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2009年4月

雨降って

幼稚園。森は年長に進級した。大して心配もしなかった親も親だが、昨年度末あたりから見え隠れし始めた「母性(父性)?」を存分に発揮して、進入園児たちの世話を焼きながら、家ではほとんど園生活について話をしない息子も息子である。かといって、そのためにひどく赤ちゃん返りするわけではなく、ひたすら訴えるには

「もっと遊びたい!」

ああそうか、園では(仕事が忙しくて)あまり遊べてないのか、と部活で遅くなりがちな娘を放っておいて、久しぶりに夕方まで公園がよいをする親子であった。

めでたし、めでたし…。

というわけで、我が家に関しては順調なスタートだと思うのだが、実は4月そうそう幼稚園で、一つ解決しなければならない問題にぶち当たった。

題して、「親の進級問題」である。

ただし、これから話すことは、私の視点から見た話で、他の人から見たらまた違っているかもしれないということを申し上げておく。

うちは小さな園である。その中で昨年度から感じていたのだが、ある特定の親子(複数)への風当たりがやけにきつい。要するに「外されている」のである。やり方はいたって、小学生風。目配せ、指さし、こそこそ話。外している側の中心は2人。それにそれぞれの「おつき」が加わって、4人。自分が名指しされているわけではなくても、まとまっていると「ちょっと感じ悪い」雰囲気が立ちのぼっている。

秋のバザーの後で、それは最高潮に達し、年度末まで続いた。新年度になる一日前、「その後」が心配だった私は、ある「検証」を行った。

全員を公園に誘うつもりだったのにもかかわらず、「外している人たち」と「外されている人たち+それに同情的な人たち」のグループのそれぞれ一部にだけ、情報を流し、「後は適当に誘ってね」と断りを入れた。そしてその経過を「観察」した。もちろん全員にメール&電話するほど、暇ではなかったというのも本当のところ。

結果は、悲しいくらいあからさまだった。一番乗りは私として、次にきたのは「外している側」の二人。案の定、グループの人にしか連絡していないのは、まあいいとして、「外されている側」の一人が来たところを見つけて、「…さそったっけ…」(お好きなトーンを想像してください)。後も、もう書きたくないあれこれで、子どもたちにとっては非常になごやかないい日で、こんな日がずっと続くといいなあ、と思ったにもかかわらず、その日私は一つの決心をした。

別に好きな人同士仲良くするのはいっこうにかまわない。だがそれが、特定の人への「中傷」や「攻撃」を核にして成り立っているのだとしたら、それは小学生以下だ。端で見ていても非常に気持ちが悪い。私はもう一年、そんな日々を我慢するつもりはなかった。

私は「外している人」以外の年長のお母さん全員に声をかけ(一桁です)、昨年それぞれが見聞きしたこと、体験したことについて率直に話せるような場を用意した。最初は語るつもりのなかった人が、何人も声を震わせた。そういうつもりであろうとなかろうと、傷ついた人がいる事実は動かせない。そして私と信頼できる友人とで、その課程を園に伝えた。

もちろん、園が誰かの肩を持ったりすることはなく、それは最初から望んでもいなかった。むしろ、「その場」にいなかった人だって、それぞれ悩んでいるのだ、と公平な見方を示された。そうだろうと思う。「恐れ」故の結束、「何かを排除することを核としたまとまり」。そんな状態が幸せとはとうてい思えない。私が救いたかったのは、「外されている人」と「外している人」の両方であり、そんなこと簡単にはかなわないことくらい骨身にしみている。でも…。

結果は?

園は今まで曖昧だった、親に任せていた部分を明確化した。

「外されていた人」は「私の苦しみをわかってくれる人たちがいる」と思えるようになった。

「何も知らなかった人」は知った。

それでは「外していた人」は?

