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2009年6月

家を洗う4

我が身を振り返らなければならなくなったのは、義母だけではなかった。和室の隅には私たちの「とりあえず使わないもの」も置かれていたのだ。相棒はあくまで、床に何も置かないことを主張した。その中には段ボールに入ったままの自著の在庫などもあり、私はそれをどこかに動かさなければならなかった。

どこかに、といっても家中すでにいっぱいである。思えば和室は便利な「ブラック・ボックス」だった。いらないものはとりあえず、そこに押し込んでおけばいい。

「あそこも片付ければ何とかなる」

「とにかく片端からどんどん片付ける」

という相棒の厳しい方針により、私は寝室のクローゼットを片付けることになった。着るかも(いつか? 私が? 海が?)と思っていた洋服も処分した。カセットテープも大量に捨てた。和室から始まった掃除の波は、いつしか家中を巻き込んでいた。

相棒と暮らし始めてからちょうど15年。こびりついてしまった暮らしの垢を掻きだして、新しい波をむかえる。海も中学生。育てるだけの暮らしから、旅立つことも視野に入れた暮らしに切り替えるちょうどいい潮時。

一連の出来事の中で何よりうれしかったのは、以前本棚から間引いたまま、和室に起きっぱなしになっていた本が処分できたことだ。ほとんどがハードカバーの人文書、間引かれたとはいえ、相棒にとっては大切な本だった。どうせ某B-OFFに持っていっても引き取ってもらえないのはわかっていたから、勇気を出して他の古本屋を回った。はじめの2軒の対応は予想したとおりで、打診したときに難しいのはいらないといわれたので、わざわざ文庫中心に選んでいったのだが、それでもジュース代にしかならなかった。

折しも翌日は古紙の日。引き取ってもらえなかった本を縛って出しておいたら、おじさんが来てあさっていた。どのような形にせよ、求められたのがうれしくて思わず声をかける。

「あのぉ」

おじさんがびくっとする。

「好きなだけ持っていっていいので、ちゃんと縛っておいてくださいね」

後で見たら、どうしてこれを?という本が抜けていて、おまけにちゃんと縛ってなかった。他人のニーズというものはわからない。

最後に二袋の本が残った。中でも厳選したハードカバーばかり。これをどこに持っていくのか。実は私には当てがあった。以前から目をつけていた某古書店。商店街の中ではなく、ただの道沿いにポツンとたっている。一度も入ったことはないのだが、珍しそうな本が並んでいて、開店したときからつぶれるのは時間の問題だと思っていた。ところがつぶれなかった。それどころか数年前に移転し、以前よりわずかに駅に近く、わずかに広い場所に店を構えた。問題はしょっちゅう店が閉まっていることで、重い本を運んでいって無駄足じゃやるせないので、持っていくのに二の足を踏んでいた。

その日、私は朝から機嫌が悪かった。原因はわかっていた。本を持っていきたくないのだ。断られるのがイヤなのだ。内面の声を無視しきれなくなった私はひとつ保険をかけた。(本当に滅多にしないのだが)気のおけない友人とランチの約束を取り付けたのだ。友人に電話をかける前、内面の子供によく説いて聞かせた。

「今日でないかもしれないよ。今日(彼女の)時間が空いているとは限らない。でも必ず約束するから」

私は運がよかった。私たちは今日の12時に会うことを約束した。そして、私は自転車の荷台に本を積んだ。

古書店の中は想像以上だった。ハトロン紙をかけた本がびっしりと並び、床にも本が積み上げてあった。懐かしい神田の風景。おじさんは私が持っていった本を積み替え、積み替えしながら眺めている。私は壁の本に目をやりながら、その様子を横目で見ていた。しばらくしておじさんが言った。

「…いい本ですね」

「当たり前だ」と私はこころの中で叫んだ。一級品の人文書売り場に並んでいた本だぞ。

おじさんは思いきったように値段を言った。私は言い値でいいです、といった。

ランチに使い込みたいという誘惑を退けて、本を売ったお金を相棒の机の上においた。端数はくれるかな、という期待もあった。帰ってきた相棒は、私の話を聞くと一言

「捨てないでよかった…」とつぶやいた。

結局、分け前は請求しなかった。この出来事が予想以上に相棒の何かを癒したのを感じたからだ。薄っぺらな資本の論理の底で、何か別の流れが途切れずに続いている。その流れを信じてみようと思った。

(続く)

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家を洗う3

(繊細な方、きれい好きの方は食事前に読まないことをお勧めします)

