どの枝を切ろうか
ユスラウメが茂りすぎたので、剪定をした。茂りすぎた写真も撮っておけば違いがわかったのにと思うが、もう遅い。切るときはばっさり切る私である。これが切った後の写真。

この日は土曜日。海と相棒は出かけてしまい、残された森と遊ぶつもりでの枝きり。もともと園芸の知識もなく、勘のみに頼る。樹にしては迷惑かも知れない。一回、図書館で本を借りてみた。しかし、テキストはテキスト、実践は実践。本に載っている樹形とうちのは同じじゃない。結局ライブ・パフォーマンスによる枝きりである。
ところが、今回発見があった。どこで切ったらいいか、わかるのである。木の芽が読めるような気がしたのだ。そこで調子よく、すぱすぱ切っていたら、もうひとつうれしいことがあった。
通りすがりのおじさんが、ひょいと声をかけてきたのだ。盆栽を通じての同好の士との会話。ああ、あこがれの老年期にまた一歩近づいたような気がした。
彼は重大なヒントを残して去っていった。
「この枝、切っちゃった方がいいんじゃないの?」
彼が指さしたのは、一番上まで伸びている我が家よりの枝。
でも、それ一番実がついているんだけどな、と曖昧にうなづく私。
すると、彼はそれに気づいたように
「あんまり家とかに、ぶつからない方がいいからね」
そういえば、そうだ。ユスラウメは切っても、切っても、毎年これでもかと思うくらい枝が伸びる。トイレの窓に映る緑の影は、美しいと思う反面、邪魔でもある。
「ま、好きに切ればいいんだよ」
「いい実、つけてるじゃん」
言い過ぎたと思ったのか、取りなすようにそういうと、そのおじさんは自転車で走り去っていった。
もう会うこともないだろうおじさん。彼の出現は意外な効果を私に及ぼした。
ひとつ、どんな形であれ、ほめられてうれしかった。
ふたつ、なんだか「あの枝」は切った方がいい気がしてきた。
しかし、見ず知らずのひとの一言のままにスパッと切るには、あの枝は惜しい。
どうしようかな、と私は改めて枝を眺める。まだ決めてはいない。いまも悩んでいる最中である。
そして、その枝の向こうに私はもうひとつのものを見ていた。現実の理(ことわり)と夢想の理が重なり合う貴重な瞬間。
いまは、まあまあ実がなっているけれど、私の本筋に必ずしもつながらない「あのこと」「このこと」は切るべき時が来たのかも…。
簡単に答えが出ることではない。今も考えている。
古来、通りすがりに受け取る戯れ言は、天からの言葉でもあるという。
さあ、どの枝を切ろうかな。

「いい実?」
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