光抱くものとしてとらえたとき、世界の真実の姿が立ち上がってくる。

ああやっぱり、わたしは光を抱く闇が好きだ。

Merry, Merry wholyness! (ちょっと遅いけど)

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うれしかったこと

先日、友人と話していて「どんなときにうれしいか」の話題になった。わたしの答えは「幸せでない人(状況)をちょっとだけ幸せにしたとき」で、そんなたいそうなことではなく、つまらなそうな子どもを笑わせたり、だれも話そうとしない話し合いで、さっさと本音を言ってすっきりさせたり、とかその程度のことなんだけど…。

その最中、なんだか話しておきたいことがあるような気がしていた。二、三日前になんだかたいそううれしかったことがあったような気がして、それが思い出せなかった。友人は帰っていったが、わたしの心には何かが引っかかっていた。そのうれしさがいままで経験したことのない種類だ、という感触だけが残り香のように漂っている。枯れ葉が一枚、木の枝に残っていて、飛んでしまえば思い出すのに、なかなか飛ばないといった具合だ。けれども、そのうちひょいと風が吹いた。風は葉っぱを飛ばし、わたしの記憶を戻した。

そう二、三日前のこと…。

近所に古くて大きなお屋敷があった。建物もそうだが、庭がたいそう広く、大きな樹がたくさん植わっている。なかでも桜は見事で、毎年私たちの目を楽しませていた。丈の高い松や柿もあり、カラスたちもよくここの庭で遊んでいたのをわたしは知っている。

そのお屋敷がある日、壊され始めた。ちょうどお屋敷の横が通園ルートに当たっていて、間近に見るパワーショベルの迫力に森は目を丸くしていたが、わたしは複雑な気持ちだった。というのはお屋敷は古い日本家屋で、わたしはたいそうそれが好きだったからだ。それでも建物が壊されているうちはまだよかった。立て替えではないか、という可能性が残されていたからだ。だけどそうではなかった。持ち主は、そこを更地にすることにしたらしく、パワーショベルの爪は樹にも容赦なくかかっていった。最初の桜はあっというまに引き倒され、それだけでもたいそう悲しかったが、二本目の桜が幹と枝の三分の二をもぎ取られながら、そのまま立っているようすは痛々しかった。松が折られ、柿は瞬時になくなり、庭の奥に広がる竹林も掘り返された。そこには小さな祠もあった。すべてが掘り返されても、その桜の木は最後まで立っていた。

ある日、園から帰ってきたときのこと、ようやくすべてが終わりになっていた。機械音があたりをふるわせるなか、森を後ろに乗せて家にむかう。そのとき、顔見知りのお母さんと目があった。彼女とは今年、学級委員会で一緒になった。その中でも役員を引き受け、ばりばりに見えた。子どもが運動部のせいか、長いベンチコートでいつも颯爽と駆け回っている。驚くほどご近所に住んでながら、お互いに存在を意識したことはなかった。このときまで…。

彼女はご近所のおばさんと、私たちがきた方に目をやりながら立ち話をしていた。いつもならただ会釈をして通り過ぎるところだ。けれどもこのとき、鳴り響くパワーショベルの音のなかで、どちらからということもなく、私たちはすれ違いざまに会話を交わした。「桜の木…」と彼女は言った。

「桜の木、どうなりました?」

「あんな姿で立っているなんてかわいそうで、かわいそうで…。もう、いっそ早く引き倒してくれればいいのに…」

このときの気持ちをなんと表現していいのかわからない。彼女はとつぜん見知らぬ人ではなくなった。私たちは同じものを悼んでいたのだ。

もうすべて終わりました、とわたしは答えた。ほんとうに見事な樹でわたしは大好きでした、と。

それだけの会話を交わし、家へむかった。

桜の木がなくなってしまったことは、とても悲しい。来年の春になるとその寂しさはいっそうつのると思う。けれども、そのおかげでわたしは得難い体験をした。一瞬交わした心が、この後どうなるのかわからない。それでもその後、道で彼女とすれ違ったとき、私たちはもう見知らぬ同士ではなかった。

逝ってしまったものは、このように形を変えて心をつなぐ。存在が消えても、それは無になることではないのだ。

ありがとう、桜。

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銀杏と、日比野克彦と

11月30日(日)、なぜか山下公園へ。関内で降りて公園へ向かう途中の「日本大通り」(なんて名前だ)は銀杏(いちょう)の名所らしい。カメラをかかえ、写真を撮る人も大勢。けれど、わたしの目は別な物をとらえた。

路上につぶれている黄色い物。そうだ、これはギンナンだ。あのあこがれのギンナンが、こんなに豊富に。思わず鞄からビニール袋を取りだし、裏返して手にはめる。そう、ギンナンは素手でさわってはいけないのだよ。体質によってはかゆくなるのさ。あいにくビニール袋がひとつしかなかったので、拾いながら、ためるという作業を同じ場所で行う羽目になった。最初は靴で踏んで、果肉を取り外していたが、数の多さにだんだんめんどくさくなり、そのままポイポイ。走行して進んでいるうちに、「ギンナンだまり」とでもいうべき場所に行き当たる。

おお、これは…。しかし、こうなると多すぎて拾いつくす気にならない。おまけに路上カフェが近くてで、さすがのわたしも(多少?)視線が気になる。お客さんはこのギンナンの臭いが気にならないのだろうか。おまけにひとつのビニール袋での作業が限界に近くなってきたので、さすがにここで取りやめる。ふと時計を見る。む、まずい、待ち合わせの時間が…。そこで、銀杏の葉っぱでスケートを楽しむ森に声をかけ、山下公園へ急ぐ。ギンナンを入れた袋はさすがにバッグに入れる気にはならないので、手に持ったままだ。

なぜに山下公園か、そしてなぜに待ち合わせか。それは相棒&海のコンビが、はるばる横浜までサイクリングしてくるのと落ち合うためだ。海の中学への入学祝いで(四ヶ月以上、先なんだけどね)買ってもらった新しい自転車の試運転も兼ねている。

待ち合わせはマリンタワーの前。予定の時間を二十分近く過ぎたが、無事、合流。そこでおもしろいイベントを見つけた。「船は種」という日比野克彦氏のワークショップだ。来年の横浜開港150周年に会わせてのイベントらしい。

「船はアサガオの種に似ている」そうだ。なるほど。公式HPもあるけど、制作過程がよくわかるのでスタッフブログ。「船は種スタッフブログ」

だれでも参加できる制作コーナーもある。当然、中に入りたがるこども、とわたし。だが時間が早すぎて×。

くやしいので、ちょっとパフォーマンス。背景は、ただのコンテナに色テープを貼ったもの。

お昼を食べ、海&相棒コンビは帰路へ。ご苦労様。森&わたしは、ふたたび「船は種」コーナーへ。今度こそいっぱい遊んで帰りました。この日は日比野さんもいらしていて、何気にお話ししてしまいました。こどもしか船に入っていなかったので、「大人も乗ってもいいですか?」と声かけ。そしたら返事が

「どうぞ、どうぞ。なかで昼寝してもいいですよ」

船底に入ったらほんとにスタッフの人が仮眠をしていました。まるで徹夜のような作業あけだそうで…。最初オブジェとして自ら展示されているのかと思ってしまいました。少し話したけど、ものを作る意気込みに燃えている若い衆というのは気持ちがいいです。おばさんくさい感想ですが…。

「船は種」プロジェクトはこれからも各地へ。新潟にも行くそうです。そこでまた船たちに会えるかな。

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劇するでえ(賢治の楽校・四)

「賢治の楽校」というくらいだから、賢治の劇をやることが中心にあるはずだ。けれど、わたしは長いこと賢治の劇はやらなかった。初めて参加してから、かれこれ四年くらいは別のことをしていた。

というのにはワケがある。

賢治の童話を劇にするのは、考えようによってはむずかしい。あまり幼い子にはつかみにくいし、人によってはちょっと抵抗があるかもしれないし。それと70人以上の参加者でひとつの劇をすると、関わる人数がたくさんになってしまう、というような理由から当時は劇をふたつやっていた。わたしはそもそものはじめから、その「もう一つの劇」のまとめ役をたのまれていたのだ。

実はこんな経緯はすっかり忘れていた。森の声さんは「あらあら、会っていくらもたたない人をこんなに信用していいのかい」という気楽さで、もう一つの劇をぽんと任せてくれたのであった。

この入口はわたしにはたいそう都合のいいものであった。もともと物事に対して真正面から取り組むのは苦手だったので、「賢治の劇をやりましょう」という誘われ方をしていたら、断っていたかもしれない。

「好きにしていいですよ」

このときすでにわたしの一回転した(ひねくれた、ともいう)根性を見抜いていたかのような森の声さんの声かけにより、現在のわたしと賢治の楽校の関わりがある。

初めての年になにをやったか、どうしても思い出せない(「はだかの王様」だったっけ?)のだが、つぎの年からははっきりとおぼえている。

「こぶとりじいさん」「さんまいのおふだ」「世界で一番やかましい音」(一年にひとつずつ)

もう一つの劇に求められていたのは、「わかりやすく」「おもしろい」ことだったので、演出も思い切ったことをどんどんやった。もちろんわたしがひとりで決めるということではなく、みんなのアイデアを自由に出してもらう。要は「もう一つの劇」の方に集まるのは、「賢治の劇はちょっとむずかしいなあ」という人の他に、「あまり真正面から賢治の劇に取り組みたくないなあ」という人たちもいて、「むこうがまじめなら、こっちはめちゃくちゃ」という変なやる気に満ちあふれていたのだ。

どのくらいむちゃくちゃだったか言葉で説明するのはむずかしいが、ちなみに「こぶとりじいさん」でわたしがやった役は「鬼の宴会にお酒を届ける酒屋さん」だった。

「役者さん」も強烈なインパクトを与える人が多く、悪いじいさん、ばあさん役はこの年がデビューのD少年とフラメンコもするOさんだった。ちなみにD少年はこれから数年間にわたって、賢治の楽校のムードメーカーの一人になっていく。

「さんまいのおふだ」では巨大な「おふだ」が舞台を走り、わたしはちょうど妊娠八ヶ月くらいだったので、「ふくれたモチの役」をやった。

この年で特筆すべきはマルセ太郎さんの弟子に当たるご夫妻(正確にはお弟子さんなのは奥様だけ)が参加していたことで、本筋と絡めてひとこまコントをやってくださったのだが、その切れ味には一同大爆笑で、このときほど、別のグループに所属して一観客として鑑賞したかったと思ったことはない。

「世界で一番やかましい音」では、なぜか「おしゃべりな奥さん」の役に扮してくださったお父さんがいて、その迷演にびっくりさせられた。それとこの劇では時計が重要な役割を果たしているのだが、初めて参加された手足の長いお父さんが、息子さんと一緒に、その手足を生かして時計の役をされたのが、とても印象に残っている。この方は後に「火の仙人」さんと名づけられ(勝手に名づけてすみません)、ながく森の声さんの活動に関わることになる。

書きたいエピソードはたくさんある。けれどすべては書ききれない。また他の人は他の人でまた印象に残っていることがあるだろう。そんなあれもこれも聞いてみたい、と思いつつ、今回はここまで(記憶ちがいあればご指摘ください)。

(続く)

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続・どんぐりの家(賢治の楽校三)

「どんぐりの家」は古い木造校舎である。もちろん内部は宿泊施設として改造され、お風呂もあるのだが、建物の枠組みはいじられていない。なが~い廊下や、つるつるの階段はまるで子どもたちが走りまわるためにあるみたいで、いつでも誰かがドタドタやっていた。八ヶ月の森も最後の年に、ここでハイハイさせてもらった。

校舎を出て森の中の小径をたどると、渓流沿いにキャンプ場がある。そのキャンプファイヤーをするための広場で、毎年賢治の楽校の劇は行われた。わたしはこの森と渓流が何よりも大好きだった。もっともそれはわたしだけではない。多くの子どもたちが到着して荷物を放り出すと、すぐ渓流にむかった。こどもだけで川へ入ってはいけないことになっていたから、もちろんわたしも。なかでもこたえられないのは、泊まった翌朝、昆虫採りの子どもたちが眠い目をこすりながらちょうど布団にもぐり込むころ、入れ替わりに誰もいない川に行くことだ。幸い、うちの子どもたちはよく眠るし、相部屋だったから泣けば誰かが知らせてくれる。子育て中の念願、「こどもをおいてどこかへ行く」がこんなにやすやすと実現できる場所はほかにはない。

そこで朝の気を浴びる。渓流で水をすくい、顔を洗う。それだけの儀式で魂の奥がすっと澄む。古びた森の、苔むした樹と岩の気配。広葉樹の繊細な樹影が形作る渓流のトンネル。神座(かみざ)ということばが頭に浮かぶ。昔々、神は確かにこんな森に降りたったのだろう。

もう行けない場所のことを描くとき、わたしは魂のまるごとをかけて、その場所を言霊で顕現させようとする。だから多少大げさだな、と思われた方もいるかもしれない。でも、わたしにとってはそんな場所だったのだ。

あの場所がなくなってしまってとても悲しい。

以前、「賢治の楽校」のことを考えたときに、思い当たったことばがある。それは「魂の実家」ということばだ。わたしの父は海が生まれる直前に他界している。それに加え、ちょうど母が体調を崩し、下手をすると生まれ育った家がなくなるかもしれないという考えに至ったときのことだ。わたしは考えた。

「生まれ育った家がなくなって、帰省ができなくなったとしても、『どんぐりの家』があるじゃあないか。ここに集う人は血縁ではないけれど、きっと魂でつながっている。一年に一度、ここで出会うことで、ここは『魂の実家』になる」と。

その場所がなくなってしまうとは、このときのわたしには想像もし得なかったのだ。(続く)

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どんぐりの家(賢治の楽校・二)

JR東海道線国府津駅から大雄山線に乗り換え、終点まで。そこからさらにバスに揺られること二十分あまり。そのようにして私たちは導了尊のバス停に降りたった。圧倒的な杉林のなかだ。「賢治の楽校」の宿舎である「どんぐりの家」は、ここからさらにひとつ山を越えたところにあるという。

「登るぞ」とわたしは海に言った。いまは思春期の坂道を登っている海も、当時はまだ4才。真っ赤なドラえもんのリュックを背負った、かわいい幼稚園の年中さんである。かたやわたしは久しぶりに押し入れから取りだしたアメリカ滞在時のバックパックに、荷物をコロコロに詰め込んでの登坂だ。あたりには誰もいない。どうせバスでだれかと一緒になるさ、とろくに地図も見てきていないわたしには、この道が正しいのかどうか今ひとつ確信もない。だが母親を信じることしか知らない娘につぶつぶな瞳で見つめられては、「道に迷っているかも…」というそぶりなど見せるわけにはいかない(ちょっと八年まえの海ちゃん、美化しすぎかなあ)。

いいぞ、とわたしは思った。こういうワケのわからない状況は大好きだ。身体じゅうの末端神経が、正しい道を求めていっせいに花開くのを久々に感じる。ワケのわからなさの中に道を探り、ワケのわからなさを超えて道を開く。正しく、これが「生き甲斐」ってやつだ。

初回のこのとき、この道は魔法の道だった。巨大な杉が柱のように生えている道は、しみ出した水と、堆積した杉っ葉で足場がいいとはいえない。ときおり海の足が止まる。道が急なのと心細いのとで、泣きそうにも見える。杉は巨きい。海は小さい。巨大な存在とともにあるとき、人の可愛さはいや増す。きりがないと思われた登り道にもようやく終わりが訪れる。つぎは下り。下って、下って、下る。山道を下りきった先は、コンクリートの道。

そこから風景が一転する。強い日ざしに焼かれた道には、影が黒々と形を描く。その影をたどるように、カーブの続く道を歩いていく。それでも真夏というオーブンで焦がされて、背中が汗だくになったころ、川の音が聞こえてくる。道とひと続きになっている小さな橋を渡ると、目のまえはもう「どんぐりの家」だ。(続く)

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賢治の楽校

この週末に「少年の森」で開かれた「賢治の楽校」に行ってきた。「賢治の楽校」とのつきあいは長い。海が年中の時から参加してきたので、数えたら八年目になる。その間、森を産んだが妊娠中、出産後とも休まなかった。だから森は10ヶ月の時から、参加しているということになる。いや、正しく言えばおなかの中にいたときからだ。

「賢治の楽校」とは友人が長年続けてきた宮沢賢治の劇遊びを主体とする集まりで、今年の様子は友人のブログに載っている。詳細はそちらを見てほしい。

ブログ「森へ行こう」

http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/200811160000/

八年の間には人も変わり、場所さえも変わった。けれど変わらないことがひとつあり、それが私をこの場に参加させ続けている。もしかしたらまた数回に分かれてしまうかもしれないけれど、ひとつの節目である今年に、それを改めて考えてみたい。