何も変わらないだろうって…。

いいや。

少なくとも私は彼女たちの「弱さ」を以前より理解できたように思う。

あのとき、話し合いの最後に「(親も)居心地のいい園にしたいね」と誓いあった仲間たちで、その「弱さ」を包み込んであげられたら、きっと、何かが変わるかも。

こうやって、私たちは年長児の親に進級した。

待ってるよ!

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ウイトリッヒの森

起こったことを、起こった順番の通りに書いていくのはあきらめることにした。

本当は、この前の日の「ソーラン節」のことについて書いてから、と思っていたのだ。でも、もう週末がきてしまう。するとまた何かが起こり…。

いいやあ。書きたいときに書きたい順に書こう、と思った。

で、この前の日曜日。

家族四人で、境川沿いのサイクリングに出かけた。最近すっかり「二輪家族(サイクリング・ファミリー)」。

目標は「飯田牧場」でアイスを食べる。けれど、この間友人からその近辺にあるという森のことを聞きました。名前は「ウイトリッヒの森」。

どうです。ちょっと謎めいているでしょう。

境川を3キロほど走ってから、右に折れ、後は適当。途中、ご近所らしき方に道を聞き…着きました!

最後は、自転車を押し上げるくらい急な坂でした。

看板にも書いてあるけど、ここはスイス人のアーノルド、ウイトリッヒさんがすんでいたところなのだそうです。今は住居はないけれど、四角い広場にはイスとテーブルがありました。

腹ぺこでたどり着いた私たちは、まずお昼をパクパク。私たちと、後は森だけのすっきりした空間でした。市民の森以上に何もない空間でしたが、樹の種類が豊富で、癒されました。

小道のうえに張り出している木の根っこ。こういうものを見つけたら、登らずにはいられません。あとにつづく子どもたち。

ところが、案の定、森がそこから水筒のふたを落としてしまいました。ふたはころころとがけの下へ…。拾いに行くついでに散歩です。

先ほど登っていた樹の下っ腹。「踊る彼女」。

最後にもう一度広場に戻ってきたら、リスがお地蔵さまに降りてきていました。お供え物ねらいかもしれないけど、まあそれはさておいて…。

市民の森で活動している私が言うのもなんですが、何も建築物がない森というものいいなあ。

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此の力

此(こ)の力、と彼(か)の力を拮抗させるのだ。

此の力は「つながる力」。

彼の力は「分ける力」。

ひとは、彼の力にあこがれ、大地から、母なるものから、

自分を切り離そうと…。

幼児の気安さで、作り、また壊し、

大地をがらくたでうずめてしまった、とさ。

彼の力もて、此の力に帰るときがきたのも知らず…。

つながりなおそうよ。

つながりなおそう。

大地のくびきから逃れようと

いたずらにあがくのではなく、

自らもまた大地であることを知り、

その骨を土に返そう。

******************************

この辺のことは以前にもブログに書きました。

つながりの歴史

分けること、つながること

でも少し考えました。すぐに答えの出ることではありません。

一生考えていきたいと思っています。

とりあえず今年は「つながりなおす」という言葉をテーマに動いてみたいと思っています。

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ほめうた

殺戮が起こっています。

感情の、感性の、肉体の

そして魂の殺戮が。

それをまず、見すえることから始めましょう。

死体のいっぱい詰まった部屋の扉を開けましょう。

もっとも逆説的な意味で、それは生への扉なのですから。

血だまりの中に立ち、野生の女を呼びましょう。

彼女は駆けてくるはずです。どこにいても。

忘れていても、今まで何年も忘れていたとしても、

裏切ったとしても、彼女を何度も裏切ったとしても

彼女は駆けてくるはずです。あなたのもとへ。

なぜなら、彼女はあなたなのですから。

深い闇の中で、彼女に呼びかけるとき

助けは必ず現れる。思いもかけないひとの姿になって。

けれども、戦うのはあなた自身。

身を潜め、すべてを見通し、必要とあれば稲妻のように動く。

そうして近づいていくはずです。求めていた場所へと。

そこでは、深い喜びと本当の仲間が

あなたを待っています。

それは「物語」?