押し入れそのものの掃除に活躍したのは海であった。

ざっと掃除機をかけた後、こびりついたゴキブリの糞を歯ブラシでこする。我が家では滅多に使われない合成洗剤を薄めた液をつけて。その作業をコリコリやっていると、海が近づいてきた。実は彼女はこういう細かい作業が大好きだ。それを知っているから海がいるときに始めた、ということもある。

「やる?」ときくと、「うん」と答えたので選手交代。海ちゃんももう中学生。現実の汚さ(文字通り)を知っておくのもいいでしょう。押し入れには黒いカプセル上のものもこびりついていた。最初ネズミの糞と勘違いしたが、相棒はこともなげに「ゴキブリの卵だよ」と言い放った。

ええ~、見たことあるわけ!!!

さすがに海はそれに触るのをいやがったので、私が交代。それもこれもコリコリと落とし、掃除機で吸い取る。水拭きをし、洗剤を落とすと、一丁できあがり! 海ちゃん、偉い!

庭に面した窓には障子がはめてあった。日に焼け、茶色くなり、おまけにある日窓を開けておいたら、風で破れた。外そうとしたら、この障子は外せないことがわかった。おそらく建てられたときからそうだったのだろう。この家の内装は所々怪しい。業者の手抜きが見え隠れする。ということは障子張りは外からやることになる。その過程を想像するだけでうんざりする。

だがまずは…。

「(森)し~ん」と呼んだ。今回、部屋が汚いから入るな、とお邪魔虫にされ続けた森の出番がついにやってきた。

「障子、破っていいよ!」

森は飛んできた。さっそくビリビリ、グシャグシャやり始める。すると海も飛んできた。

「森の届かないとこ、やってよ」というのに、一緒になってバリバリやっている。それどころか、森が手を伸ばそうとするところを先回りをしてバリンと破る。まったく、もう! まあこういう時はうるさいことはいわない。私も手を伸ばして一番上をバリッ! 舞い散る障子紙。子どもたちの笑い声。これぞまさしく破邪の舞。ちぎれた紙をゴミ袋に押し込んで、後に残るは骨ばかり。

障子のなくなった枠は、真実の骨格のように和室の風景を照らし出す。古いものをはぎ取ったすがすがしさが、やがてくる何かを予感させた。

(続く)

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家を洗う2

押し入れにしまったものの大半を義母は忘れていた。

「私は知らない」

「私のものじゃない」と何度も言われた。

それを一つ一つ確認し、「取っておいて」といわれたもの以外は捨てた。

最初、その役は私に回ってきたのだが、私は「できない」と断った。だって、私はその「もの」に対する記憶が全くない。義母がおかしなことを言い出しても、止める根拠がない。相棒はとてもイヤそうにその役をこなした。かわいそうだが、仕方がない。過去の決着は自分でつけるしかない。10代、20代の頃着ていた服がしみだらけになって出てきた。奴はそれを黙って全部捨てた。

布団は私の役目だった。二間ある押し入れの上段にぎっしり詰まった布団を使えそうなものと捨てるものに分けた。とりあえずのゴミを落とし、状態を見る作業は相棒の手を借りて玄関先でやった。私はマスクをつけ、子どもたちを遠くへ追いやった。ときおりゴキブリの糞や死骸が出てくる布団は、とても家の中で払う気にはなれなかった。

3分の2の布団が使えないと判断された。ゴミを出すにもお金がいる。茅ヶ崎では「布団」は3枚で500円であった。捨てる布団は10枚以上ある。2000円払って捨てるのはあまりにもったいない。市の「環境事業センター」を調べた。車で持ち込めば、かなりの重さまで500円だという。もったいなさが私を突き動かした。相棒と二人で車のトランクはもちろん、後部座席にまで布団をぎっしりと積み込み、平日は動けない奴に変わって、私が搬入することにした。初めての道、初めての場所…。

心細い私を救ってくれたのは、昨年引っ越したばかりで「環境事業センター」にもお世話になった友人の道案内だった。

布団(それに押したたみ式テーブルが一台)は全部で40㎏だった。

布団を干しながら掃除をする日々が続いた。15年もののホコリを吸い込みたくないので、防塵メガネにマスクをかけて布団を叩いた。その音はどんなに小気味よく響いただろう。呪いを払うつもりでやった。よどんだ精神をこの家から追い払い、新しい風を入れること。