「集団の創造性」という言葉をひとつ出してみる。

人の集まりは昔からきらいだった。おぼえているかぎり、幼稚園のころからだ。大好きだったかわいい女の子を、意地悪なあの子にかっさらわれてしまった記憶だけが、やけに鮮明に残っている。小学校から高校にかけては、勉強という逃げ場があったから、少しましではあったものの、特に女の子の集団はとにかく苦手だった。

この苦手意識の根本は、ようするに集団の表面と深層が違うことにある。表向きは仲のいいあのことあの子が、実は陰口を言いあっているなど日常茶飯で、自分に関して言えば、たいてい尊敬だかねたみだかわからないものが一緒くたになってやって来て、たいそう疲れた。幸い(というか)高校を卒業してからは、なんだか壊れた(ドロップアウトした? 規格外の?)集団にばかりいたもので、しばらくそういう「集団の縛り」からは無縁だった。ただ、いま考えてみると、なんだか世界の片隅で余暇をとっていた気がするのは、「いま」という地点から遙か遠い昔をながめているからかもしれない。それなりに、のたうち回っていたんだけどね。

その「集団」観が変わったのは、やはりアンナのところへいってからで、これも言葉を換えて何度も書いているが、「それぞれが自分であるほど全体が豊かになる」体験を徹底的にしたからだ、と思う。文化的な違いはあるだろう。「西洋個人主義をベースとしたカリフォルニア風ニューエイジ」とでもまとめてみようか。そこでは自分のなかの「怒り」や「悲しみ」でさえ、抜けものにされることはなかったのである。

で、帰国。着陸地点は悪くはなかった。相棒と出会い、海も生まれた。そして自著の出版を契機として、「賢治の楽校」を主催している森の声さんと出会う。この辺の事情は以下の記事にまとめてある。

乳房をもった男(オンブレ・コン・ペチヨス)

最初の出会いで、すでに「賢治…」のチラシはもらっていたような気がする。なんだかんだいっても、やっぱり息苦しかったのだろう。行き先もわからないまま、わたしはもがき、出会ってすぐの森の声さんの誘いに易々と乗った。そして4才の海をつれて「賢治の楽校」に参加するのである。

ああ、やっぱり続く、ですね。

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終わった…(後半)

きれいに染めあがった糸があって、石が包めてもそれだけではペンダントにならない。この空白を埋めてくれたのが、海であった。久しぶりの登場だから解説しておくと、海とは小学六年生の娘で、この間までミサンガ編みにこっていたというキャリアがある。想像しやすいように説明しておくと、石包みの後、糸は8本になり、それを左右4本ずつ分けて処理する。問題はそれからだったのだが、右に4本、左に4本の糸をどう絡めたのか、いつの間にかなにやらりっばな組み紐ができている。

「こんなんでどうかな…」

いつの間にか、親のできないことができる娘になっている。こんな時ほど、育って(育てて、じゃないのよね。)よかったと思うことはない。海ちゃん、偉い!

しかし、性格なのであろう、海の組み紐はしっかりしすぎていて、そのまま最後まで編むには重すぎる。そこで二人並んで初めての「4つ編み」(三つ編みの一本多い版)に取り組むことになる。

今回のペンダント作りで一番おもしろかったのは、このあたりだ。この年になって、子どもと一緒に何か新しいことを覚えるということはそうない。子どもには勝てないって? イヤイヤそんなことはない。こういうときは私も子ども。二人で頭をひねりながら、夢中になって覚えた。

これでできあがり? 実はまだだ。自分で使うなら、ここまででじゅうぶんだが、売り物としては留め具部分を何とかしたい。しかもあんまり資金を投入せずにだ。

サイズ調整がきく、一番簡単なペンダントの結び方は、お互いの端をもう片方のひもに結びつけることだ。すると、二人の人間がたがいに手首を握るような形で、留め具になる。これはやってみた。ところがひもが4本どうしなので結び目がゴロゴロし、あまり見かけがよくない。そこでまたテキストをひっくり返し、そこにでていた編み方を一部ちょうだいする。テキストどおりに編むことにはあまり興味を覚えないのだが、パクリは得意。端末を重ねて、別のひもで平編みする。この平編みするひもにだけ、ちょっぴりお金をかけた。そのとき購入した革ひももどきの色が強すぎる、と後で海からおしかりを受けたが、私としてはうまくいったと思う。

写真でお見せできればよかったのだが、あいにく作ったものはすべて売ってしまった。そのうち自分のために作ったら、そのときは忘れずに写真に撮っておこう。

さて、結果的にはうまくいったペンダント作りなのだが、ひとつ大きな問題があった。それはおよそひと月というものペンダントのことしか考えなかった結果、文章を書こうという欲求がわかなくなってしまったことだ。これは大、大、大問題だ。

バザーを終えた後、考えた。不器用でよかったな、とつくづく私は思った。手先が器用で、何でも作れる人のことをうらやましいと思っていたが、その分の私の創造性は文章となって流れ出している(と思う)。時間も創造性も無限にはない(天才はどうか知らないが…)。だったら自分にしかできないことをやろう。それがたとえ石を削るようなかすかな試みであっても。

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終わった…(前編)  

「終わった。なにもかもが」というのは、漫画「あしたのジョー」で力石徹がジョーを倒した後、最後にはく台詞です。

私の場合は何が終わったかというと、幼稚園のバザーでした。たかがバザー、されどバザー、まさにこのために2週間以上ブログの更新ができませんでした。恐るべしバザー。再会の手始めに、なぜそのようなことになったか、少しじっくりと書いてみましょう。


我が園のバザーは園庭では行わない。昨年からの試みではあるが、中央公園の「ふれあい祭り」に出店するという形で行われる。やらなくてはならない、というものでもないと聞かされていた。あくまでも保護者の意志に任されている、という設定。今年もこの設定は、くつがえされることはなかった。ただ明確な話し合いの場があったわけではない

内容はリサイクル品と手作り品。私にとってのネックはなんといっても、この「手作り品」。「からだしごと」は得意でも「てしごと」は…、と思っていた。「手」も「からだ」の一部なんだけどね。

だったら手を出さなければいいじゃないか、と思う。でも何となく、くやしい。この負けず嫌いのせいでいつも「どつぼ」にはまる。

悩んだ末に思いついたのが、前から興味のあった「ネット編み」。いずれ冒険あそび場でハンモックをつくるときにも役に立つだろう技術だから、覚えておいて損はない。いままで作ったこともない、作り方もいまから調べる。バザーまで約ひと月半。普通、この時点でゼロからスタートする人は滅多にいないと思う。

幸い、友人の貸してくれたヘンプ編みの本の中に「石包みのブレスレット」が乗っていた。これを見て石の包み方をマスターする。ここでようやくイメージが固まってくる。石包みをトップにしてペンダントを作ろう!

つぎの問題は材料費が出ないことであった。まあ、バザーで、基本的には持ち出しなのだがらかまわないのだけれど、低空飛行で生活をしているものにとっては余分な費用をひねり出すのも楽ではない。日頃から「てしごと」好きな家庭なら、転がっているであろう手芸材料ひとつ、うちにはない。そこでまた冒険あそび場アイテムの活躍。私は「たこ糸」を手に取った。しかしこのまま編んだのでは、いかにも「たこ糸」である。果たしてこんなものを人がお金を出して買うだろうか?

ここで、能登半島の妹から届いた荷物に、大粒の栗が入っていたのをふと思い出す。そしてそれに、偶然、友人から聞いた会話の一節がシンクロする。

「栗渋で染めてもきれいなんですよぉ」

なぜ、いま、それを思い出してしまったのだろう…。私の無意識は、時々私に酷だ。

というわけで突然栗を「渋皮煮」にすることを思い立つ。もちろん、やったことはない。ネットで調べる。で、やる。

幸い、一番の難関だと思っていた、「栗の渋皮を傷つけないようにして鬼皮だけをむく」プロセスは、勤勉な小学生である娘とその友人によって解決された。そうして栗は「渋皮煮」にされ、濃い色の汁が残る。で、染める。

とてもきれいなピンク色。うれしい、うれしい、やっぱりうれしい。

いっておくけど、別にこんな苦労しなく経っていいのである。てしごとができないからって、誰も何も責めたりはしない。けれども、一度動き出した私の「物づくり機能」は、行き着くところまで行かないと止まらない。(続く)

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満二歳

先月、誕生日を迎えた。実際の年の話はまあ、おいておこう。大切なことは「やまんばさん」になってからもう2年が経った、ということだ。

昨年4月、このブログを始めたとき宣言したように、一昨年の誕生日以降、私は人生の半分を終え、そのことをはっきりと自覚するために「やまんばさん」になった。それから毎日、楽しい。なぜなら私は新しく生まれて、毎日育っているからだ。さしずめ、いまは2才というところ。

ご存じのように2歳児はギャングエイジだ。やりたいことは何でもやってしまう。例えば?

・森の入園を機に、海の方のPTA役員を引き受けた。まあ、仕方がない。月一回の会合があるのだが、行ってみて驚いた。毎回お茶が飲める。しかも紙コップだから、毎回20個以上は消費する。。そのくせ「ゴミは持ち帰り」です、といわれるので考えた。マイカップを持って行くことにしたのだ。本当は話し合いをするのに、お茶なんかいらないのだが、それを言ってしまうととげが立つ。そこで、マイカップ。ささやかな抵抗というやつだ。そんなことでも波風が立つ。好意的な声もあれば、冷たい視線もある。でも、2歳児だから頓着しない。そうし始めてから数回過ぎたころ、おもしろいことを発見した。会議が始まって、ずらりと並んだ紙コップの中に、ひとつピンクのマグカップを見つけた。

ふふふ。三月までどうなるのか、じっくり見届けてやろう。これでようやく毎回出席する楽しみができた、というものだ。

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分けること、つながること

分けることが悪いこと、というのではありません。分けることは認識することだからです。だから「分ける」と「分かる」は同じ音なのです。言葉を発することは「分けること」です。赤ちゃんが混沌とした世界の中から、自分に触れる優しい存在を見分けて「あ、あ(=はは、まま)」と口にするのが、言葉の始まりの風景です。多くの言語で母を表す音が、一番口にしやすいのは、おそらくそういうわけです。

この「分ける」働きが、人間を他の生き物から隔てる最たるものです。人間はこの星で、有機的なつながりを断ち切ることのできる唯一の種です。その力は一方では「文明」を推し進め、社会を変化させてきました。おそらくその力なくしては、このようなコンピューターも発明されなかったでしょう。けれど「分けて、分けて、分け続けたこと」の代償を、私たちはそこかしこで払い続けています。いまやほとんどすべての空間は名付けられ、価格すらつけられています。宗教と宗教、国と国とが分けられ、戦いが起こります。ひとの生きる時間もいつの間にか区切られ、人はある日を境に自分が「後期高齢者」という枠の中に投げ込まれているのを知るのです。「分けること」は力ですが、「分けられる」ことは、時として痛みを伴います。

宇宙に生きる生命として、すべてとつながっていたはずの私たちは、その記憶をすっかりなくし、誰かによって「分けられた」枠の中で、他人の枠をうらやんで生きています。いや「うらやむように」仕向けられて生きています。

もう、そこから抜け出しませんか?

枠を壊す方法はいくつもあります。その中には、一見即効性がありそうで、その実、自分や他人を傷つける方法もたくさんあります。「戦争」「革命」「殺人」「自殺」等々…。でも私はその方法は選びません。

「笑い」は効果的な方法の一つです。「遊び」もそうです。ただし、私たち(ここでいう「私たち」とは、とりあえずいま日本社会に生きている人)の本能の衰退は行くところまで行ってしまったようで、枠を揺るがさない、自傷行為に近い「笑い」や「遊び」が、目につくようになってずいぶんになります。

本来の「笑い」や「遊び」には、枠を揺るがし、解体する働きがあります。アメノウズメの踊りによって引き起こされた神々の笑いが、天照大神に天の岩戸を開けさせるきっかけになったのは、「笑い」の原型ともいうべき出来事でしょう。

「遊び」の可能性に着目した人物は、過去にもたくさん存在したでしょう。ここではその一例として「良寛さん」をあげておきます。良寛を研究している人はたくさんいますし、私は語るに足るような知識など持っていないのですが、なぜか身近に感じていました。それにはいくつかのわけがあります。良寛が晩年を過ごした「五合庵」は、実家のすぐ近くでした。遠足にも行きましたし、近年では町おこしの一環として、市内の各所に「良寛の道」や「良寛の碑」が建てられました。けれどもおそらく一番の理由は、偏屈を絵に描いたような父親がいつも「良寛はいい。良寛はすごい」とつぶやいていたことだと思います。本来の「遊び」は枠を溶かし、つながりをつくり変えます。良寛という人物はラディカルな思想家だったのではないか。この予感はいつか検証してみることにして、また次回に続きます。

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つながりの歴史

以下の文は、夏休み最後のキャンプ「ペガススの家」で過ごした仲間たちのメーリングコミュニティ向けに書き始めたものです。そのコミュニティは役割を終え、閉鎖されました。そこで最後に話されていた問題は、「ありがとう」と言いあう関係の可能性についてでした。これは私なりの論点でその問題にアプローチをしたものです。途中だったことと、私にとって生涯のテーマと言えるものを含んでいるので、ブログにてまとめてみたいと思います。


「縄文論争」(講談社選書メチエ)という本があります。よく縄文と弥生の違いは「稲作をしていたかどうか」といわれていましたが、この本によると、縄文時代にも稲作は行われていたそうです。ではないが違うのか。詳しいことは読んでいただきたいのですが、要するに「稲作を特別なものとして支配と結びつけた」(この辺の表現もうろ覚え)ことが、縄文と弥生を分ける一番の違いだそうなのです。

それはどういうことかというと、縄文時代には「粟」も「栗」も「稲」もみーんな同じでした。それぞれはそれぞれに大切だったと思います。でもここで「区別」が生じます。「神の植物」と「その他の植物」です。「神の植物=稲」は特別になります。稲の魂を司るひとが一番偉い」となるのです。

「より大事なもの」が生まれることによって、それ以外の「大事でないもの」が生まれます。日本という社会に、全体的で有機的なつながりを絶つ、最初の一撃が下されたのはこれほど昔のことなのです。

だからこの社会は読みにくく、複雑なのです。

アメリカン・ネイティブが、コロンブス以降に経験したことが、縄文時代末期の人に降りかかったと想像するとわかりやすいかもしれません。

でもその縄文共同体のつながりはすぐに壊されたわけではありません。支配層といっても、はじめは少数でしたから。「倭国」なんていってもせいぜい近畿地方までです。けれども、いったん生まれた流れは着実に進んでいきました。ヤマトタケルの伝説が、土着共同体の破壊の足跡であるように。ある意味、この国は表の弥生、裏の縄文をうまくかみ合わせてなり立ってきた国なのだと思います。けれども裏の領域は徐々に狭まっていきました。それはある意味で自然が犯されていく過程と、足取りをともにしていたのでしょう。

江戸時代に日本は統一された、といいます。身分制度という「区別」がきわまったのもこの時代です。しかし社会にはまだ「隙間」がありました。厳しい区別を補償するように「何でもありの空間と時間」が残されていたからです。時間的には「祭り」という形をとったり、空間的には「そこへ逃げ込めば」おとがめなしの、あるいは女性が離縁できるような場所がありました。

このあたりは網野義彦さんの「日本の歴史をよみなおす」(筑摩プリマーブックス)で簡単に読めます。子ども向けの本ですので、ぜひ目を通してみてください。

近代、特に第二次大戦に負けてから、社会には新しい「区別」がしかれました。「能力主義」という「資本主義」に基づく考え方は、最初はとても自由に思えました。生まれつきは関係なく、能力次第で何でもできる、という触れ込みだったからです。教育もそのように変えられました。私たちはいまそれが極まって、ほころびが出てきているのを目の当たりにしています。自由になれるように、よい暮らしができるように、「何でもできる」「人よりできる」ように育てた子どもが、親を殺す時代です。

「勝ち組・負け組」のように人は区別され、孤独な箱の中に入れられます。つながりをはぐくむ方法を教えられないままに。

いったい誰がそんなことを望むのでしょうか。

これは「能力主義」でも「身分制度」でも同じなのですが、区別すると人はおもしろいようにいがみ合います。今のところの研究では、縄文時代に人間同士の闘争で傷ついた人骨は出土していないそうです。犬も家族の一員として埋葬されていた遺跡もあるそうです。縄文時代がかれこれ1万年以上続いた秘密は、こんなところにあるのかもしれません。

私は起こってしまったことを否定するのではありません。いまの苦しみを解決するためには、本当のところ何が起こっているのかを見極める必要があると思うだけです。

いろいろ考えました。頭で、心で、身体で考えました。それでその結果、私は遊ぶことにしました。「踊って、遊ぶ」のです。(続きます)