そう「物語」。そして、物語は真実。

扉を…。

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育ちを喜びあう会

昔、学校に通っていた頃「セプテンバー」と呼ばれる人たちがいた。「セプテンバー」とは9月のこと。そう、彼らは海外の学校から入学してくる「九月入学生」だった。

さて、世は4月。桜の咲くこの季節を新たなはじまりと感じるのは、この列島に生を受けためぐみだろうか。海は進学、森は進級、と子どもたちはそれぞれ新しい環境に挑んでいる。さて、私は?

ことの起こりは、3月に幼稚園で行われた「育ちを喜びあう会」。子どもたちの一年の成長をふりかえり、育ちを喜びあう感動的な会だった。私的には、大地に根を張った植物の自然さで、すくすく成長した息子に感心はしたものの、たいして苦労した覚えもない身には、感動までは訪れてこなかった。

そのとき、涙、涙のほかのお母さんを横目に、私が考えていたのはまったく別のことであった。

つまり、この会の大人バージョンはできないものだろうか、と。

おんなの学び塾「槻の屋」を初めて、一年あまりがたつ。私をはじめとして、ほかのメンバーの人生にもいろいろなことが起こった。そして、ひいき目に見て、彼女たちは自分の人生の舵をなんとかかんとか操っているように私には思えた。それを喜びたい、と思ったのだ。

もちろん、その中には「私」も入っている。自分のためにもお祝いをしたいし、また、されたい。その思いをほかのメンバーに話してみた。

今日は、その願いが叶う日だ。

昨年自分の身に起こったこと、変化したこと、始まったこと、終わったこと…。それらをふりかえり、ともに喜び、そして流れを見極め、次の一年の仮題を見通していく。それを分かち合える仲間がいるということは、とても幸せなことだ。

会の内容について、公にできるかどうかはわからない。でも、もし分かち合えることがあったら、それをあなたと分かち合いたい。

あなたは、進級しましたか?

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物語と言語

帰省していたときに読んだ本の一節が、気になっている。

「17歳のための世界と日本の見方~セイゴウ先生の人間文化講義」

松岡正剛著(春秋社)という本だ。

人類史の中で最初に発生した物語は口伝えだったという話に続いて

「でも、言語と物語の関係は、もうちょっと奥が深い。言語が物語を生み出したのはまちがいないのですが、一方で物語が言語のしくみを生み出したという見方もできるんです」(原文では太字の部分が強調点)(p63)

言葉が物語を作る、と同時に物語が言葉を導く。

わかるようで、わからない。

でも、わからないようで、わかる。

自分が言葉を探すときに即して考えてみる。

足をおろす場所を探しているような、

誰も踏んだことのない地面に触れるような、

そういう感覚の中に、ここだ、というポイントがあり、

そこに足を置くことによって、自ずから次の一歩が決まってくる。

そして流れていく。ダンスのように。

「ここだ、ということがわかる感覚」を、

さして珍しいとも思わず、

呼吸のように続けてきたが、

もし、その行為、それ自体が、

何かしらの導きの元にあるのだとすれば、

それが「物語」。

いや、「物語のもと」。

すると、私なんぞはさしずめ

「物語」の奴隷だな。

自分以外の「物語」は生きようたって、生きられないもの。

ああ、そうか、とここでひとつ思い当たる。

このつらさ、この不自由さに耐えきれず、

人は自分以外のものになろうとするのか。

へえええ、おもしろい、このやり方。

ひとつ「詩」ができた。

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虹も、雨も

海の中学校入学式。校長先生がお話しをした。その中で「虹を見たければ、雨を我慢しなければならない」という女優のドリー・バートンの言葉を引用した。

まあ、いいんだけど。

やっぱり「雨は我慢するもの」なのかなあ。虹のために雨を我慢するなんて、雨の立場がない。

私的には

「虹も、雨も楽しみたい」

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古都の街角にて

久しぶりの金沢駅前はすっかり様変わりしていた。日本航空と全日空ホテルが両側にそびえ立つ通りを、背中にリュックをしょった三人組がのこのこと歩いていく。大きな姿が二つ、小さな姿が一つ。目指すはワンブロック先の「すかいらーく」。