一度、とても風の強い日に、夏掛けが飛んでしまい、お隣のレトリーバー「レオちゃん」のいるデッキに落ちたことがあった。私と森が公園から戻ったとき、レオちゃんはその上にちょこんと座り(もう大きいのですけどね)うれしそうに布団をなめていた。さっそくお隣に話し回収したが、その布団を汚いとはまったく思えなかった。ゴキブリの糞に比べたら、犬の方がよっぽど清潔だ。レオちゃんに清めてもらった気がした。

(続く)

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家を洗う1

我が家には「開かずの間」がある。

玄関を入ってすぐ左、6畳の和室である。この和室は義母の管轄で、数年前まで、朝にはシャッターを開け、夕には閉めていたのだが、義母の高齢化とともにここしばらく締め切りの状態が続いていた。

そのため中はかび臭く、押し入れには15年以上前、この家が建てられたとき以来の布団類が詰まったままだ。荷物をいじった、いじらないで何度かトラブルの種になったこともあり、私はこの和室に入るのが大嫌いだった。何しろゴキブリの巣、である。スリッパを脱いではいるのがいやで、どうしても入る用事があるときは、履いたまま入った。そのくらい嫌いだった。

和室のすぐ隣はリビングである。この空間を何とかしたいと思い始めたのは昨年のこと。相棒の生活設計によれば、この和室は義母の隠居用で、今彼女が住んでいる2階の洋室は、二人の子供部屋になる予定だったという。

(この予定は、私たちが出会う遙か以前、独身の彼がこの家を設計したときにたてたものである。従って私は関知していない。)

しかし上の子供が中学になる今になっても、義母はいっこうに動きそうもない。私としても、もし義母が和室に移ってきたとして、お友達とリビングで話している会話をすべて聞かれるのは、気持ちのいいものではない。ならば、いっそ、私たちが和室をもらったらどうか?

そういう考えを相棒に話したのは、一年以上前、私が自宅で「作文教室」でも開こうかと考えていた頃のことである。けれど結局義母に、和室を使わせてくださいとは言い出せなかった。「作文教室」の話はそのまま立ち消えになった。

この間の春休み、実家から帰ってきたら状況が変わっていた。留守の間に相棒が義母に話を通し、和室を使えるようになったというのである。要するに海がもう中学だから、子供部屋を明け渡せ、と迫ったらしい。それなりに怒っても見せたらしい。けれど腹の中では最初から和室をもらうつもりだったらしい。私のために? まあ、家族のために。

記憶スパンの短い私としては「天からぼたもち」である。私は指一本動かさず、和室を手に入れたのだ。けれど、怠け心でいうわけではなく、これが正しいルートだったのだと思う。奴が動くこと。この家を変えるために。未来を切り開くために。なぜなら、その和室に詰まっているのは義母と相棒の歴史であり、私には関係のないものだからである。

(続く)

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座談会はいかがですか?

久しぶりに冒険あそび場関係のお知らせです。今年の遊び場は4月、5月と雨のため中止。次は7月26日(日)になります。そのかわり、とってもわくわくする講演会、ならぬ座談会が6月27日(土)に行われます。たくさんの方のご来場をお待ちしております。当日来場でもかまいませんが、保育のある方はお早めのお申し込みをおすすめします。 

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冒険あそび場講演会 協働事業3周年特別企画

座談会「茅ヶ崎流冒険子育て~遊べば遊ぶほど、かしこくなるってホント!?~」

講師:

齋藤直人氏(1965年発足のえぼしクラブコーチ、茅ヶ崎市立香川小学校教員)、

篠秀夫氏(アートスペース ネネムの森/冒険クラブ主宰、表現遊び研究家、親子遊び研究家)

山田昇氏(虹の丘代表、浜竹幼稚園副園長、RAM「虹の丘おやじの会」/PAPAS湘南「浜竹幼稚園おやじの会」言い出しっぺ)

日時:2009年6月27日(土) 13:30~16:00

場所:市民文化会館4階 第4、第5練習室(和室)

定員:80名(先着・子ども同伴可)

保育:2歳以上の未就学児童 20名(先着)

   保育申し込み締め切り 6月20日(土)

申込先:?:080-5527-5654(神谷)

E-mail:wolfruns@gmail.com (越地)

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ちょっとだけ自慢していいですか?