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冷蔵庫の終わり、夏休みの終わり

31日のキャンプから帰る途中、携帯がなった。相棒からだった。冷蔵庫が壊れたという。御年30歳の立派な冷蔵庫だ。今年は暑くなってから、いままで聞いたこともないような音を発していたので、そろそろかなとは思っていた。しかし、何で「いま」なのだ。夏休みの長~い「すごろく」をようやく駆け抜けて、キャンプの思い出とけだるさに浸っていた「いま」なのだ。まるでゴール寸前で、「ふりだしに戻る」という目を出してしまった哀れなプレイヤーのようだ。

家に帰るやいなや疲れた身体にむち打って、電気量販店へ。けれど配達は三日後。三日間、冷蔵庫のない生活をするのだろうか。足取り重く帰り着いた私は意外な事実を発見した。冷蔵庫はまだかすかに音を立てていた。そしてかすかに冷たい。少なくとも常温よりはずいぶんましである。そして冷凍庫は、徐々に氷が溶けているものの、冷蔵庫くらいの冷たさは保っている。

「がんばってるね」と相棒にいう。「老衰だからな」と彼。そうだ、これは事故死や病死ではなく、冷蔵庫の老衰死。寿命の全う。

ありがとう、冷蔵庫。ありがとう、真夏に壊れないでくれて。キャンプが、いや夏休みが済むのを待っていてくれたんだね。

というわけで、私は腐りやすいものから冷凍庫に移し、後はだめになりそうな材料をふんだんに使った料理を三日間つくりまくった。子どもたちの大好きな牛乳も、飲めない生活になるかと思ったが、開封していないのを冷凍庫に保存し、朝に飲めなかった分は、種を入れヨーグルトにしてしのいだ(冷凍庫には立てて、入れられないのです。何せ30年前)。そして次の朝はまた新しいのを空けた。それでも冷蔵庫から徐々に冷えなくなっていく。心配してくれた友人が大量の保冷剤を持ってきてくれたので、最後の一日は、それを数個ずつ冷蔵庫に入れて、保冷した。まるで昔の氷を入れた冷蔵庫みたい(さすがに体験したわけではありません)。

そして今日、晴れて冷蔵庫が届き(まだ冷え切ってはいないけど)、我が家の非常事態は終結した。終わってみると、非常事態もおもしろい。アイスもない、氷もできない状態に最初はぶつぶつ言っていた子どもたちも、麦茶が「冷えている」というだけで、感激してくれる。そして保冷剤で冷却した、一日一本限定の缶ビールのおいしかったこと。

「ないこと」は貴重だ。「ないこと」が「あること」を輝かす。その輝きがすぐに薄れてしまわないようにするのには、少々の心の鍛錬が必要だけれど。

さあ、今日は心おきなく、ブシュッと缶ビール!

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地球のおへそ

アウトリガーカヌーを体験する機会があった。正確に言えば「6人乗り大型アウトリガーカヌー」だ。森の幼稚園の夏休み企画だから、主な対象は園児たちなのだが、親たちの方が張り切っている。兄弟姉妹、いとこはもちろん、卒園生とその家族も集まって、浜辺はにわかにかしましい。

アウトリガーカヌーというのは、船の安定性を高めるために、片側に浮子(うき)をつけた船の総称だ。このタイプの船の歴史はとてつもなく古く、東南アジアや太平洋の島々にモンゴロイドが住み着いていったときの交通手段でもあったのではないか、といわれているくらいだ。大地に生きるモンゴロイドを目指す私としては、是非体験してみたいものだった。

ここ湘南地区でも、数年前から目につくようになった。海は数年前のアースディのイベントで一度乗せてもらったことがある。このときは森が(本当に)小さかったので、私は浜辺で待機。くやしい思い出である。

今回のイベントを支えてくださるのは、日頃からアウトリガー活動を続けている「Rainbow PAPAS-shonann」の面々と、その師匠たちだ。前と後ろをベテランで固めてあるので、私たちは気楽なものだ。海など、大きい子どもたちはパドルを持ったけれど、森たち園児はお父さん、お母さんのお膝の間。そしてもちろん、目指すはえぼし岩だあ。

とはいえ、まずはパドル(櫂)の握り方から。リバー・カヤックが両側に櫂がついているのに比べ、アウトリガーのパドルは片側のみ。かわりに先端がT字型になっており、まずはそこをがっちりと握る。もう片方の手はパドルから10センチくらいのところを軽く握る。これでできあがり。こぎ方も教えてもらった。両腕を伸ばして、上部の拳を額の中央に掲げると、自然とパドルが傾斜する。そのまま身体の中心軸に沿って、上の拳をおへそのあたりまで引き下げる。下の手はその動きに従う。そしてまた手を引き上げて、パドルを戻す、その繰り返しだ。こぎ手は前から左右入れ違いにパドルを持ち、10数回こいだら、キャプテンの合図で一斉に左右を交換する。

一回しか聞いてないので、間違ったところがあったらごめんなさい。テーマパークなどでリバー・カヤックになれている海は、最初は動きの違いに戸惑っていた。両腕で櫂をさばく感じのあるダブルパドルとは違い、シングルパドルは腕をひねらず、垂直に引き下げる。それが結果としてパドルの動きにつながる。実におもしろい。「動きフェチ」の私としては、こんなところにひそかに感心していた。

当日は波もなく、ありがたい限り。Tバーを回り込み、後はえぼし岩まで一直線。進路などは前後の方に任せ、私たちはひたすらこぐのみ。膝の間の森は恐がりもせず、時折こぎたがって手を伸ばしてくるが、まだこちらも調子がつかめないので、パドルは渡せない。こぐ、こぐ、ひたすらこぐ。単調な動きの繰り返しって意外と好きだ。キャプテンの声にあわせ、前後のひとに意識をつなぎ、一体となるように念じてこぐ。そんな繰り返しの中、一つのイメージが私に浮かぶ。

「櫂をこぐ」のではなく、「額の手を垂直にへそまで引き下げる」動きに集中した方がうまく漕げるのだ。このやり方だと、身体の軸がぶれない。両足で船底をしっかり踏みしめておけば、上半身にかかる負担を減らすことができるので疲れない。「へそまでまっすぐ、へそまでまっすぐ」心の中でそう唱えながら、何回左右のチェンジを繰り返したことか。そのうちに身体の軸が伸び、私のへその先、遙か海の底のそのまた奥に私は確かに地球の中心を感じた。そんな、バカな? でも、そうなのだ。額から垂直に下げた拳が、へそを超えてさらに地球のおへそまで下がっていく感覚をつかんだとき、アウトリガーカヌーを漕ぐという快感にほんの一足近づけたような気がした。「みんなで一体」のその先にあるもの。

えぼし岩が見えてきた。キャプテンの合図でパドルを止め、しばし漂う。海鳥がいっぱい見えたね、森くん。ご厚意に甘えて、カヌーから飛び込ませてもらった海くん。透明な海で泳ぐのはいいものだろう。

帰りも漕ぎに漕いで、とうとう相方の船を抜いた瞬間(抜く必要ないんだけど、本能だよね)、私はパドルを森に渡した。森の手はまだまだ長さが足りないが、下側の手を私が補助し、上の手だけに集中させると意外と何とかなる。そして船はとうとう海岸に着いた。この間わずか30分。

翌日キャンプを控えていたので、すぐに引き上げてしまいましたが、準備、後片づけ、指導と本当にいろいろありがとうございました。

やっぱり自然の懐で遊ぶのが最高!

とはいっても、翌日背中は痛かったなあ。

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終わったものと始まるもの

夏休みの折り返し地点もようやく過ぎた。7月27日の冒険遊び場が終わってからも、なんだかぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅうと濃い日々が続いていた。もっとも夏はいつもそうだ。脳がほどよく沸騰して、あまりものを考えることができず、暑い季節の中をもがくように生きていく。きらい、ではない。むしろ好きだ。入道雲はあくまで白く、影はあくまで黒く、汗ばむからだも、子どもたちの(うるさい?)声も、生きているという実感をいやがおうにも高めてくれる。

そんな中で過ぎていったもの。

森の手足口病、たまごのおはなし会、花火大会、梅干しウィーク、おうちキャンプ、えぼし水泳講習、ポラン通信の最後の原稿。

死んでいった命。

カマキリ一匹、バッタ多数、ザリガニ二匹。蚊は無数につぶした。

どれ一つとっても、ブログのネタになりそうな出来事だったにもかかわらず、書き始めることもできなかった。そして昨日、ようやく久しぶりの本当に何もない日が訪れ、駆け足の日々の間にたまったそれぞれの憂さを晴らすように、家族全員で衝突しまくり、そして…後半戦がやってくる。

これから来るもの。

アウトリガーカヌー体験、サイクリング・キャンプ、おうちキャンプ第二部、待望の帰省、そして最後のとどめが…「ペガススの家」お泊まり会。

うわあ、めっっちゃ濃い。体力、持つだろうか。

それではまた、息がつげるときにお会いしましょう。

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プールへGO!

いつも愛用していた「カラスプール」(ギャラリーがカラスばかりなので、うちではこう呼ばれている)が今年は使えない。昨年の台風で壊れたまま、砂にまみれている。仕方がないので、今年は海の幼稚園時代に通っていた「浜須賀プール」をうちのプールにする。距離が約2倍に増えたのが難点だが、今年から森は自分の自転車で行くので、私の負担は軽い。

何しろプールは楽だ。陸上生活よりも、水中生活が適しているのではないかと思われる海は、ほっといてもどこかで泳いでいるし、一応水の中で息が止められるようになった森は、水中メガネさえあればジャボン・バシャバシャ(泳いでいるつもり)を永久に繰り返している。おまけに今日一緒に来た海の友達は面倒見のいい子で、森と遊んでくれたりする。おかげさまで本日は大人のプールで泳ぐという贅沢を久しぶりに味わえた。総計10分くらいだけだけどね。

深い水、生ぬるくない水の中で、のびのびと手足を動かすのは最高だ。ここの大人プールは浮き輪類の持ち込みが禁止。ジャリ密度が少なく、泳ぐにはいい感じ。とはいっても大きい小学生はたくさんいるので、ぶつからないようにゆっくりと泳ぐ。未だにクロールの息継ぎが得意でない私の専門は平泳ぎ。水中メガネのありがたさで水の中がくっきり見える。私はこの水の中の風景が大好きだ。ゆらゆらと揺れる光。不思議な模様。水中でみる人の動きは(余計な力さえ入っていなければ)優雅で、人という生き物の美しさを久々に思い起こさせる。高学年の子たちが潜ったり、逆立ちしたりしている横を私も潜りながら通り過ぎる。考えてみれば私たちが水の中で何気なくしている動きは、陸上では不可能に近いことばかりだ。回転したり、胴をくねらすだけで進んだり、おなかを上にしてぽっかり浮かんだり。私なんぞは泳いでいる時間より、確実にこの種の名もない動きをしている時間が多い。水の中に浮かんでいるときまで、人より早く、とか人より上手になんて思うことないと思うんだけど。

子供のプールに戻ってみると、森が自分で見つけた新たな泳ぎを披露してくれる。名付けて「オタマジャクシ泳ぎ」だの「イカ泳ぎ」だの「カッパ泳ぎ」だの…。知らない人が見ればおぼれているの一歩手前だろうけど、森はとてもうれしそうで、やっぱりプールは楽しい、と私も思ってしまう。遙か昔に海を捨てた陸生ほ乳類である人間にとって、水の中は久しぶりに訪れた故郷みたいなものだ。実家に帰ったつもりでのんびりすればいいのに、って思うんだけどな。やっぱり夏は水着に着替えてプールへGO!だ。

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ひと山越えて

ひと山越えてきました。この週はなんかぎっしりで、しかもどれも、「仕掛け人」か、「ほぼ仕掛け人」かの立場での参加で、おもしろいけど、ちょっとドキドキ。

ざっと紹介するとまず火曜日は「槻の屋」。仕掛けて半年。ようやく型ができ、それとともにメンバーのそれぞれのテンポが明らかに。でもそれは悪いものじゃない。ブログで紹介したことによってわたしも「槻の屋」の可能性を確信できたし、広がる気配も垣間見えて、そろそろ次の段階に進みそうな予感。

水曜日。次は小学校での「読み聞かせボランティアネット」の立ち上げ。海の学校は近隣でひとつだけ「読み聞かせの会」がなく、今までは個人の活動にすべてを負っていた。一年以上かけて、その個人がつながりはじめた。つながることのいい点、悪い点。それをこれから濾過していく。精製の段階。名付けの段階。

木曜日。森の声さんからお誘いを受けて9月から「表現共育ワーク」の講座に関わることになった。今日はその体験会。少々気合いはいりすぎのわたし。森を出産するまで自分でやっていたワークは「ライフ・イズ・あーと」という大人の表現ワークショップ。それと子どもはどう違うか。違う、違う。子どもは開けば、即出てくる。その自在さ、今しか咲かない花のような美しさに圧倒される。こんな簡単でいいのかい、と思うと同時に、子どもが花開ける場を確保する大人の責任を痛感する。大人にとってはその姿勢を学ぶ会でもある、ということだよね、森の声さん。

金曜日。「おはなしのたまご」。今日は7月25日(金)と8月1日(金)に香川公民館で開かれる「おはなし会」の最終打ち合わせ。今年は森の送迎で思うように時間がとれないので主にサポートに回る。今日は人形劇「ブレーメンの音楽隊」の練習。いつもながら短いけれど、充実した時間。この日は半年くらい会っていなかった友人と久しぶりの再会。会ったとたんに、会えない間にお互いのやってきたことを滝のように話す。友人もまた密度のこーい時間を生きているんだな、と確認。最近あまり会えないけど、別々の川を下っていて、ときどき合流する感じも好きだ。

さて土曜日。今日から海と森が夏休み。遊んでやりたいのは山々だが、この日も「再整備ワーキング」。海を自然教室(バードカービング)に追っ払い、森だけをつれて参加。来週「冒険あそび場」なので、その下見も兼ねる。話し合いの後ツリーハウスでお昼を食べたのが救い、かな。その後、森をつれて自然教室に合流。夕方に幼稚園の納涼会があるから、早めに切り上げるはずだったのに、思いもかけず親子で熱中。ムシ探しはもちろんのこと、葉っぱの拓本づくりもおもしろかったし、顕微鏡で変形菌や微生物まで見せていただいた。森はずっと顕微鏡から離れず、光学顕微鏡でワムシ(?)が泳ぐのを見て歓声を上げていた。わたしも見せてもらったが、確かにかわいい。

そんなわけでヨロヨロのまま、帰宅。予定ではここで夕飯の用意をするはずだったのが、そんな時間もないまま、森にシャワーを浴びせ、新品のチビにして幼稚園に送り届ける。ホッ。

そして今日。今日は何もないぞ。やっとブログが書ける。掃除もできる。イヤ、梅の土用干しもそろそろ…。そう、この一週間は外向きの用事だけでなく、「新ショウガは来る→つける」「味噌は、かびる寸前→天地返し」など、いろいろな対応に追われまくりでした。いつもながら丈夫な子どもたちと、辛抱強い相棒に感謝です。あ、相棒のアセモのために今日はビワの葉水もつくろう。

自分で仕掛ける人生、忙しいけどおもしろいよ。

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5時15分

今、5時15分。窓から見える隣家の壁がオレンジ色に輝いている。久しぶりのお日さま。

久しぶりといえば先週からずっと忙しくて、今日は本当に久しぶりの予定のない日。森が幼稚園に行くまでに最小限の家事を済ます、という誓いは一応守られているので、その意味でのストレスは少ない(掃除サボりまくりですが)。けれどここ十日くらい、じぶんだけの時間が全くないのはかなりきつかった。

そこで早起きする。今の早起きは起きてすぐ執筆する、というハイテンションな感じではない。少し明るくなった頃目を覚まし、寝室を出て作業部屋の椅子に腰掛ける。目を閉じては腹式呼吸を繰り返す。簡単な瞑想。腹から吸って背中をとおし、頭の中をぐるりと回してから前面を通して腹に戻し、吐く。それだけの行為に好きなだけ時間をかける。余計な澱(おり)が沈み、体内が澄んできた頃、頭の中で覚えかけのおはなしのおさらいをはじめることもある。来週、海のクラスで夏休み前最後の読み聞かせがあるが、それに向けての仕上げ中。お話の内容がわたしだけわかっていてつまらない。だからわたしの前で練習しないで、という海の願いを叶えるため、時間を工夫して練習している。まあ、何でも何とかなるもんさ。

それが終わると、目覚めのコーヒーを入れ、しなければならないことがあればするし、そうでなければ好きなことをする。「ブログを書く」という行為は前者でなく後者に入っているので、わたしが忙しいと更新がままならない。ちょくちょくのぞいてくださる方、ごめんなさい。