ここで最初の番狂わせ。なんと目の前には「すかいらーく」ではなく「ガスト」が…。海がちょっと動揺する。こういうところ、きまじめだよなあ。いくらグーグルで検索しようとも、目の前にあるのが現実。受け入れるしかない。メールで妹1に変更を知らせる。

朝6時のファミレス。さすがこの時間に子ども連れはいない。珍しがってメニューをすみからすみまで見るわたしたちは、同時に珍しがられる。わたしがトイレに立っている間に「おねえさん? かわいい弟さんね」といわれてまんざらでもない海。食いしん坊の森は、モーニングセットで一番ボリュームのある「ダブル目玉焼き&ベーコン・ウィンナーセット」を頼んで大満足。

8時過ぎ、妹夫妻が従姉妹のYちゃんをつれて現れる。朝ご飯も早々に駆けつけてくれたらしい。改めて朝食を済ませ、さて、どこへ行こうか?

車を香林坊(金沢の繁華街)近くのパーキングに停め、金沢城と兼六園へ向かう。雨はかろうじてやんでいるが、すごい大風。花見灯籠が、がんがん倒れている。花粉混じりの風は結構つらいが、自然が春を迎えようと大掃除をしているのは心地よい。大学が移転した後の城跡は、今再建工事のまっさかり。

後ろに写っているのは、再建したばかりの城郭。

兼六園では「雪つり」の名残を見学。ちょうど梅の季節だ。

茶屋で昼食を済ませた後、再び香林坊へ。そのときちょっとした事件が起こった。金沢には手工芸の伝統があり、道筋にも焼き物や漆塗り、はたまた茶道具専門の店などが軒をそろえている。チビ連れでは入るのも気が引けるような店ばかりだが、ウィンドウに飾られたものは美しく、それを見ているだけで心が和む。

わたしたちはとある漆器店の前で立ち止まり、そこに飾られたものを品定めする。あんなのいいね、と海がひとつの品を指した。あんな棚ほしいね、とわたし。すると負けず嫌いのチビが一言。

「俺もあのバケツほしい!」

バケツ???

なるほど、確かにそこにある品はとても機能的で美しく、公園での水遊びにぴったりといえばぴったりだった。六桁に近い、その値段を除けば、ということだが…。

いつか買ってね、森。

(金沢旅行記は終わりです)

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夜を走る

夜8時40分過ぎ。

深夜バス初心者のわたしたちは、座席のうえでごそごそしていた。鉄道ではお代がいらない未就学児も、バスでは一人分の立派な乗客である。わたしたちは一番後ろの4列のうち、3列に並んで座った。さて、それからが騒がしい。荷物を置くところを間違えて、座席がリクライニングしなくなったり、備え付けてあるスリッパを取り出したり…。

わたしの隣、4列目には物静かなおじさん、すぐ前には相当乗り慣れているみたいで、すでにアルコールのにおいをぷんぷんさせているおじさんが座っている。今のところ乗客はそれだけ。なるべく迷惑にならないよう静かにしていようと思うのだが、何しろ全員にとって初めての体験。勝手もわからないし、森は興奮しているしで、こりゃ寝れるかなと正直心配になってきた。

深夜バスで驚いたのは、カーテンがあらかじめ、すべて閉まっていることだ。だから窓際の席で、好きなときにカーテンを持ち上げられる海は別だが、原則として外を見ることはできない。それが最初は不満だった。乗客が乗り込んでくる最後の駅、横浜を出発したときには、ほぼ満席。いよいよこれから長い夜の旅が始まる。

深夜バスのリクライニングはかなり優秀で、足も伸ばせる。森など座席の3分の2しか使っていない。その森は意外なことにいつの間にかすやすや寝ている。消灯の時間になり、夜の暗さが肌身に触れる。とりあえず、わたしも寝ることにする。