この座談会は私たち「茅ヶ崎に冒険あそび場をつくろう会」にとっても、特別なんです。何が特別かというと、今までの講演会でお話ししていただいた方たちは、「日本冒険遊び場づくり協会」にお願いして来てもらった方たちでした。天野さんとかね。

それはそれで素敵だったんだけど、なんと今回の三人の方は、全員茅ヶ崎で活躍されている方たち。すべて地元産の生きのいいおじさま方です。

タイトルの「茅ヶ崎流冒険子育て」には、地元発の私たちの思いが込められています。茅ヶ崎で冒険あそび場を初めて早?年。借りてきた考えが根付くかどうかを試される時期にかかっているのだなあ、と感じる今日この頃。

三人の方たちが全員、直接冒険あそび場に関わっているわけではないけれど、考えを同じくする活動がこんなに盛んに行われているのは茅ヶ崎ならでは。冒険あそび場を含む、幅広い子育て環境を今しっかりと確認し、進んでいかなければならないという思いからの発信です。

どうぞいらして、私たちの輪に加わってください。

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花-on(かおん)

黄色い花の上で、虹色のいも虫を見つけた。黄色い花を食べているからだろうか。薄緑と薄紫の混じった美しい色だった。庭から摘んできた花がキッチンの窓枠に飾ってある。その上で見つけたから、調理している間、常に目の前にいる。おかげさまでよくよく観察することができた。

黄色い花の上に横たわる姿は、幼女の美にも似て美しい。好奇心半分、殺すのも面倒だったので、そのまま放っておいた。そうしたら、名前が降ってきた。花の上にいるから、「花-on」と書いて「かおん」。

名前をつけたら、情が移る。写真を撮ったら、もといたところに戻そうと思っていたのだけれど、台所に来るたびにカメラをもってくるのを忘れている。その間にも「花-on」はどんどん大きくなる。あっというまに最初に飾った花を食べ尽くした。思わず花を追加する。

大きくなった「花-on」は、花心の周りに沿ってくるりと円を描く。ただの本能だろうけど、その姿がまた愛らしい。このまま大きくなって、それでどうなるんだろう。

あるひ、「花-on」の様子が変わった。花瓶の周囲を伝ってどこかへ行こうとしている。アゲハの幼虫とつきあった経験から、さなぎになるのではないかと思い、花瓶に割り箸をさしてみる。けれども「花-on」は見向きもしない。結局また花の上に戻り、こんどは、花びらの下にある萼(がく)にぐるりと巻きついた。そして、このときからなんと「花-on」は緑色になった。

このあたりで何かの予感がした。それでも次々と花を食べ尽くす「花-on」にせっせと花を運ぶ。これってただの親ばかではないだろうか。ついに、ひとつの花の上では、身体を支えきれなくなった「花-on」は、花の茎を支柱にし、もうひとつの花に顔を突っ込んでもぐもぐと食べている。お行儀が悪いぞ!「花-on」。

そして、恐れていた日が訪れた。「花-on」の身体に模様が浮き出てきたのだ。自転車の荷物を止めるゴム紐にも似たその模様。ああ、なんということだ。「花-on」は、昔、私が畑でさんざんつぶした「ヨトウムシ」だった!

「ヨトウムシ(夜盗虫)」はその名の通り、日中は土の中にいて、夜這い出してきては畑の作物をむしゃむしゃ食べる。家庭菜園家にとってはとても憎たらしい虫だ。「畑の虫は天敵に任せ、多少は虫の取り分と考える」という寛大な方針でやってきた私ですら、どうしてもつぶさずにはおれなかった虫だ。なにしろ発芽した幼苗が、一晩で全滅するくらい大食漢なのだ。

ああ、「花-on」!

「花-on」をつぶすべきだろうか、と考えた。しかし「花-on」は現在、畑にいるわけではない。

うちの庭は虫がいてもいい場所と、いけない場所に別れている。畑の作物や、実のなる木などについた虫には、悪いけど死んでもらう。しかし、それ以外の場所まで、人間さまのものだと主張するつもりはない。植物を食べる虫は、やがて他の虫やカナヘビ、ヒキガエルなどに食べられる。人間が妙な介入をしなければ、自然は自分で自分の面倒を見る。何もしないからといって、特にうちの庭が虫だらけ、ということにはならないようにできているのだ。

私が悩んでいるうちに、ある朝「花-on」はいなくなっていた。もう一晩待てば、もといたところに戻してやったのに、などとつぶやいてももう遅い。成長したヨトウムシは土の中に潜る。きっと「花-on」は本能に従い、土を探す旅に出たのだろう。我が家のどこかで「花-on」の旅は終わったのだろうか。それともしぶとく、外に出る道を見つけただろうか。

私はといえば、かわいい娘が成長して、じゃらじゃらした姉ちゃんになり、どなりつけてやろうかと思っていた先に、家出されてしまった親のような心境である。

悪いけど、この次畑で会ったらきっとつぶす。

そう言えば、結局写真は撮らなかったな。

な、「花-on」。

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