今日は海の鎌倉探検と、森のプールの日。楽しんでこいよ。そしてその間、何をしようか…。小和田公民館に「子どもフリマ」の申込用紙を取りに行った後、森のプールでものぞきにいこうか(浜須賀プールは隣の公園からのぞけるのです)。それとも、それとも…。こんな風に思いをめぐらせることの贅沢さ。

皆様すべての今日が、充実した一日でありますように。

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落ち穂拾い

なぜ落ち穂拾いをすることになったかというと、麦刈りをしたからだ。なぜ麦刈りをしたかというと、そこに麦畑があったからだ。なぜ麦畑に行ったかというと…。

里山倶楽部というのは農業体験を主とする団体で、北部丘陵地帯にある公園の一角を根城にしている。うちはここにも所属していて、ひと月に数回は里山公園で過ごす。ひとつ下の丘陵にある「市民の森」にいる回数もあわせたら、茅ヶ崎に津波が来ても生き延びられる確率はかなり高いと思う。もちろん地震が週末に来てくれたら、の話である。

さて、先週末は里山倶楽部の麦刈りだった。麦刈りのお楽しみは「足踏み式脱穀機」。カマで麦をざっ、ざっと刈るのも快感だが、この「足踏み式脱穀機」もかなりすごい。足でペダルを踏むと、円筒状の本体が回転する。円筒状の本体には、金具が打ち込んである。高速で回転する本体に麦束を押しつけると、その金具に穂がひっかかって、脱穀ができる。こう書くと何でもないようだが、これを使いこなすには、異なった二つの作業を同時に行わなければならない。一つは足でペダルを踏むこと。もうひとつは回転する本体に麦束を押しつけること。それもただ押しつけていればいいというものではない。穂の落ち具合を見極め、束を広げたり、裏返したりする。その間足はかなりの早さでペダルを踏んでいる。この下半身と上半身のコンビネーションがうまくいかないと、本体がうまく回らなかったり、穂がよく落ちなかったりするのである。

昨年はすべての収穫をこの「足踏み式脱穀機」で、脱穀した。一日がかりであった。子どもたちはペダルを踏むのが大好きで、最初のうちこそよく列に並んだが、けっこう重労働のせいもあり、そのうちあきてしまう。結局のこりは大人が片付けた。それこそ手や足がしびれるくらいの労働だった。というわけで今年は電動脱穀機の登場だ。農業の現場では当たり前のこの機械も、登場とともに歓声が上がるのが里山倶楽部である。今年は大八車ひと山しか、「足踏み式脱穀機」の出番はなかった。もっともこの量でも小さな子どもたちはあきてしまっていたから、まあ適切な判断だったと思う。

脱穀が終わり、畑に戻った私たちにはべつのお楽しみが待っていた。「落ち穂拾い」だ。畑に入り、落ち穂を探す。問題は自動脱穀機から飛んでくるモミの風下に畑が位置していることで、この風を浴びると麦のモミについているという細かいトゲトゲのせいか、体中がかゆくなる。だから可能な限り短時間で、効率よく済ませたい、とわたしは思った。

最初はただ「落ち穂」の名前のとおり、落ちている「穂」を探して歩いた。ところがなかなか見つからない。見つからないとイヤになる。というか、このかゆい風からさっさと逃れたくなる。

そこでわたしはちょっと頭をひねり、180度考えを変えた。するとどうだろう、わたしの右手にはおもしろいように穂がたまっていく。それこそ(ちょっと自慢になるが)ほかの人が「どこに落ちていたの」とびっくりするくらい。見つかるとおもしろいものだから集中する。集中するとかゆい風もあまり気にならない。

そして単純作業に集中しているときの常で、わたしの頭にはボンヤリとしたイメージがやってくる。これが案外とても重要。考えずに身体を動かしていると、脳が自由になるみたいでまったくあたらしい考えやイメージがよくやってくる。わたしはこの瞬間がとても好きだ。

このときやってきたのは漠然とした考えで、「遠い昔きっとわたしの祖先もこうやって落ち穂を拾っていたのだろうな」。そしてミレーの絵画「落ち穂拾い」のイメージ。そしてどこで拾ったのかわからない知識のかけら。「落ち穂を拾うのは流れ者(無産階級)の権利」そして唐突な結論。「ああ、落ち穂拾いって何てわたしにぴったりな作業なんだろう」

家に帰って検索してみたら、直感は当たっていて(あるいは以前にどこかで読んでいたのかもしれないが)ミレーの時代の落ち穂拾いは、

「旧約聖書の『レビ記』に定められた律法に従い、麦の落穂拾いは、農村社会において自らの労働で十分な収穫を得ることのできない寡婦や貧農などが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていた。」(Wikipedia参照)なのだそうだ。

「自らの労働で十分な収穫を得ることのできない」人間の権利を保障するなんて旧約聖書もやるじゃん。けれどいっておくと、落ち穂拾いは楽じゃない。腰をかがめ、地面に目をこらし、やっと拾った穂は泥にまみれていたりする。えっ、わたしが発見したコツは何かって?そうそう…

穂、そのものを探そうと目をこらしても見つからない。ならば、穂は何とつながっているか? 答え。茎。ならば目についたすべての「長いもの」を拾おう。長いものの先に穂がついている確率はかなり高い。

以上。

「落ち穂拾い」なんてしないって? けれどこの法則が当てはまるのは実際の落ち穂拾いだけじゃない。用意された答えでは納得できないとき、用意された道を外れて進もうとするとき、この考え方は意外と役にたつ。精神や感情の「落ち穂」をおろそかにしないことで開けてくる世界を、大半の人はまだ知らない。

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アゲハちゃんの日

目をあけると何かの予感がした。その予感に導かれて、わたしは寝室を出た。

アゲハちゃんがサナギになってからすでに2週間以上がたっていた。羽化しないまま、緑色を深めていくサナギをわたしは毎日のようにながめた。羽化する前日になると、模様が浮き出てくると書いてあったので、それを楽しみにしていたのだが、いっこうにその気配がない。満月も過ぎ、もうダメなのかなあと思った夜、サナギは炭のいろに変わっていた。

ここから考えられることは二つある、と私は海と森に言った。一つは、サナギは腐ってしまったのかもしれない。もうひとつは、アゲハちゃんはクロアゲハだったかもしれない。どちらにしても、明日になればわかるさ、と私は言った。

明け方4時半。まだ薄暗い中、水槽をのぞくと予想通り、なにやら黒いものがもしゃもしゃしている。昨日二人の意志を確かめてあった。元々朝に弱い海は最初から起きる気がないので、森だけを起こしに行く。とはいってもまだ5時前。4歳児を起こすのには無理がある時間だ。けれど耳元で「アゲハちゃんが出てきているよ」とささやくと、森の足が突っ張った。そのまま運びあげ、水槽の前に連れていく。床におろすと森は眠そうに、それでもなんとか目をあけた。

実は問題があった。アゲハちゃんがサナギになったのはプラスチックの水槽の壁なのだが、ネットで調べたところ、プラスチックの水槽はまずいらしい。どうまずいかというと、サナギから出てきたときにつかまるところがない。つかまるところがないと床に落ちてしまい、結果として羽がうまく開かず飛べなくなってしまう。飛べない蝶はとても哀れだ。誰かのお腹を満たす存在でしかない。

そういう運命からアゲハちゃんを救うには紙テープを貼ればいいそうだ。あるHPに「両脇に」と書いてあったので、そのとおりにしてみた。さらにべつのHPに「小枝を貼りつけて」と書いてあったので、小枝も追加した。実の子にも示したことのない用意周到さの結果、水槽の壁はとてもカラフルになった。

森を連れてきたときにはアゲハちゃんはもうサナギから抜け出していた。くしゃくしゃだった羽も少しずつ伸び、白い筋がはっきりと見えてきた。森は「やっぱりチョウになるんだあ」と言ったっきり、ポカンとしている。けれどそこで、事態がまずい方に進んでいるのをわたしは感じ取った。アゲハちゃんがなにやらつかまるところを探してカリカリやっている。見ればわたしの貼ったテープを遙かに超えて、アゲハちゃんは高みに登っていた。小枝はお尻の下になっているから、それが支えになってずり落ちてはいないものの、森を立ち産で産んだ経験から、このときのアゲハちゃんの気持ちがいたいほどわかった。

「つかまるところがない踏ん張れない」

邪魔はしたくなかったが、このままずり落ちられたら助けようがない。わたしは紙テープをもってくると、アゲハちゃんに触れないよう細心の注意を払って、上方に横にして貼りつけた。それから、さらにあっちにもこっちにも。水槽の壁はたちまち緑色で埋まった。気分はすっかり産婆である。幸いわたしの応急処置は功を奏したらしく、紙テープの一本にとりついた後は安定した形になった。ほっとしたのと(その日は冒険あそび場だったので)森をもう少し寝かせておきたかったので、わたしは森を連れて寝室に戻った。

もう一度森が起きてきたときには、アゲハちゃんは黒地に白とオレンジが入った見事なクロアゲハになっていた。それでもまだ、飛べるのかなという一抹の不安はあった。だからアゲハちゃんがぱたぱたと羽ばたきを始めたとき、水槽に羽でもぶつけて痛めたらいけないと、とっさに窓際にもっていったのはわたしだ。そしてこのときにいたり、ようやく写真のことに思い当たり、カメラを出したのもわたしだ。けれど、このときにはもう羽ばたきはかなりの頻度になっていて、これ以上とどめておくことが難しかった。カメラか、アゲハか。だが生きているものを、生きていないもののために損なうことはわたしの信条に反した。わたしは開けた窓から水槽を差し出し、飛びやすいように角度を変えた。そしてこの頃になってようやく起きてきた海と、森の目の前で、アゲハちゃんは立派に飛んだ。そして残されたのは一枚の写真。アゲハちゃんのいない水槽の写真だ。

「アゲハちゃんの日」その後私たちは市民の森に行き、大雨の中カフェテーブルをつくることになるのだが、それはまた別の日の話とすることにいたしましょう。

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アゲハちゃんが…

朝起きたら、アゲハちゃんが小さくなっていた。水槽の、今壁面になっているところに止まったまま動かない。サナギになるという知識は持っていたが、図鑑に載っているサナギの写真と目の前のアゲハちゃんはだいぶ違う。ただ小さくなってじっと動かない。森を呼んで、アゲハちゃんを見せた。驚くかと思ったら、奴はこともなげに「サナギになるんだね」と言った。

「何で知ってるの~」

「本に載ってた」

はあ、そうかい。つくづく冷静なガキだ。サナギの写真と違うから、病気にでもなって死んじゃうのかなと思った母とは大違いだ。

思えばこのときすぐに気づくべきだったのだ。なぜサナギの写真と違うのか。このまま乾いていくのかな、と私は思った。で、あの形? んん、なんか違う。でもそれ以上深く考えなかった。

昼前、一仕事終えてアゲハちゃんをのぞく。そのとき変化に気づいた。

朝見たときは、お腹の全面でぴったりくっついていたのになんか違う。なんと!アゲハちゃんは口から一本の糸を吐き、そこと末端を二つの支点にして弓形にぶら下がっている。そして私の目の前で、からだを揺らし、糸を引っ張るような仕草をした。そのときはじめて気がついた。アゲハちゃんはサナギになったんじゃない。

今、サナギになろうとしているんだ!

そのとき一本だった糸が二本に増えた。誰に導かれたのでもない。ただ本能の声のみを頼りに、アゲハちゃんはやったこともない、一回きりの行為に挑んでいる。思わず、私の目から涙がこぼれた。一滴、二滴、台所の床に丸い跡がつく。それは久しぶりの感動だった。その涙は自分がいのちというプロセスに対して、あまりにも無知なことへの驚きを多量に含んでいたけれど…。

図鑑には確かに幼虫の写真とサナギの写真と成虫の写真が載っている。サナギから蝶へと羽化する場面は知っていたし、自分の目で見るのを楽しみにしていた。けれどサナギになることだって、実のところべらぼうに大変なのだ。私だけがこのように無知ならいいのだけれど、おそらくそうではあるまい。

こんなになんでもできる(と思っている)人間だけれど、いのちの進んでいく一瞬一瞬がどれほどのプロセスを経てめぐっていくかに、ほとんどの人は気づいていない。スイッチを押して、一瞬でサナギになるのではない。おそらく羽化と同じくらいの時間と労力をかけて、青虫はサナギになる。

私もサナギになろうとしているのだよ、と私はアゲハちゃんにささやく。この宇宙の中でこの青虫が一番自分に近しいと思うなんでどうかしているな、と思いながら、それもまた真実だと信じる自分がいる。

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蛇足・アゲハちゃん

蛇に足はない、がアゲハちゃんにはある。その足に免じて、ちょっとだけ余計なことをつけ加えさせてもらう。

アゲハちゃんがてっぺんの葉っぱに移った道筋であるが、よく見ると前日はいのぼった後はそこで途切れている。つまりアゲハちゃんはあれ以上、壁を登っていない。よく見ると、夜泊まっていた場所の数㎝左に、ミカンの樹の最初の葉っぱがある。つまりアゲハちゃんはそこからどうやってか最初の葉っぱに移り、そこからじわじわとてっぺんの葉っぱ目指して登ったようなのだ。

しかし、いったい誰がアゲハちゃんにそうすることを教えたのだろうか、という疑問がわいてくる。先日も書いたが、「私から見てもっとも合理的な道であるビンをよじ登る経路」ではなく、その道筋を取ったのはなぜなのか、という疑問である。アゲハちゃんには手を伸ばして葉っぱを確かめることもできなければ、全体の地図を三次元的に見ることもできない。たとえば、なぜ夜そこの位置で泊まり、なぜその葉っぱに移ったのか、ということだ。結論から言えば、それはアゲハちゃんの中の「本能と意志」しかあり得ない。そしてその本能と意志に従ったアゲハちゃんはとても幸せそうだった。

これは大人が子どもを見まもるときにも覚えていて欲しいことだ。大人から見る「合理的な道」はあるだろう。子どもがそこへ行かず、とんでもない方向へと進んでいくのを見てやきもきすることも。けれどそこで決して、手を伸ばして子どもをひょいとつまみ上げ、あなたが考える最適な道においてあげてはいけないのだと、私は思う。たとえ、最適な場所に見えるところであってもだ。それは子どもの中の「本能と意志」を損なう。それを何度もやっていると、子どもは自分の「本能」に従うことがどういうことなのか、わからなくなってしまう。そこで地図なしでは、指図なしでは、どこにも行けない大人がまたひとりできあがる。あなたは自分と同じものを再生産しようとしているのだろうか?けれど考えてみるといい。子どもが行くのはあなたの行けない「未来」なのだ。そこへの地図を書いてやることは誰にもできないのである。大人にできることは子どもが自分の「本能と意志」に従って行動できるように見まもることだ。ライ麦畑の番人のように、崖から落ちないようにしてあげることは必要かもしれない。「本能と意志」に従うことは生命の喜びなのだと思う。それは間違いなくすべての子どもに備わっているはずだ。

アゲハちゃんの教えてくれたことはもうひとつある。それははじめてつかまった一枚がどこであろうと、自分がとりつく樹を間違えさえしなければ、いつかは必ず最初の一枚にたどり着くということだ。アゲハちゃんが葉っぱをしゃりしゃりと食べている音を聞いていると、とても幸せな気持ちになる。私も幸せな人間なんだと思う。

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アゲハちゃん

アゲハちゃんはちりとりに乗ってやってきた。

「うちのミカンの木についていたのよ」とゴミ置き場の横のアパートに住むおばさんはいった。森はけっこう生き物好きで、最近の口癖は「カナヘビ飼いた~い」である。まあカナヘビよりは簡単だろうと、私はその緑色の生きものを葉っぱに移して受け取った。私自身が蝶の羽化を見たことがないので、あわよくばという期待もあった。

アゲハチョウの幼虫だろうと見当をつけたのはミカンの木についていたからだ。それで「アゲハちゃん」となった。おばさんが逃がそうとしていた、ボロソくんの樹がある「謎の三角地帯」には、夏みかんの樹もある。そこでアゲハちゃんと一緒に葉っぱを10枚くらいもらって帰った。家にあるフタが壊れた水槽をカシャカシャとゆすいで、そこに葉っぱを敷き、アゲハちゃんを入れた。最初はふたもせずラップを貼りつけただけで放っておいた。アゲハちゃんもなめられたものである。

まじまじと見る幼虫は不思議だ。見慣れていないので、まずどちらが頭かわからない。葉っぱを食べ出すとそこからビニョニョンとした口が出てくるので、はじめてわかる。そこで表情が読めたかな、と思う。ところが目のように見える黒い点は、「義眼」だというから、ますますわからない。アゲハちゃん、何考えてるの?