深夜12時。バスの振動が「止まっている」ことで目が覚めた。そういえばパーキングで運転手の交代があるといっていた。そのときに少しバスを降りる時間もあるという。けれど、停車してからどのくらいたっているかが見当がつかず、パーキングエリアをのぞきに行くのはあきらめる。

バスは再び走り出した。あと6時間。ところが一度去った眠りは、なかなか訪れてこなかった。広いとはいえ両隣には人がいる。あまり目立たないように身体の細部をあちこちのばし、可能な限り快適な姿勢を心がける。そのまま呼吸を整える。意識して一息ごとに長くはいていく。そのまま眠りにつくはずが、頭の中は冴え渡ったままだ。

わたしはその状態を楽しんでいた。こんなに意識がはっきりしているのに、何もする必要がないのは、普段の生活ではまずあり得ない。頭の中で好きなことを好きなだけ、自由自在に考える。路面の振動だけがお尻の下に響く。布張りの箱の中に入って、遠くへ運ばれていくこの感覚は悪くはない。鉄道に比べて、バスというのはこぢんまりしている乗り物だ。アナウンスも運転手の肉声だし、何より路面の振動で、運転手の精神状態がわかるような気がする。幸い今晩の彼は、とてもいい運転をしている。

そして、その振動の中で、わたしは今まで経験した長い移動のことを思いだしていた。それも飛行機ではない。陸路の旅だ。

アムトラック(アメリカのJRのような鉄道)には乗ったことあったっけ?

二度目の渡米の時、現地でできた友人を訪ねてホームグラウンドから少し足を伸ばした。セントラルステ―ションの雑踏。平気で遅れる発車時刻。そして(友人が待ってくれているとはいえ)見知らぬ町に向かって、この身ひとつで運ばれていくという感覚。

わたしはいつの間にか眠っていた。次に目を覚ましたのは明け方。まもなく北陸自動車道のパーキングエリアに停まる頃。続いて目を覚ました海が、カーテンの向こうに日本海を見つける。そうだ、わたしたちは一晩で日本列島を横断した。

金沢駅前に着いたのは朝の6時。明けていく空には、かすかに雨の気配。

(続く)

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ただいま!

実家には夏・春帰省しているが、今回はちょっとプラスアルファがあった。海の小学校卒業を記念して、海と同年代のいとこがいる家に泊まりに行こうというプランがついていた。何の変哲もない話である。いとこがすぐそばに住んでいるのなら…。

いとこの家は金沢のある石川県にある。金沢市内から車で1時間以上かかるうえに、その町までの鉄道は数年前廃止された。海にとってはただ一件のいとこの家なので、前から行かせてやりたいとは思っていた。しかし、である。

幸い、鉄道の廃止と前後してそう遠くないところに空港ができた。「羽田まで送っていくから後は一人で」というプランも考えた。だがなんということだ。調べてみたら、飛行機は12歳から「大人料金」。おまけにもちろんそのプランは海にも却下された。

結果、ひとの助言もあり、最終的には高速バスを使った。奇跡的に二駅先から直通便が出ていたのである。夜8時40分発。翌日朝6時10分着。およそ10時間の旅だ。ここ数年、帰省には深夜快速を使っているので、子どもたちも夜の旅には抵抗がない。しかし高速バスは初めてで、どうなるだろうという不安はあった。

いとこたちとは金沢駅近辺で落ち合うことにしたが、早朝出発しても到着は8時くらいだ。6時から8時。その2時間を過ごす場所も決めておかなければならない。近くにファミレスはあるらしい。ついてからのんびりさがしてもいいのだが、子連れで早朝、果たして道をたずねる人がいるかどうか。そこで、グーグルマップで場所を確認。妹1と携帯の番号を交換して、前準備は整った。ちなみにここまでのやりとりは皆メール。つくづく便利な時代になったものだ。

(続く)

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