雨降って
幼稚園。森は年長に進級した。大して心配もしなかった親も親だが、昨年度末あたりから見え隠れし始めた「母性(父性)?」を存分に発揮して、進入園児たちの世話を焼きながら、家ではほとんど園生活について話をしない息子も息子である。かといって、そのためにひどく赤ちゃん返りするわけではなく、ひたすら訴えるには
「もっと遊びたい!」
ああそうか、園では(仕事が忙しくて)あまり遊べてないのか、と部活で遅くなりがちな娘を放っておいて、久しぶりに夕方まで公園がよいをする親子であった。
めでたし、めでたし…。
というわけで、我が家に関しては順調なスタートだと思うのだが、実は4月そうそう幼稚園で、一つ解決しなければならない問題にぶち当たった。
題して、「親の進級問題」である。
ただし、これから話すことは、私の視点から見た話で、他の人から見たらまた違っているかもしれないということを申し上げておく。
うちは小さな園である。その中で昨年度から感じていたのだが、ある特定の親子(複数)への風当たりがやけにきつい。要するに「外されている」のである。やり方はいたって、小学生風。目配せ、指さし、こそこそ話。外している側の中心は2人。それにそれぞれの「おつき」が加わって、4人。自分が名指しされているわけではなくても、まとまっていると「ちょっと感じ悪い」雰囲気が立ちのぼっている。
秋のバザーの後で、それは最高潮に達し、年度末まで続いた。新年度になる一日前、「その後」が心配だった私は、ある「検証」を行った。
全員を公園に誘うつもりだったのにもかかわらず、「外している人たち」と「外されている人たち+それに同情的な人たち」のグループのそれぞれ一部にだけ、情報を流し、「後は適当に誘ってね」と断りを入れた。そしてその経過を「観察」した。もちろん全員にメール&電話するほど、暇ではなかったというのも本当のところ。
結果は、悲しいくらいあからさまだった。一番乗りは私として、次にきたのは「外している側」の二人。案の定、グループの人にしか連絡していないのは、まあいいとして、「外されている側」の一人が来たところを見つけて、「…さそったっけ…」(お好きなトーンを想像してください)。後も、もう書きたくないあれこれで、子どもたちにとっては非常になごやかないい日で、こんな日がずっと続くといいなあ、と思ったにもかかわらず、その日私は一つの決心をした。
別に好きな人同士仲良くするのはいっこうにかまわない。だがそれが、特定の人への「中傷」や「攻撃」を核にして成り立っているのだとしたら、それは小学生以下だ。端で見ていても非常に気持ちが悪い。私はもう一年、そんな日々を我慢するつもりはなかった。
私は「外している人」以外の年長のお母さん全員に声をかけ(一桁です)、昨年それぞれが見聞きしたこと、体験したことについて率直に話せるような場を用意した。最初は語るつもりのなかった人が、何人も声を震わせた。そういうつもりであろうとなかろうと、傷ついた人がいる事実は動かせない。そして私と信頼できる友人とで、その課程を園に伝えた。
もちろん、園が誰かの肩を持ったりすることはなく、それは最初から望んでもいなかった。むしろ、「その場」にいなかった人だって、それぞれ悩んでいるのだ、と公平な見方を示された。そうだろうと思う。「恐れ」故の結束、「何かを排除することを核としたまとまり」。そんな状態が幸せとはとうてい思えない。私が救いたかったのは、「外されている人」と「外している人」の両方であり、そんなこと簡単にはかなわないことくらい骨身にしみている。でも…。
結果は?
園は今まで曖昧だった、親に任せていた部分を明確化した。
「外されていた人」は「私の苦しみをわかってくれる人たちがいる」と思えるようになった。
「何も知らなかった人」は知った。
それでは「外していた人」は?
何も変わらないだろうって…。
いいや。
少なくとも私は彼女たちの「弱さ」を以前より理解できたように思う。
あのとき、話し合いの最後に「(親も)居心地のいい園にしたいね」と誓いあった仲間たちで、その「弱さ」を包み込んであげられたら、きっと、何かが変わるかも。
こうやって、私たちは年長児の親に進級した。
待ってるよ!
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