夜見ると、葉っぱは欠けていて草色のフンも転がっていた。まあ食べたのだから、生き延びるだろうと少し安心。翌日、近所のママ友に見せたら「大きいねえ」といわれた。そこのうちで飼っているのはまだ小さくて、一齢幼虫とか二齢幼虫とかいわれるらしい。「もうすぐサナギになるかもよ」と彼女は言った。そんなこといきなり言われても、心の準備が…。まるで再婚相手にいきなり思春期の子どもがいたような心境である。曰く、どうしていいかわからない。私がおろおろしているのを見て、彼女がアドバイスしてくれた。つまり

  1. ガラスビンに水を入れ、ミカンの枝ごとさす。そうするとサナギになる場所もあるし、葉っぱもいつも新鮮。
  2. ケースもそのままだと高さが足りないから、縦に使う。

持つべきものは、ママ友である。彼女を見送るついでに、さっそく枝を切りに行った。新居を造るために水槽の掃除もした。アゲハちゃんのウンチはミョウガの森にまく大切な肥料だ。ビンも手頃なのが見つかって、高さもちょうどいい。よしよし。でも葉っぱにくっついたままのアゲハちゃんをどうしよう。手でつまんで移したら、いやがるよな…。

そこで見事に思考停止した私は、ミカンの樹を入れた花ビンの周りに、アゲハちゃんを含む葉っぱをおいた。まあ、後はアゲハちゃんに任してみよう、と思った部分もある。そしてもう一度ラップをし、今度は周りをひもで囲って、ぴんとはった。これで新居はできあがり。しばらくして…変化を感じ取ったアゲハちゃんにあたらしい動きが出てきた。頭をもたげ、なにやら探っている。ああ違うよ、と私は思った。アゲハちゃん、それはラップだよ。それでも器用なものでアゲハちゃんはいったんはラップにとりついた。透明なラップのおかげで、腹の下の足がよく見える。私もずっと見ていたわけではないけど、次に見たときにはアゲハちゃんは見事に落っこちていた。やはりラップではうまくいかないのだ。

その後も夕飯をつくりながら、ちらちら見ていると、アゲハちゃんはプラスティックの壁を登りはじめた。この頃になると、私はアゲハちゃんが何をしたいのかさっぱりわからなくなっていた。人間の私の考えで言えば、ミカンの枝にたどり着く一番の早道は、ガラスビンを登ることだと思うのだけれど…。夕飯後に見てみると、アゲハちゃんは壁の3分の2のところまで登っていた。そしてそこで力つきたように止まっていた。明日も壁登りを続けるんだろうか、と私は少し心配になった。

翌朝、台所のシャッターを開け、私は真っ先に水槽をのぞいた。まるで心配性の母親みたいだ、と自分でもおかしかった。昨日アゲハちゃんが登った後は確かについているが、姿が見えない。どこだ、どこだ、と見渡した。いったいどういう魔法を使ったのだろう。アゲハちゃんはミカンの樹のてっぺんの葉の上にいた。やっと落ち着く先をみつけたのがはた目にもわかった。こんどこそ、アゲハちゃんは満足そうにほほえんでいた(ように見えた、ということです)。

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501マイル進む女(後編)

前編を書いてからおよそ十日がたった。その間にしたことは、講演会の準備、講演会中止の決断、その後始末、「ポラン」の原稿。すべて自分以外の他人が絡んでいるため、待ったなしの出来事だった。それでも講演会が済むまで原稿は待ってもらったし、そのためにご迷惑もかけた。つまり、すべてぎりぎりだったのだ。その間にも日常生活はやむことなくすすみ、家事、育児は当たり前のようにこなした。毎朝家族が起きてくるまでの一時間弱が、私の「聖なる時間」なのだが、それはみんな今まで書いたことに費やした。それでブログが書けなかったのは、いいわけでなくただの事実。

そして今朝、生協の注文を済ませ、さあ~これでやっと待望の、念願の「501マイル進む女」の続きを書こうと思った瞬間に、相棒が声をかけてきた。俗に言う最悪のタイミングである。

「これ、どうだった」

突き出されたのは電動バリカンのカタログで、2,3日前に電気店からもらってきたものだ。相棒がそれを見ろ、と暗黙のうちに言っていたのはわかっていた。けれど原稿書きの真っ最中で、かまってはいられない。もちろん、だからといって家事育児が免除になるわけもなく、原稿第一、家事第二、子ども第三、でカタログは??? 目を通していなかったばつの悪さもあったし、第一、やっと自分のために時間を使おうと思った瞬間を狙い済ましたようなはしっこさが、イヤだった。要するに奴は今日の帰りに電気店に寄ろうと思っていたらしいのだが、それをはじめから素直に言わないのも気に障った。さらに今朝はもうひとつ、文庫本のゆくえをめぐっての悶着もあり、出勤前だったからあからさまにケンカはしないようにはしたものの、森を幼稚園に送ってのかえりみち、猛烈に腹が立ってきた。こりゃあ、筋肉動かして解消するしかないと、海まで歩いた。それでも怒りは収まらなかった。怒りの内容は、私が忙しくしていた10日間に、相棒が感じていたであろうあれもして欲しい、これもして欲しいが一気に押し寄せてきたことだ。一つ一つはたいしたことではないが、たとえば「鯉のぼりオブジェ」をまだ片付けてなかった、とかシャツのほころびを繕ってなかった、とか、部屋がほこりまみれだとか、そういうことだ。奴がそう思っていたとは断言できないのだが、何しろ私と違ってきれい好きなくせに、私に遠慮して自分でしないようにしているからストレスがたまるらしい。それに一度手を出してしまったら、それ以降ずっと自分に覆い被さってくるのではないかという恐怖もあるらしい。現にそういうことは何項目かあるので、彼の恐怖を否定するものではないが…。とにかくあれやこれやで冷静に考えることができず、少なくとも「鯉のぼりオブジェ」だけはしまおうと思って始め、ついでに部屋の掃除もした。それでもその間じゅう、本当ならこの時間はブログに使っていたはずなのにと思うとまたそれが悔しくて、悔しくて…。あいにく今日は幼稚園も短く、すぐにお迎えの時間がやってきた。やっと思いでコーヒー1杯飲むだけの時間を自分に許し、自転車に飛び乗ったそのときもまだ私は怒っていた。ペダルを踏んだ瞬間、もうこれしかないと閃き、自転車の全力疾走を幼稚園までつづけた。幼稚園までの最後のコーナーを思いっきり車体を傾けて曲がったとき、自分の心臓の音がドキドキと響いた。

あー、気持ちよかった。やっぱり筋肉運動に限る。スリルとスピードも効きますね。まあ他人を巻き添えにはしないようにしてるけど。他の保護者様に目撃されなくてよかったです。

というわけでやっと今ブログを書いているのだが、周りはどういう状況かというと、思いっきり退屈した森が、それでもかろうじて邪魔はせずにごろごろしている。悪いとも思うが、でも彼は最近この家で一番幸せな人間なので、このくらい勘弁してください。

このブログを書き終えてはじめて、私の怒りは収まるだろう。ともかく(今回に関しては)私は501マイル進んだのだ。

で、501マイルって何なのよ、という説明が一番最後になってしまった。

「狼と駆ける女たち」より

「女の魂は砂漠への道を、共鳴からみつけることも、過去の残酷な経験のゆえにあるいは地上のもっと大きな生を許されないがゆえにみいだすこともあったでしょう。そこで女がよく感じるのは、自分が色鮮やかな花をたった一つつけたサボテンでしかなく、五百マイル四方何もない空虚な土地に生きている、ということです。でも五百一マイル進む女には、それ以上のものがあります。小さな、はなやいだ家、そして老婆。あなたをずっと待っていたのです。」(p54)

自分のやっていることに確信が持てなくなると、この文章を読む。501マイル進めと誰かが言う。それは自分の心臓であり、魂だ。どんな小さな、ささやかなことでも、納得のいくまでやり尽くすしか道は開けない。たとえ、「怒りつくす」といった、どうしようもなくみえることでもだ。

さあ、あと1時間もすると相棒が帰ってくる。私は怒りをくぐり抜けたさわやかな顔で奴を迎えよう。

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501マイル進む女(前編)

きっかけは友人がしてくれたおはなしだった。ストーリーテリングの勉強会「おはなしのたまご」でのことである。それは「七人さきのおやじさま」というノルウェーの昔話で、旅人が宿を求めるのだが、なかなか本当の主に巡り会えないという、こわいようなおかしいような話である。「わしはこの屋(や)のあるじでない」というセリフがキーワードとなり、おはなしが展開していく。友人の語りの巧みさもあって、そのおはなしは私の心に深く余韻を残した。私が一番感銘を受けた点は、主人公がその家の本当のあるじを突き止めるまであきらめないという点だ。おじいさんに尋ねるたびに、「わしはこの屋(や)のあるじでない、と断られてしまい、そのたびにそのひとのお父さんを捜して歩くはめになる。昔話にはよく同じモチーフが三回続けて出てくるものがあるが、七回はすごい。そしてついに主人公は、本当の主にめぐりあい、滞在の許可をもらうことができる。そしてたくさんのごちそうとすてきな寝床、主人公の満足感でこのお話は終わるのである。

このお話が私の心に響いたのは、私の中で探索の途中になってしまっているものがたくさんあると気づいたからだ。突き止めきれていないもの、なかばにして放ってあるもの。断られたため、怠惰のため、理由はいろいろだけれど…。本当のあるじを突き止めるのは大変だ。けれど、突き止めたときの満足感はきっと得難いものに違いない。私はまだ本当のあるじに会えていない、という実感はある種の「飢え」となって私の中でもがいている。その「飢え」を満たすにはどうしたらよいのだろう。

長くなりそうなので続きます。

「七人さきのおやじさま」

はこちらの本に載っています。

世界のむかしばなし 世界のむかしばなし

著者:太田 大八
販売元:のら書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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野生の母に

産んでくれた母は健在だ。料理が下手で、片付けも下手。けれど愛情たっぷりのけなげな母だ。娘の代になって、料理の腕はまあまあ進化した。母もいくつか持病をかかえこんだ後は、必要性もあってかなり上達した、と名誉のためにいっておく。けれど片付けべたは相変わらずで、これは娘、すなわち私にもしっかり引き継がれている。次の世代に託すほかないだろう。少なくとも子どもたちは、片付け上手の相棒の血を半分ひいているのだから。

彼女は決して「できすぎた母親」ではなかったから、私たちを窒息させはしなかった。私たちはそのぼろぼろの網の目から自由に出入りし、都合のよいときだけ、そこに戻り甘えることができた。十数年前に配偶者を失ったときはどうなるかと思ったが、幸い妹2の助けもあって、どうにか切りぬけた。いやあ、えらい、と思うほどのがんばりである。

そういうわけで、彼女に不満はないのだが、それでも女が本当に成長していくには、実の母親だけでは足りないときがある。幸い私はこれまでの人生において、様々な「母親」に会うことができた。血のつながった母ではない「野生の母」だ。

正確に言えば、「本当の野生の母(Great wild mother)」は魂の中にしか見いだすことができない。私たちが現世で出会うのはその小型版にして映し身「小型の野生の母」なのだが、表記上回りくどいので略させていただく。

それでは「野生の母」とはどういう母親だろうか。なじみのある方は少ないと思うので、私の秘蔵本から引用させてもらう。

「(小型の野生の母は)できすぎた母親とは大幅に違います。小型の野生の母はあなたを導き、あなたが何かを成し遂げると誇らしさではちきれます。あなたの創造的、感覚的、精神的、知的生活が行き詰まるとはげしく批判します。そういう人たちの目的はあなたを助け、あなたの芸術を大事にし、あなたを野生の本能にもう一度結びつけることです。直感的生活の復活を指導してくれます。」(p154)

私は20代後半に所属していた会社を離れ、世界にさまよい出た。そこで何人かの野生の母に導かれながらながら、私の知っている限りもっとも「本当の野生の母(Great wild mother)」に近い存在、アンナ・ハルプリンに出会った。

5月11日(日)は母の日だった。産んでくれた母への感謝とは別に、私がこの日一番会いたかったのは、アンナのあのしわくちゃな顔であった。彼女にささげるのはカーネーションなどではない。いま庭の片隅で、盛んに命を延ばしているあの名もなきつる草を私は彼女にささげたい。

「野生の母」とは日本語としてなじみがない。私はそれをオリジナルに解釈し、「山姥」すなわち「やまんばさん」をひとつの理想として掲げた。この探求の旅はこれからも続いていく。

秘蔵本の正体は

 

                   
   
    狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語    
    Book                                                                                                                            
        狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語        
        著者         クラリッサ・ピンコラ エステス
販売元新潮社
定価(税込)¥ 3,150
   
       
   
         

この本についてはこれからも言及していきたい。

                                      
 
               
 

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箱根旧街道へ

5月4日(日)に箱根旧街道を歩いてきました。今回は箱根湯本からの上りのコースではなく、元箱根からの下りにしてみました。何しろ4歳児連れの四人組で、その日は乙女森林公園でキャンプですから、あまり無理はできません。

色々あってようやく石畳の道へYa107_2
















甘酒茶屋を過ぎて。ちょっとへたる森。

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サルも出る。

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ツルを見るとぶら下がり…

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一里塚です。子どもたちは迷いもせず登っていました。
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天山露天風呂の脇から入ると、思いがけない清流が。歩けなければ、はえばいい。
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気持ちよいので、長居してしまいました。石畳って、悪くないけど、人の思いがたくさん染みついているようで、身体が乾いてしまいました。子どもたちは靴下を脱いで…
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箱根湯本に着くまでだいたい3時間。いつも車で通りすぎる道も、歩くと色々な発見がありました。距離はたいしたことがなかったけれど、一部車道を延々と歩くのは、「自由にしていたいチビ」連れにはつらかったです。次回はそこのところはバスで通り過ぎて、上りに挑戦することにしましょうか。
乙女森林公園第一キャンプ場のティピ。ここのキャンプ場は素朴で、整備された第二キャンプ場より、私は好きです。それになんといっても隣に御殿場温泉会館があるし。汗をかいた後の温泉って最高ですね。
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寝かせみがきはよく磨ける

森はとにかく横になるのがきらいな子だった。おっぱいを飲んで寝たと思っても、布団に寝かせると飛び起きた。おかげでお昼寝の習慣がなくなるまでは、パソコン仕事は片手で森を抱きながらだった。そういうわけだから歯をみがくようになっても、寝かせみがきができない。仕方がないので座らせて、向き合いながらみがいていたのだが、三才検診で、お医者さんのチェックが入ってしまった。すなわち「歯がきたない」。ブラッシング指導の先生にもやっぱり抵抗し、保健婦さんに(今は保健師さんと言うべきか?)「これじゃあ、虫歯になっても治療ができないから、寝かせみがきの習慣をつけるように」と言われた。例によって未来を盾にとって現在を脅すあのやり方である。ああ、だから医者もどきはきらいだ。

まあ虫歯にはならないに越したことはない。歯医者へ行って困らないように寝かせみがきをするのではなく、歯医者に行かなくてすむように寝かせみがきをするのだ、と自分に言い聞かせ、さらに森にもよくよく言い聞かせ、我が家の寝かせみがきはスタートした。台所の床に私が足を投げだして座り、森がその上に寝る。その身体の小ささが思わずかわいくて、私はそのまま前屈し、上半身と下半身で森をサンドイッチにしてしまう。そうすると奴は暴れたり、身をよじったり、はたまた私の顔をペロリとなめたりするので、ちっとも歯磨きは始まらない。ようやく始まっても歯磨きの最中になにやらしゃべりかけてくるので、またまた歯磨きはちっとも進まない。子どもの歯磨きは一大事業なのである。

それと案外大変なのがタイミングを合わすことだ。私も森も、のんびり待つのが苦手なタイプで、自分のやりたいことをやりたいときにやりたい人たちである。

私がよぶ「お~い森、歯磨きしよう」

森「しんら、いま電車つくっているの…」

(しばらく間)

森「かあか、かあか、電車で(洗面所に)来たよお」

私「ごめん、森、いま手があわあわ(食器洗いの最中)」

(しばらく間)

私「森ちゃん、終わったよお」

森「ぶるん、ぶるるん、ぶるん。いま行きま~す」(バイクで走りまわっている)

(しばらく間)

森「到着で~す」

私「森、ごめん、いま洗濯物たたんでいるから…」

以下同文にて続く。

とまあ、この調子でいっこうにタイミングの合わない二人なのだ。それでも森にたっぷり時間のあるときはいい。この繰り返しの果てにいつかは合うときが来る。けれど夕飯の後に、海と父ちゃんとテレビを見るということになると話はまたややこしくなる。この二人がさっさと二階に上がってしまい、森だけが取り残される。そこで私の手が本当に空かないときは、一人でみがいてもらうことにした。本当にみがけるとは思っていない。歯ブラシを口の中に突っこんでぐちゅぐちゅやるだけである。ただし、一人みがきは決して二回連続ではさせない。これが一応ルールである。森には

「やっぱりこうして寝てみがく方がよくみがけるから、森ちゃんがひとりでみがくのは特別なときだけね」と説明してある。

その日、森は朝、ひとりでみがいた。夕飯の後も、なにやら気ぜわしくてさっさとみがきたがっていた。私は大量の洗い物を前に奮闘していた。先に森をみがいてやったほうがいいのは、十分承知している。けれど、食器の汚れをぬぐい去ったり、残り物にラップをかけたり、せめて洗い物にかかる前の算段くらいは、つけておきたいというのも人情である。洗面所でごそごそ音がする。どうやら森が歯磨きの用意をしているようである。

「森ちゃん」と私は振り向きもせず、呼びかけた。

「かあか、みがくから」

続いてじゃあ、じゃあという音。どうやら、やめる気はないらしい。それは私も同じだった。あと少しで下準備が終わる。これを済ませておけば、後は一気に洗うだけだ。だが強情なのは森も同じである。いまや明らかに歯ブラシの音がしている。

「森ちゃん」私は少し強い語調になった。「かあか、後でみがき直すからね」

そうしてそのとき、私ははじめて振り向いた。そして予想もしていなかったものを発見した。それは、ひとりで台所の床に寝っ転がって、天井を見あげながら歯をみがいている森の姿であった。

「寝かせみがき」の方が歯がよく磨けるのを、森はちゃんと覚えていたのである。

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黄色くて

夕食後の光景はだいたい決まっている。我が家ではよほどのことがない限り、朝食と夕食は家族全員でとる。食べ終わる順序も、席を立つ順序も、毎日まるで判で押したように同じだ。

まず義母が立って歯みがきに行く。私は食器を運びはじめる。相棒は子どもたちにまとわりつかれながらも、二階に行くチャンスをうかがっている。違いがあるとすれば、子どもたちの食べる順序で、一年くらいまえまでは海が遅かったが、最近は森の方が遅いこともある。

食卓を片付けるのは海の仕事だ。といっても個人が使ったお皿はそれぞれが運ぶから、残りは調味料や漬け物くらいだ。それらを運んで食卓を拭くだけだから、たいした仕事ではない。その日は森の方が遅く、相棒も無事二階に脱出したあとで、私はすでに洗い物をはじめていた。私の背後では、森がみそ汁を飲んでいる音と、海がぺたぺたと歩き回っている音が聞こえている。そしてそのあと、それは同時に起こった。海が冷蔵庫に何かをしまい、扉がパタンと閉じる音に被さるように、森がいすから飛び降りるガサガサした音。それに続く、ドドドドという森の走る音。そして泣きそうな声。

「あ、あ、あ、黄色くて…きいろくて、まるいぱりぱり!」

??????????????????

何のことだかわかる人?

それは焦った森がとっさに発明した、「たくわん」を意味する言葉だった。

それ以来、我が家では「たくわん」のことを「黄色くて丸いパリパリ」とよぶようになった。

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歩く

森が幼稚園に行っている。幼稚園生活については、今は取り立てて語ることもない。「ご近所の、こぢんまりとした、自由な」幼稚園なので、歩いていって、いつものように遊びはじめ、迎えが来ると遊びながら帰ってくる。毎日、遊ぶところに行けてうれしそうである。もちろんこれから色々あるだろうけど…。少しずつ慣らしていく園の方針なので、保育時間はごく短い。問題は私が、その短い時間になにをするかということだ。

森が幼稚園に通い始めたとき、ひとつ決めたことがある。私にとっては一大決心だった。それは「森がいない間は家事をしない」ということだ。何しろ奴が生まれて以来、4年半ぶりの自由時間である。こんな貴重な、バターのような時間を洗濯や掃除のようなごく普通にやっていることに使うのはもったいないと思ったのだ。

もともと森は放っておけば遊んでいる子で、家にいてもほとんど手がかからない。それどころか、私は家事をこなし、奴は遊ぶというけっこういいパートナーシップが成立していた。森がよってくるのはたいてい昼食後、私の脳機能がもっとも低下し、パソコンを見るか、マンガを読むかしかできないときだ。そういうときは思い切りまとわりついてきて、何とかして私の楽しみを邪魔しようとする。まあ、それくらいは(邪魔だけど)しょうがない。何しろ子どもなんだから。

歩けそうな日は身軽に出かける。森にさよならを言い、園の門を出る。その瞬間から始まる。感覚を内側に向け、足を運ぶ。足が地面を押す。と、その衝撃がからだに伝わり、腕が揺れる。また足を運ぶ。今度は逆から伝わった衝撃が反対の腕を揺らす。ただ純粋にその繰り返し。かたわらにいる小さな存在を気にせず、自分の感覚だけにすべてを集中する。これを待った。4年半待った。

歩いていくとともに、内部が暖まってくるのを感じる。足の親指のつけ根に小さな暖かい塊ができる。それと呼応して、揺れている手の親指のつけ根にも、暖かみを感じる。足と手にできた渦はお互い呼び合って、そこに対流が生まれる。それとも対流が生まれ、その結果としての渦の発生なのか。おそらく原因と結果はなく、ただ現象。

そういいたければ、気の流れ。

以前、西野式呼吸法の本を読んだときに、「丹田は四肢の充実により形成される」(ずいぶん以前なので、原文のままではない)という文に、ああそうだったのかと思ったことがある。それは手仕事に優れている人が、ときとして武道を極めた人と同じような考えに至るのを不思議に思っていたからだ。

歩いているのではなく、ただこの渦と対流を感じることの気持ちよさに我を忘れる。「我」というのは実に重い。「我」から解き放たれた身体は、ただ自然と気に満ちていく。

15分ほど歩くと、海に着く。そのままテトラポッドの先端まで行き、海の息吹を感じて帰ってくることもあるし(釣りをしている人を見ているのがまたおもしろい)、時間があればボードウォーク上で、身体ほぐしをして…。

はっと時計を見る。ああ、もう時間だ。そしてまた園まで歩く。そしてあたらしい気に満ちた身体で、彼独自の時間を過ごしてきた息子と再会する。

この間、約1時間半。

もし日常にちょっと飽いたなら、歩いてみませんか?

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春眠

春眠してました。春休み前後に実にいろいろなことがおこりまして、身体は動いていましたけれど、ほとんど脳眠状態でした。その中でおおきなことといったら

  1. 夜行に乗って帰省した
  2. 森様、幼稚園に入る
でしょうか。

3年前くらいから青春18キップで乗れる、快速「ムーンライト」で帰省するのが恒例になりつつあります。夜11過ぎに新宿を出、明け方4時台に目的地に着きます。はじめて乗ったのは、海が9歳、森が2歳の時でした。季節も同じ春休み。9時過ぎに東海道線に乗ったとき、窓から見える夜がとても暗く見えたのを覚えています。ムーンライトのホームから新宿のネオンを見あげたときは、世界の果てに来てしまったような気がしました。昔はあの辺で朝まで騒いでいたくせにね。

私たちが乗車するのは「レディースカー」という女性専用車です。快適さという点では新幹線に及ばないけど、やみつきになってしまうのはなぜでしょう。移動しながら夜が明けていく、あるいはまだ明け方の駅に立つという感覚が、身体の奥深いところにある何かをかき立てるせいかもしれません。

旅にトラブルはつきものですが、顔色を失うようなミスをしたこともあります。

ムーンライトを利用した最初のときは、帰りは新幹線に乗りました。理由のひとつは、出発時刻が深夜を回ってしまうため、駅まで送ってくれる妹に悪いと思ったからです。二度目はお言葉に甘えさせてもらいました。年老いた母も含め、一家総出のお見送り。小雨交じりの中電車に乗り込み、母と妹に手を振って、ほっと一息。そしてキップを見て、指定の席に向かおうとしたときのことです。私たちの席に人が座っていました。座席番号は確かめてあったので、私は確信を持って声をかけました。

「座席をお間違えじゃないですか」

そして自分たちのキップを出して見せました。するとその人もキップを出しました。私の方に差し出したキップには、なんと同じ座席の番号が! 驚愕の一瞬。その人の方が私よりも冷静でした。彼女は私のキップをちらりと見ると、こともなげにつぶやきました。

「それ、昨日の日付ですよ…」

私のうしろでは寝ているところをたたき起こされて、ふらふらで立っている森と、心配そうな海がいました。これは、これは、いったいなぜ???

子どもたちの手前動揺を見せるわけにはいかず、空いている席を探し、子どもたちを座らせました。車掌が来たら、なんとかお願いするつもりでした。もしも満席だったら…ええい、床でも何でも寝てやるぜ! 

幸いなことに、その席は空いていました。私はどきどきしながら、早くも眠りはじめた森を抱いて座っていました。そのときになって、ようやくどうしてこんな間違いをしてしまったか考えられるようになりました。下りの電車は午後11時発ですから到着は翌日になります。ところが上りの電車は12時過ぎ発車で、到着も同じ日の未明になるのです。上りのムーンライトえちごをはじめて利用した私は、そのことに気づかず、下りと同じ調子で、前日のキップをとってしまったのでした。じゃん、じゃん。

そして今年、同じ上りのムーンライトに、いやというほど日付を確かめて乗りました。問題はなにもないはずでした。ところが、検察のときに車掌は、思いっきり困ったような顔をして私に聞くのです。

「あの、小学生ですか…?」

一瞬何のことを言われているのかわかりませんでした。あのチビチビの森が、小学生に間違えられてキップを要求されているのかと思いました。でも車掌の視線はまっすぐに海を見ていました。そして私は思い出したのです。出発前に妹と話していた話題を。それは男性である森は、いつまでレディースカーに乗れるのだろうかという話題でした。ということはつまり…。即座に私は答えました。

「あの…女の子なんですけど…」

失礼しました、と車掌は去っていきました。ついでに聞いたところによると、小学生の男の子がレディースカーに乗るには、周囲のお客さまの許しが必要なんだそうです。でもさあ、席を取っておいて、ダメですと言われたら? そうだ。森は海と同じ顔だから長髪にして、かわいいカッコをさせればいいんだ。そんなことを考えながら、私は眠りに落ちていきました。まあ、深夜バスもあるし、色々試してみようっと。

このように旅にはトラブルがつきものです。そしてひとつクリアしても、また思いもかけないトラブルが待ち構えているのが、旅というものです。いや人生そのものか。ゲームより絶対おもしろいと思うけどな。

春眠している間も、足繁く訪れてくださった方々、どうもすみませんでした。またあらためてよろしくお願いいたします。

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オニババからやまんばへ(8)

「私たちは本当はもう、もともと受けとめられているのです。生まれてきたということだけで充分に受けとめられている存在なのです」と三砂さんは書いている。

この言葉に素直にうなづける人もいるだろう。けれど、そうではない人もまた多いに違いない。

こういう感覚を「神さま」ぬきで理解する助けに、一冊の絵本を紹介したいと思う。それは私たちがアメリカ大陸と呼んでいる土地にずっと昔から住みついていた人々の絵本である。

「わたしのおいわいのとき」という絵本だ。
主人公の少女が住んでいるのは、南西部の砂漠地帯。絵本はこう始まっている。

ときどき、人にきかれるの。

「こんなさばくのまんなかにいてさみしくないの」と。(中略)

「さみしい、ですって?」

わたしはおどろき、わらってしまう。

「どうしてさみしいなんて思うの?わたしはここがだいすきよ。」

少女は大好きなことを見つけるとお祝いをする。「たつまき(彼女はそれを「砂ぼこりの悪魔」とよぶ)」にあったり、みどりいろの雲を見たり、コヨーテにあったりした日に。三重の虹を見たときはこんなふうだ。

あたりはくらくなりかけていた。

虹にきづいて足をとめたとき、

丘の上でノウサギが

うしろ足をのばして立ち、

三重の虹をじっとみていた。

霧のなかでしずかに立って

三重の虹をながめているノウサギに出会ったのは、

きっとせかいじゅうでわたしひとり。

これはおいわいしなくちゃ。

わたしはノートにかきとめた。

丘とノウサギ、虹とわたしの絵もかいた。

それから八月九日は虹の日。

こんなふうに世界と自分の間に何の隔てもない状態を、私たちは忘れてしまって久しい。それでも子どもと向き合っていると、こういう世界の扉はいつも隣にあると感じさせられることが多い。

ついこの間、素敵な新月が夕方の空を飾っていた。ちょうど森のツメを切ったところだったので、わたしはそのツメを空にかざして

「(爪と月が)おんなじ形だね」と言った。そのあと近所へおつかいに行ったのだが、かえりみち森はずっと空を見あげ、

「おおおとこのツメだあ」

と言っていた。本にならって言えば、その日は「おおおとこのツメの日」

「わたしのおいわいのとき」とは、やまんば流に言えば身体の中心と宇宙の中心がぴたりとあった日だ。ときおりでもいいからそのふたつを合わせることができたら、「奪わず、奪われず」生きていくことに近づけるのかもしれない.

森羅万象はただ流れ込んで、そして去っていく。私たちの身体はそのパイプに過ぎない。けれど多くの場合、身体には解き放つことができなかった感情の記憶がからみつき、感度をゆがめ、そのときそのときを生きることから遠ざけている。

「オニババからやまんばへ」の章はいったん終わるが、次は「そのときそのときを生きられる身体」への道筋を「経血コントロール」を入り口としながら探っていくようなものを書いてみたいと思っている。

それでは、今日もすばらしい春の一日をお過ごしください。

私はツリーハウスを見に、森に行ってきます。」

 

わたしのおいわいのとき わたしのおいわいのとき

著者:バード・ベイラー,ピーター・パーナル,田嶋 さき子
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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オニババからやまんばへ(7)

それでは「奪わず、奪われず」という生き方とはどんなものだろうか。それを考えるために「オニババ」という存在に一度戻ってみたい。この連載も不定期で、ずいぶん長くなってしまったから、ここで一度、原点に戻ってみる。

三砂さんが提出した「オニババ」という概念は「奪う」存在の化身と見て間違いがないだろう。わたしの周りにも「オニババ」がいる。あなたの周りにもきっといるに違いない。他人の時間とエネルギーを奪い、それが当然だという顔をしているあの人のことだ。「オニババ化する女たち」の最終章に三砂さんはこんなふうに書いている。

「それにしても今は本当に、いくつになっても自分のことばかり言ってる年寄り、というのが増えたと思っています。いつまでも自分のことにしか関心がない、という感じです。それを見ていると、セクシュアルなことに加えて、やはり自分がよっぽど認められてこなかったのだろうな、と思うのです。受け止められてこなかったわけですね。(中略)このように受けとめられてこなかったお年寄りというのは、いつまでも自分のことばかりにこだわって、しがみついていますから、世代をつないでいこう、という発想にはなりません。いくつになっても自分の欲しか見えない。自分はもういいから、次の世代の人たちに世の中を渡していこう、と、すっと気持ちよく老いていくことができないように思えます。」

オニババのうしろに透けて見えるのは、すがりついてくる悲しい顔だ。いや、悲しくて恐ろしい、というべきか。「三枚のおふだ」に出てくるオニババのように、のんのんと追いかけてくる。こういうオニババに出会ったら、お札を投げながら一目散に逃げ出すことをお勧めする。。同情などしているヒマはないのである。そうしておいて、自分があの和尚さんくらい知恵のある存在になったら、今度はくるりと向きなおって、食べてしまえばいい。オニババは何しろエネルギーだけはあるのである。ちなみに「食べること」は「奪うこと」ではない。きちんと食べることは、むしろ浄化することだ。

それではもうひとつの恐怖、自分がオニババ化するかもしれないという恐怖にはどう立ち向かえばいいのだろう。そのキーワードが「受けとめられる」という体験だと、わたしは思う。お産は「受けとめられ体験」を作りなおす場、だと三砂さんは書いている。ただし充分に受けとめられた納得のいくお産なら、である。2度目の出産を経験してみて、一度目のお産は「先生」のお産だったんだな、と初めてわかった。「先生」のコーチは立派で正しかったのかもしれないが、それがお産を完全にわたしのものとすることから妨げた。わたしはできの悪い生徒のように扱われ、その力を部分的に「奪われた」。巧妙なやり方で、本人も無意識なのかもしれないが、こういう「オニババ」も存在するのである。「導く」ことと「受けとめる」ことは違う。「受けとめる」場合、「受けとめられる側」と「受けとめる側」に優劣はない。

このことについて理解するには、以前書いた「Witnessという視点」が助けになるかもしれない。(子ども、とであるが)「導く」のではない関わり方について書いたものだ。ご参照ください。"Witness"という視点

ほかの人に対する過剰な干渉は、しばしば形を変えた「搾取」であるということに気づかない人は多い。わかりやすいのが、「なに不足なく育てたのに…」という親の嘆きであるが、もし本当に「不足なく」育てたのであれば、その親は子どもから「飢える」機会を「奪った」のだ。同じように「寒いから…(風が強いから…etc)」といって(子どもが望んでいるのに)戸外に出さない親がいたら、その親は子どもから寒い(あるいは風が強い)という「体験」を奪っているのだ(何か理由があって、させてあげられず、次の機会を待つのはかまわないと思う)。

そういう経験は必要なのか、とある人は訪ねるかもしれない。わたしも必要だろうとは思っていたがある人の講演会でそのことが確かになった。それは港南台生き生きプレイパーク主催の「岡 健先生」の講演会だった。岡先生は大妻女子大学家政学部児童学科で、保育者を目指す学生を指導している方だ。チラシで確認したらおよそ1年前のことなので正確な言葉は忘れてしまったが、わたしのが感動したのはこんなようなことだ。

『自分の中心を見つけるには、両極の体験が必要である』

「暖かい」という感覚しか知らない人は、自分にとっての最適な温度がわからない。「お腹がすいた」という感覚をしらなければ、どのくらい食べたらいいかわからない。「憎い」という感情を知らなければ、「愛する」という感情に自信が持てない。「死」に触れることによって、「生」は輝きを増す。

この世に不要なものなどなにもない。両極を知り、自分の中心を感じることができたら、世界の中心とつながることができる。

(長くなってしまいました。続きます)

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オニババからやまんばへ(6)

「原身体体験」を三砂さんは次のように描写している。

「自分は一人ではなくて、誰かとつながっている、また、自然、宇宙ともつながっていて、つながっているところから力が出てくる、そういう経験です」

「原身体体験」という言葉はおそらく三砂さんの造語であり、「心理学でいう『至高体験』」から宗教くささをけしたものだと思われる。

そういう風に考えると、わたしにとっては出産が初めての「原身体体験」というわけではなかった。アンナ・ハルプリンのワークショップに参加して、カリフォルニアの大自然の中で身ひとつで踊っていたときにもそういう感覚は経験した。的外れな「オニババ化」批判でいわれるように、お産をしなければ「原身体体験」はできないというものではない。ある種の芸術体験や自然体験、あるいは深い性の体験を通じて人はそういう体験をしてきた。自然と人間がここまで乖離していなかった遠いとおい昔には、人は日常を通じてこういう感覚を経験していたのではないか、と三砂さんは言う。「原身体体験」とはとてもとても古い身体の感覚、人間の感覚の根っこにあるものだとわたしも思う。

「オニババ化」の本の中でわたしがもっともそうだそうだとうなづき、こんな事書いていいのか、と度肝を抜かれた一節を引用する。少し長くなるが、とても大事なことなのでおつきあいください。

「しかし、そういうふうに一人一人が自然や宇宙とつながっていることが感じられるような状況というのは、誰かがほかの人よりももっと力を持とうとしたり、他人を思い通りに動かそうとしたときには、おそらく邪魔なものになったのではないかと思います。一人一人がそういう自然とつながるような大きな力を感じていると都合が悪いので、おそらく、自分だけにそういった力が残り、ほかの人はそういう力を感じることはないように、系統立ててこういう経験をつぶしていかねばならなかったのではないか、と考えるのです」(p104)

こんな政治的なこと、わたしには関係ないって? いいや、このやり方は私たちの骨身に染みついている。悲しいくらい。

誰かを思い通りに扱いたいと思ったら、そのひとを「無力な存在」として扱うのが一番だ。一番わかりやすいのが子どもを扱うとき。「何にもできないんだから」といって先回りしてやってあげる。そうするとあ~ら簡単、子どもは本当になにもできないワガママな存在になる。

高齢者や障害者に対するときも同じ。「面倒を見られる存在」として扱うことによって、そのひとは無力な、管理しやすい存在におとしめられる。

私たちはあまりにもそのやり方になれてしまったので、自分の力が誰かに奪われ、自分が誰かの力を奪っていることに気がつかない。

お産は丹念な「原身体経験つぶし」の中で最後に残った砦のように思われる、と三砂さんは書く。つぶしてもつぶしてもつぶしきれなかったパワーのある経験。もちろん前述したように「原身体体験」はお産だけの特質ではないのだけれど、お産以外のそういった経験が日常の中で体験されにくいことを考え合わせると、「産んでも産まなくても『お産』と向き合う」ことから、「奪われず、奪わず」生きていくやり方を探していくことができるかもしれない。

(続く)

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トリュフの扉

ヴァレンタインである。海もチョコを作ることにしたらしい。友チョコプラスアルファである。「プラスアルファ」といっても幼なじみだから、友チョコとほとんど変わらない。つくることにしたのはお小遣いがもったいなかったからに違いない。あいつはそういうやつだ。

去年まではブラウニーを焼いていた。今年はチョコを作ることにしたらしい。「簡単トリュフ」というチョコと生クリームを混ぜてつくるタイプ。

はい、できあがり。おいしそうでしょ。

トリュフの作り方をご存じだろうか。

  1. 板チョコを削る。
  2. 湯煎で溶かす。
  3. 生クリームを混ぜる。
  4. 氷水に当て、冷やし、マヨネーズくらいの堅さになった頃、しぼり袋で直径3センチくらいに絞り出す。
  5. 堅くなったら、手で形を整え、ココアパウダーをまぶす。

どうです。簡単ではないですか。しかし、レシピと現実の間には様々なものが立ちふさがっている。今からお見せするのは、レシピからトリュフまでの間に存在し、消えていったものたちの写真である。

これはどろどろの手。チョコを丸めるのは粘土遊びと同じくらい楽しい。ひとつ誤算だったのは、幼児の体温の高さである。森が丸めたトリュフは、おおきな鼻くそみたいになってしまった。残りは全部手に…。

ボールやゴムべらについたチョコをなめた口は、まるでひげ面のおっさんだ。

この写真の数分後、森は海によって追い出された。



次の写真は潔癖な人は見ないほうがいいかもしれない。

なぜって、あれそっくりだからだ。「あれ」とは…。

○ンチくんだあ。






そしてこのつやと輝き。



Ya63

完成したトリュフというのは、書かれた歴史みたいなもんだ。その扉の奥に丸ごとの現実が転がっている。手作りのチョコをもらうということは、本当はとてもおそろしいことなのかもしれない。

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オニババからやまんばへ(5)

病院で産もうと思ったことは一度もなかった。最初の妊娠は30代半ばで、20世紀には高齢出産の部類に入っていたはずなのだが、いこうと思ったことすら一度もない。「産める」ものだと思っていた。最初から助産院を探し、運のいいことにそれが勤め先の市にあった。わたしは陣痛がくるまで働いて、その助産院で海を産んだ。

そのときの手記が今でも「Babycom」というサイトに掲載されている。

わたしの出産体験記

ずいぶん以前の文章なので、こっぱずかしいが、まあお時間のある方はお立ち寄りください。それをぬきにしても「Babycom」は、きくちさかえさんなどが関わっているお勧めサイトなので、こちらの方へは積極的にどうぞ。

Babycom

2度目に妊娠したとき、どこで産むかはすっきりと決まらなかった。連れ合いは「前の助産院で」と思っていたようだが、勤めを辞めていたこともあり、わずか駅二つの距離とはいえ、わざわざ通う気になれなかった。住んでいる市に数年前にできたばかりの助産院を見つけたのはそんなときだ。自動車でなければ行けない距離だったが、まずは連れ合いと話を聞きにいった。そこは本当に普通の家で、気持ちのいい空間だった。ただ以前の時は、後産がスムーズにいかなかったという経緯があり、それが心配です、とわたしは話した。そこの主である助産婦さんは、しばらく黙っていたが、一言「わたしなら、待ちます」とおっしゃった。

(ちょっと説明が必要かもしれないが、1回目の出産では産んだ後に胎盤がなかなか出てこなかったので、経験豊かな助産婦さんはある種の働きかけをしたのだが、彼女ならそれをせずに「待つ」という意味だ。)

おそらくこの言葉を聞いたとき、わたしの心は決まった。その場で決定こそしなかったものの、帰ってからふたりで話し合い、結果的にその助産院で産むことに決めた。決める途中で、いろいろなことを考え、その中でわたしはひとつのことに気づいた。それは7年間もわたしの中でくすぶっていた思い、「わたしは産むのがうまくない」という思いがどこからやってきたのか探ることでもあった。

前回お世話になった方はたいそうなベテランで、経験や実力という面では申し分のない人だった、と思う。けれど、意識してのことではないのかもしれないが、「経験豊か」なのは彼女であり、わたしは彼女に導かれる「新米の」産婦であるという図式が、いつの間にかふたりの間に成立していたということに初めてわたしは気づいた。手記を読んでもわかるが、わたしはあくまで教えられる側であり、彼女は導く側だ。そのことがわたしの中にずっと無力感として残っていた。後産がなかなか出ず、処置をしてもらったことも、自分の身体への信頼を損なう一因だった。

2度目に産んだときはまるで違った。初産と経産の差はあるかもしれない。けれど今回の主役は丸ごとわたしであり、世界はわたしだった。「オニババ化」の本で書かれている、「原身体体験」(「しっかりとからだに向き合ったお産」のときに感じる宇宙とつながったような経験)をようやくすることができたのである。

(続く)

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オニババからやまんばへ(4)

ちょうど月経の話が一段落ついたところで、少しお休みをしてしまいました。森の声さんの「通信」に載せていただいている文章を書いていたのです。その中で、ずっと書きたかったことを書くことができ、ほっとしています。そのうちブログ上にも掲載するつもりです。

次は出産の話。けれどその前に「骨盤底筋エクササイズ」体験の報告をしたい。この微細な動きは「月経コントロール」とからめて語られることが多いが、それだけのものではない。だから様々な理由で月経がない人も、やってみる価値のあるエクササイズだ。そのあたりを少し具体的に語ってみたい。そのためにまずは時間を遡る。

アンナ・ハルプリン(注:プロフィール参照)のところで受けたコースのひとつに、「セルフ・ポートレイト」がある。最終的には「セルフ・ポートレイト=自画像」を描くのだが、その前に順を追って、身体の各部分をていねいに見ていく。ダンスのワークショップであるが、例によってお絵かき(ビジュアライゼイション)も入っている、豊かでパワフルなコースだった。詳細はいつかの未来にゆずるとして、ここでは最小限の説明を試みてみる。

まずはからだを部分に分ける。「頭、腕、胸、腰、足」。骨格と筋肉について学習し、ていねいに動かしてみる。そうするうちに各個人が持っている「身体の癖」が現れる。それを自分の「ものがたり」として自覚し、ダンスとして表現することで、身体の中にため込まれていた癖は解放される。解放された癖は「枷(かせ)」ではなく、オリジナリティとなってそのひとの存在を支える。最後にすべてを統合した等身大の「セルフ・ポートレイト」を描き、それにむかって踊りをささげる。

このようなプロセスを経て、自分のからだとだいぶ親しくなったと思っていたので、骨盤底筋の存在を三砂さんの本で読んだときはショックを受けた。このワークショップではノーマークだったからだ。「骨盤底筋エクササイズ」はわたしにとって、パズルの最後のピースだった。このエクササイズを意識してやるようになって、身体の栓がきちんとしまった感じがしたのだ。ということはそれまで「開いていた」のに気づかなかったということだ。「気」をたれ流していたのだ。ああ、恥ずかしい、そのくらい衝撃だった。

からだの栓をきちんと閉めるようになってわずか数週間。感覚は確実に変わっている。身体感覚(フィジカル)としては「背が高くなったような気」がし、「中心軸が通ったような感覚」がある。感性(フィーリング)としては「さえている」。感情的(エモーショナル)な側面では「わたしはわたしの力を自分で保持している」と感じる。

「月経コントロール」のためだけの「骨盤底筋エクササイズ」ではない。女性のからだの可能性への大きな鍵を握っているエクササイズだと思う(男性の身体については、自分で試してみることができないのでわかりません。試した方のレポートを待っています)。多くの女性がこのエクササイズをきっかけにして、身体の感覚に自覚的になっていければ、すばらしいと思う。

このエクササイズを中心にした、からだのワークショップを展開してみたくなってきた。(続く)

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本日は雪天

目が覚めて雪が降っているのを見るほど幸せなことってない。雪の多い地方に生まれ育ったわたしは、大人たちがどんなに雪に苦しめられたか知っているはずなのに…。子どもたちは朝から全開で遊んでいました。わたしは子どもたちの着替えを用意しつつ、家事のヒマをぬって遊んでいました。

後で散歩に出かけたら、いろいろな雪だるまに会いました。写真を撮っておけばよかったな。

「本日は雪天なり」という言葉は、あまんきみこさんの「車のいろは空のいろ」という童話集に出てくる言葉です。

車のいろは空のいろ 白いぼうし (新装版 車のいろは空のいろ)

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オニババからやまんばへ(3)

さて「月経血コントロール」の話だ。わたしは「…だったらいいのにな」とあまり思わない人種だが、初潮があった頃にこの話を知っていたらな、と久しぶりに思った。「月経血コントロール」は経血を一時的に止めておく身体技法の話だ。「オニババ化…」には失われゆく寸前の貴重な身体技法と、宇宙の中心につながっていく身体感覚がたっぷりつまっている。

ところで「月経」もしくは「月経血」って言葉を見るだけでくらくらする方はこの先ご遠慮ください。なんちゃって…。

わたし自身はあまり月経で苦労をしていない。月経痛もないし、そんなに多量でもない。そのせいか「今日は生理だから…しない」ということがほとんどなかった。おまけに「誰よりも先にお腹がすいたのに気づく」くらい身体感覚が鋭敏だったせいか、「卵子の落ちる音」が聞こえた、と思ったときもある。まあ身体とは仲良くやってきた方だと思う。ひとつだけ心残りがあるとしたら「エコナプキン」もしくは「布ナプキン」の存在を知るのが遅かったことだ。結局最後の一歩が踏み出せず、今日まで来ている。しかし「月経血コントロール」にはからだがすぐ反応した。

血をコントロールするということは、お小水を我慢するように膣や子宮に経血をためておき、トイレに行ったときに出すということだ。その要となるのは「骨盤底筋」で、この筋肉は女性の場合イメージとして、小を出すところと大を出すところをカバーするように「骨盤の内部で膀胱など下腹部の臓器をハンモック状に支え」ている。この筋肉を意識し、締めたりゆるめたりすることで経血のコントロールが可能になる。身体の他の部分をコントロールするのと何ら変わらない。つまりわたしが受けてきたボディワークと同じなのだ。

実は「ヤマンバ化する…」を読む一年前に、某タウン誌に載った「骨盤底筋エクササイズ」の記事を、わたしはそれと知らず切り抜いておいた。そしてときおりそのエクササイズを行いながら、「何て気持ちがいいんだろう」とひとりでうっとりしていた。今その記事を捕りだしてよくよく見れば、三砂さんの本で触れられていた「大和撫子のからだづくり教室」で講師をやっているNIDOさんの記事であった。

残念なのは、これまで過ごした月経の回数より、これから経験する回数が少ないことだ。若い世代にこそ伝えたい技術だと思う。「経血コントロール」ができることももちろんだが、骨盤底筋を意識するようになると、からだの軸がすっと通る。それに「気」の損失が最小限になる。

興味ある方、また本を読んでもピンと来なかった方、一緒にやれる機会があるといいですねえ。ボディワークの要領でやれば、簡単かつ快感です。

ああ次の「月のもの」が楽しみだ。

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オニババからやまんばへ(2)

「オニババ化する女たち」をめぐる論争について信頼できそうなページを見つけました。興味のある方はこのページを入り口にしてご自分で真相を確かめてください。わたしは少し違った観点から論じてみようと思います。

内田樹の研究室 「オニババ化する女たち」

内田樹の研究室『オニババ』論争の火中に栗を拾う

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小学生が学校で使う性教育のテキストを見る機会があった。今は男女同室で行うそうだから、わたしが受けてきたような「女子だけ別室、男子は体育」という時代の隠微な感じはしない。しかしその代わりに「まったくおもしろくない」。

「まったくおもしろくない」とカギ括弧つきで書いてみた。まあ医学書か解剖書を見ているようだと思ってください。感情的な色合いがない性教育を目指しているのだろう。たとえば月経を迎えた女子が恥ずかしく思うことのないように。月経を恥ずかしく感じる必要はないのは言うまでもないことだが、その結果どういうことが起こるかというと、月経は男の子がしなくていいのに女の子だけがする「余分な労働」にすぎなくなる。「恥ずかしい」ものではなく「めんどくさい」ものに変わるのだ。残念ながら、このワナに陥ることを防ぐ力を今の性教育は持たない。仮に「いのち」の尊さを「出産」のすばらしさとセットで語ったとしても、小学校高学年の子どもたちにとっては、それは「未来」のすばらしさである。下手をすると「未来」によって「現在」を規定する「お受験」と似たような様相を持ちかねない。

じつは「女子だけ別室」世界は今も存在している。キャンプや修学旅行のような泊まりがけの行事の前に、女子だけ集められ、生理用品の使い方について教わる。おそらくそれは純粋にテクニカルな場面であり、だとしたら確かに男子には必要ない。今の子は初潮を迎えたからといってお赤飯を炊いてお祝いするのだろうか。少なくとも「そうするもんだ」という意識はわたしにはない。そのことにあらためて気づかされた。お祝いもされず、秘めもせず、単なる「余分な労働」では確かにいやになるかも。

現在私たちが生きている産業社会に一番欠けているのは「月経のものがたり」だと思う。実はある時期、わたしは身体の中からわき出るように「月経ものがたり集」とでも呼ぶべき一連の作品を書いていた。今から思えばあれはわたしがわたし自身の体験を自分の言葉で把握しようという本能的な試みだった。ただ私は自分のことから始まっても、いつの間にかそれがフィクション(他人と分かち合うためのものがたり)になっているという性癖を持つ人なので、事実確認や告白にはならなかった。その中に初潮を迎える前の少女を題材にしたものがたりがある。それはある本で見かけたアフリカの部族が初潮を言い表す言葉がもとになってできた。その部族では女の子が初めての月経を迎えたことを「彼女は象を殺した」という。わたしはそれをそのものがたりの題名にした。

「オニババ化…」にも「北部アメリカのインディアン(原文のまま)」の話が載っている。「月経のたびに女は生まれ変わる」というものがたりは「次の世代へのやさしさに満ちている」と著者はいう。単なる、産めよ増やせよ本ではないのである。

(続く)

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オニババからやまんばへ(1)

「やまんばさんになりたい!」というと、不思議そうな顔をされることもある。何であんなものになりたいの? という問いがその裏側に潜んでいることは間違いない。わたし自身もわかっているようで、はっきり言葉にしたことはないこの問いに2008年最初の課題として答えてみることにしたい。長くなるかもしれないけど、少しずつでも書いていくのでおつきあいください。

1冊の本の紹介から始めたい。数年前にちょっと話題になった本だから、読んだことのある方もいらっしゃるに違いない。以前から友人が勧めてくれていたのだけれど、わたしが読んだのはついこの間。

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す 「オニババ化する女たち―女性の身体性を取り戻す」

 三砂ちづる著(2004年)



それともう1冊、同じ著者と内田樹さんの対談で

身体知 「身体知―身体が教えてくれること」内田樹×三砂ちづる(2006年)

後から出た対談集によると、「オニババ化する…」はフェミニズムを含むいろいろな方面から誤解されたり、反論されたらしい。それだけインパクトのある内容で「はじめに」の描写がのっけからすさまじい。昔話に出てくる、子どもを襲うオニババ(「三枚のお札」だと思う)の話からつながって

「あれは社会の中で適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、ときおり『エネルギー』の行き場を求めて、若い男を襲うしかない、という話だった、と私はとらえています」とくる。

このあたりの表現が一人歩きして、センセーショナルな取り上げ方をされたのだと思うが、じつはこの本の言っていることはとても奥深くおもしろい。

「はじめに」の別な箇所から引用する。

「女性として生まれてきたからには、自分の性、つまり月経や、性経験、出産といった自らの女性性に向き合うことが大切にされないと、ある時期に人としてとてもつらいことになるのではないか、ということです。(中略)反対に、自分のからだの声を聞き、女性としてからだをいとおしんで暮らすことができれば、いろいろな変革をとげることができるのです」

どうだろうか。きわめてまっとうな意見だと思うのは、わたしだけではないだろう。ポイントはこの著者が書いているように、「女性のからだにとって重要だと思われること」を「少し違った視点から取り上げた」ことにある。この切り口の違いが、ある種の人たちに拒否反応を起こさせた。その第一ハードルが「月経血コントロール」である。

(続く)

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こっこのおうち

ある日、我が家の庭に一戸建てができた。といっても羽のある小さい住民のものだ。きっかけは一冊の絵本だった。生きものが飼いたいといってがんばる子どもの話で、オチはお父さんが庭に小鳥のエサ台をつくってくれるというもの。色々事情があって、羽や毛皮のついた生きものは飼えない我が家(ぜんそく児がふたりでは…)にぴったりの話ではないか。

じつは昔ハトを飼っていたという相棒は、いつの間にか材料を買い込み、子どもたちと家を作り上げた。そして森の誕生日プレゼントもかねて、10月29日に庭に据えられた。ほら、こんな風に。

しかし、それからが長かった。おそなえ(写真に写っているのは破米とピーナッツ)が悪かったのか、警戒していたのか、待っても、待ってもコッコは来ない。じつはこのおうちには明白なターゲットがあった。それは以前もこのブログに出てきたスズメの「クロちゃん、シロちゃん」である。

隣のボロソくん(番外編)ボロソくんのいる風景

我が家の隣家の雨どいに住んでいる食いしん坊のスズメに、ぜひ転居をオススメしようというのが相棒のもくろみだった。ヒヨドリなど、大きい鳥に住み込まれないよう、入り口の大きさも修正してあるのが、写真を見るとわかる。

けれど、来ない、待っても、待っても来ない。エサも変えてみた。炊飯器に残ったご飯、オートミール。スズメたちのために、何かを購入することはしなかったけれど…。流れが変わったのはクリスマスだ。そもそも「クロちゃん」という名前はクロワッサンのかけらをあげたとき、我が家にお礼を言いに来たことから来ている。きっとケーキも好きだよ、とお皿のくずをかき集めて、エサ台に載せた。クロちゃんへのクリスマスプレゼントだと子どもたちは言った。

翌朝、ケーキはきれいになくなっていた。それで安心したのか、それとも単に、食料の少ない季節に突入したというだけか、クロちゃんたちは頻繁に姿を現すようになった。もともと我が家の庭はエサ場として認識されていたからその点では問題ない。しかし、やはり見慣れぬ人工物へのハードルは高いらしく、最初は一番勇気のあるクロちゃんが、エサ台の載せてあるコンクリート塀をちょんちょん飛んで接近してきた。近くまで寄ると、エサをつついて、ぱっと逃げる。そのうち、クロちゃんはエサ台から食べるようになり、相棒のシロちゃんもそれに続いた。あんなに小さな生きものにも個性はある、という発見は驚きだった。先陣を切るのは決まってクロちゃんなのだ。

最近のヒットはポップコーンの残り。お正月に試した「電子レンジで作るポップコーン」。けっこう焦げてしまったので、それをくだいてあげた。そしたら、日に何度も来る。クロちゃんたち以外のスズメもくる。大繁盛である。もちろん野生の生きものを餌づけする危険性というのはある。人間の食べる加工品はいろいろな薬品が使われているから、動物によくない影響を与えるのは間違いのないところだ。ましてや、あんな小さな身体である。「スズメがアトピーになったらどうしよ」と冗談交じりに子どもたちに話す。今の在庫がなくなったら、また(それほど人気じゃなくても)オートミールに戻すことにしよう。それともそろそろアワでも買ってくる頃だろうか。

バードフィーディングはおもしろい。体験談などお持ちの方、ぜひお聞かせください。

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だれかが 踏んだ

ミルクの膜(まく)って好きですか? ほら牛乳を温めたときにできるあの膜です。今日はその話。

朝の風景。トーストと果物。大人はコーヒーか紅茶。海はミルク紅茶、森は牛乳。海が牛乳じゃないのにはわけがある。海は生後4ヶ月から大豆、卵、牛乳の三大アレルギーで、幼稚園まではかなり食事に気をつかった。小学校に上がるまでに何とか牛乳を飲めるようにはなったものの、給食で当たり前のように毎日牛乳が出るため、朝は飲まないように自分で気をつかっている。学校のおいしくない牛乳を飲んで、ウチのおいしい牛乳を飲めないのは???(そんなに特別な牛乳ではありませんが一応生協です)ではないかと思うのだが、生まれついての節約家である海は、同じ金額で飲めるものを残したりする子ではない。だから給食がない日は、海にとって特別な日だ。夏はそのまま、冬はレンジで温めてほかほかのホットミルク。

それをそっくりまねするのが森だ。海と張り合うようにしてレンジで温めるのだが、熱すぎると飲めないと思って、森のだけ手前でとりだすと文句を言う。海のと同じように湯気が立って、膜ができていないといやなのだ。そのくせ、なんだかんだで飲む頃にはすっかりさめている。まったく温め甲斐のないやつ。

ある朝のこと。たぶん冬休みも間近。いつものように森の牛乳をテーブルに置いた。もちろん湯気が立っているほっかほかのホットミルク。だが森の様子がいつもと違う。森は眺めている。ほっかほっかの…。

湯気…?と最初は思った。湯気を見ているのかな。森は何か言った。よく聞き取れない。もう一度聞く。なんだかちょっとふしぎそうな顔で繰り返す森。どうやら膜のことをいっているらしい、と今度はわかる。

「ああ、膜はっているね」と愛想もない返事はわたし。だがその返事は的外れだったらしい。なぜなら森がもう一度繰り返したからだ。

「だれかが…踏んだ…」

わたしはじーっと森の見ているものを見た。ミルクカップに張った膜には、微妙なしわが寄っていた。わたしは小さい頃経験した雪の朝のことを思い出した。ミルクの膜に寄ったしわは、降りたての雪の上についた足跡そっくりだった。

森の目にはミルクの上を駆け抜けていく、誰かの姿が見えたのだろうか。

冬の朝にはミルクカップの上を小人たちが駆けていく。おかげでわたしにも、小人さんたちの姿が見えるようになった。

ありがとう、子どもたち!

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はじまりへ

新年あけましておめでとうございます。今年もつたない歩みを続けていくことができますように。また皆様ひとりひとりが、自分の感覚を大切にして過ごしていくことができますように。

はじまりの話。

川の流れを遡るのが好きだった。同じように物事の始まりを考えるのも好きだ。しかもちょっとやそっとのはじまりではない。誰かの感性や思惑によって曇らされていない徹底的で、根源的なはじまりまでたどり着きたいといつも思ってしまう。

たとえば「お正月」にまつわる様々なもの。もともと「伝統」とか「習慣」とかとは縁が薄いので、家には「しめ縄」とか「鏡もち」とか一切飾らない。「鏡もち」は三種の神器の銅鏡から来ていると思っていたので、余計にいらないと思っていた。ところが、ふとしたことから「鏡もち」が象徴しているものについてべつの見方を知った。

きっかけは「宗像教授伝奇孝」という星野之宣のマンガを読んでいたときだ。「鏡もちは蛇のとぐろを巻いた姿」という一言があり、それが気になって調べてみた。結果、いくつかのHPを見つけたのでリンクしてみる。

京都地主神社 どうも縁結びの神社らしい。そのことの是非はおくとして、このあたりの記述は参考になる。

吉野裕子の「蛇」  WalkinさんのHPの中にある吉野裕子さん(民俗学者)の本の紹介。わかりやすくまとめてあるのでリンクさせていただきました。本自体は未読なので、またそのうちに。

もちろん、このあたりの記述を丸ごと鵜呑みにする必要はない。ただわたしの場合、「鏡もちは三種の神器の銅鏡をかたどったもの」という説明より遥かに「腑」に落ちた。この「腑に落ちる」という感覚こそ、わたしが大事にしているものだ。「腑」すなわち「はらわた」。もっとも普通は「腑に落ちない」と使うので、「腑に落ちた」という用法は一般的ではない。「頭」や「目=視覚」は簡単にだまされるが「はらわた」はなかなかに頑固で疑り深く、必要なものを見分ける知恵に満ちていると、わたしは信じている。

今年も「はらわた感覚」で生きていきたい。

おまけ

しめ縄は「蛇の交合する姿」だそうで。来年から「鏡もち」と「しめ縄」をかざろうかしら。自分でつくってもいいしね。

ちなみに初詣は寒川神社に行き、本殿には一応お参りしましたが、ほとんど人の後ろ姿しか見えませんでした。境内から逃れた後、その神社が本当にまつっている大山に心の中で手を合わせて帰ってきました。古い神社がまつっているのは、「山」であることが多いのですが、その「山」とは「蛇のとぐろを巻いた姿」とか。

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海のケーキ、イチゴの海

ここ数年、クリスマスに作るケーキは毎年同じだ。山本麗子さんのイチゴのケーキで、生クリームのイチゴケーキの観念をすぱっとひっくり返したのが気に入っている。どうひっくり返したかというと、イチゴが丸ごと載っていない。

ウチでは子どもたちと一緒に2日がかりでつくる。23日には台を焼き、24日にはクリームをかけ、飾りつけをする。できあがるのは、決まって相棒が帰ってくる夕方。帰ってきた奴は毎年決まって、「あ、イチゴのケーキだ。ごちそうさま。父ちゃんがみんな食べちゃおうかな」と言う。毎年のお約束のように。

うまくできるようになるまでには色々あった。型に塗るバターの役割を理解していなかったため、台が型から外れなくなった年もあった。このときは無理矢理出したためボロボロになったスポンジを、どうにかクリームで隠した。ある年は、スポンジとスポンジの間にはさむ、生クリームとイチゴの順番を間違えて、ケーキが横滑りした。このときは崩れそうなケーキを必死で切り分けた。

ウチではこういう洋菓子はめったに食べない。小さいときはアトピーがひどく、幼稚園のお誕生会のアイスクリームも食べられなかった海が、一年に一回だけなら何とか…、と作り始めたケーキだから、たぶん今年で5回目くらいになる。はじめはボールについた生クリームをおずおずとなめるくらいだった海のお手伝いは、年々進化し、昨年からはスポンジをほとんどひとりで作るようになった。おかげでそのあいだにわたしは夕食の準備ができる。

動作のひとつ、ひとつが早いわけではないけれど、着実に粘り強く物事を進めていく海に、お菓子作りは案外向いているのではないかと思う。材料を混ぜるにしても、海の混ぜたのはなめらかだし、ボールについた材料も最後まで、なめてきれいにする。中でもこのケーキの仕上げである、イチゴの飾りつけはもう海の独壇場だ。この段階になると、もうわたしは手を出さない。どう見ても海の方がうまいのだ。今回はあまり上手にできたので、食べる前に写真を撮った。クリスマスは過ぎてしまったけれど、どうぞお召し上がりください。

海が飾ったイチゴたちはなんだか海に立つ小さな波のようだ。

海のケーキ、イチゴの海。

メリークリスマス。

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ワタリウム(4)

ワタリウム美術館や熊楠に興味を持たれた方は、美術館のHPで詳細を見ることができます。クマグスの森

お時間のある方はぜひ足を運んでその場に立ってみてください。過去展の内容を見ても、シュタイナーあり、岡本太郎ありで「ワタリウム美術館」、正式名を「The Watari Museum of Contemporary Art(ワタリ現代美術館)」というだけのことはある、現代に目を据えた美術館です。立地もふしぎ。青山3丁目のベルコモンズの角という華やかな場所からいくらも離れていないのに、1階の書店のようなたたずまいのせいか、ひっそりと目立ちません。

では本文続き、スタート。

二階でひとつの衝撃が海を待っていた。クマグスの粘菌への興味は広く知られているが、なんとガラスの培養槽にはぷにぷにした黄色い粘菌が展示してあったのだ。粘菌は生きていて、時速1㎝(センチ)で移動中だという。海はじっと粘菌を見つめた。寝起きの自分より遅い生きものがそこにいた。「やっぱり、わたしはわたしでいいじゃん」と海が思ったかどうかは知らない。それは培養槽の中でナウシカの森のようにひろがり、周囲に奇妙な安らぎをかもしだしていた。

手描きの菌類図譜に見られる徹底した具象性と、「個々の現象は独立したものとしてあるのではなく、その関係性が世界をつくりあげている」という果てしない抽象性がクマグスの中に同居しているのを、わたしはとてもおもしろいと思う。クマグスは「エコロジーという言葉を日本に最初に紹介」し、「神社合祀令による森林伐採の際、反対運動に奔走した」人でもあるのだそうな。マジだね、おっちゃん!

エレベーターで1階に下り、人の行き交う道に出た。ベルコモンズの角を曲がると、そこはもう青山通りだった。通りを埋める人々の黒い頭が、粘菌のようにうごめくのを見ながら、今日のゴールである代々木公園に向かった。イチョウの葉が一面に敷き詰められた広大な公園で、いろんな人々が本当にいろいろなことをしていた。サッカー、ジャグル、歌の練習、写真撮影、映画撮影、忘年会の練習をしているらしい仮装のサラリーマン。人々はおたがいに独立しているけれど無縁ではなかった。

「個々の現象は独立したもの