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2009年1月

ロープ一本。

1月24日(土)。さらりと冒険遊び場。市内でインフルエンザは流行ってるし、20日から大寒に入ったし、どのくらい来るのかなあというのが正直なところ。

ところが2,3日ぐずついたあとの好天に誘われたのだろうか、みんな意外と出足が早い。ご承知の通り、市民の森は森の中では火が使えない。そのためスタッフが二手に分かれることになる。今回は火の場所では「キラビーづくり」、森の中ではロープということになっている。ロープの担当はわたしと「まりすけどん」。

実はここしばらくロープの出番がなかった。女性だけのスタッフなので、どうしても苦手意識が伴う。それに森の中まで重いロープを運んでいくのは大変でもある。だけどやっぱりロープは冒険遊び場の「華」だと思う。その苦手意識を克服すべく2月にはスタッフ向けの「ロープワーク」の研修が予定されているのだが、本当のところ、モンキーブリッジくらい、わたしでも張れる。「まりすけどん」がいればだけど…。

さて、透き通った日ざしが心地よい森の中、まずはブルーシートを敷き、二かごのロープを並べてみる。しばらくつかっていなかったので日干しの意味もある。細めのロープ、太めのロープ、長いロープ、短いロープ。並べているだけで、子どもたちが集まってくる。私たちは少し太めの長いロープで、さっそくモンキーブリッジづくりにかかる。

モンキーブリッジとは読んで字のごとく「猿の橋」で、木と木の間にロープを張りわたし、乗って遊ぶものだ。上下一本ずつでもできるし、下に一本、上に二本張ることもできる。肝心なのは(なるべく)たるまないように張ること。これにはどうしても力がいる。まずは木にロープを巻きつけ、「巻き結び」で縛る。「巻き結び」とは重量がロープにかかれば、かかるほどきつく締まる結び方で、簡単な割に使い出がある基本形のひとつだ。「まりすけどん」ともうひとりの頼もしいおかあさんの助太刀をえて、思いっきり引っ張る。それをもう一本の木まで持っていって、また「巻き結び」。ほんとうにこれだけ。そうはいっても、方向を間違えて2回ほどロープがほどけ、ありゃりゃの瞬間も。力を入れて三人で引っ張るうちに、暑くて暑くてたまらなくなる。大寒の森の中なのにねえ。

ようやく完成。その間にみんなもロープで遊ぶ。大縄飛びをするグループが多かったが、中にはブランコをつくるといって南尾根に登った一群もいた。あとで見に行ったら、どうやって結びつけたのかと思うような高い枝にロープが結んであった。小学校高学年に見えたあの男の子だろうか。

なにも肩に力を入れることはなかった。複雑な結び方なんて知らなくても、ロープでできる遊びはたくさんある。綱引き、電車ごっこ、基地づくり。大人気だったのが、古いタイヤにロープを結びつけた「電車ごっこ」。最初はお父さんが子どもを引っ張っていたのだが、そのうち子ども同士で乗せ合い、森中暴走していたっけ。

やっぱり今度からロープは必ずだしておこう。

ここでひとつ宣伝です。2月7日は天野秀昭さんの講演会ですが、その一週間後、2月14、15の土日に茅ヶ崎市海岸青少年会館で「海青祭ルネサンス」が開催されます。この会館の館長さんが実は「畑のおじさん」なのですが、私たちも日頃のお礼をかねて、ささやかながら参加します。14日の土曜日のみですが、広場の片隅にモンキーブリッジを張ります。ロープ一本もって冒険遊び場。お近くの方は両日ともぜひいらしてください。縁日あり、体験コーナーありのとっても楽しい二日間になると思います。

茅ヶ崎市海岸青少年会館(茅ヶ崎市中海岸3-3-10)

問い合わせ ℡0467-85-0942

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ピーター・ダックの秘密

またまたアーサー・ランサムの話です。

ただいま第二巻「ツバメの谷」読破中。やっぱりおもしろい。冒頭でいきなりツバメ号座礁。また船の話、と期待する読者を裏切るこの手法、おはなしを作ろうとする身には憎ったらしくなってしまうくらい、うまい。

つぎは「ヤマネコ号の冒険」。なんと子どもたちは「フリント船長(ナンシイとペギイのおじさんなんだけどね)」と海へ。

ここでひとつ、大人になってからわかったことがある。それがあんまりびっくりぎょうてん、ナンシイ流にいうと「おどろき、もものき、さんしょのき」なのだけれど、どう書いたらいいのか…。

「ヤマネコ号の冒険」で海を駆け巡った子どもたちは、「女海賊の島」ではシナ海までいってしまう。この系統の話はもう一つあって「シロクマ号となぞの鳥」では北の海が舞台だったはずだ(内容は忘れました)。

子ども心にはなんでもありだから、そういうもんかと思っていた。つまり子どもたちが宝探しをしたり、女海賊と絡んだりするのも別に不思議ではなかったのだ。しかしランサム関係のサイト(たくさんあるんです)を読むと、上記の三作品は「子どもたちが長い冬休みのあいだに作った作中話」とある。

なああるほど、そういう仕掛けだったのかあ。わくわくしながら、子供心にここまでやるのかと感じていた、かすかなしこりがほどけたような気がした。子どもたちが作ったおはなしなら、あそこまで大胆な設定なのもうなずける。

ランサムの巧妙なのは、すでに第2巻で伏線が張ってあることだ。

「ピーター・ダックは、ティティの心の中で、徐々にもっとも忠実な友のひとりになりつつあった。(中略)ピーター・ダックは、ウォーカーの子どもたちが、ナンシイやペギイやフリント船長と、屋形船で冬休みを過ごしたとき、毎晩つくった物語の、最も重要な人物だった。」(「ツバメの谷」P68)

とあるが、このピーター・ダックこそが「ヤマネコ号の冒険」の老水夫だ。そして日本では「ヤマネコ号の冒険」と名づけられているこの本の原題は

"PETER DUCK"

そのものずばりではないか。

これもサイトのひとつに載っていたのだが、原著にははじめに添え書きもあるそうだ。つまり「子どもたちが作った話です」というような。日本語版には(なにか意図があったのか?)かけらも見あたらない。

まあ、書いてなくても、「ツバメの谷」をきちんと読んでいれば想像はつくのだろうが、わたしはそこまで精密な読者ではなかったようで、その記述を「ヤマネコ号の冒険」と結びつけて考えたりしなかった。だってさあ、まだ子どもだったんだもん…。

かる~いショック…。このショックの正体って何だろう?

話はちょっとそれるが、20代後半の数年を英語圏で過ごしたときに感じたことがある。それはそこに飛び交う情報の率直さだった。英語という言語の特性なのか、そのとき周りにいた人たちの特質なのかはわからないけど、日本語というフィルターをかけられていない世界は、スパイスを使った料理のように神経にピリピリきた。そしてその料理はわたしの口にあった。そのときの直感、情報が日本語に訳されるときに、何かが「濾(こ)されている」という直感をまたもや裏づけられたということ???

逆に、物語作家としてのランサムへの尊敬は増した。この先を考えるのは「ヤマネコ号の冒険」を読んでからにしよう。大人になって読んでも、さらにおもしろい。こんな作家、滅多にいない。

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いちばんよい土人

〔アーサー・ランサム話の続きです〕

小学校高学年の頃、わたしの生活でもっとも活気にあふれていたのは頭の中だった。屋上で大縄飛びを真剣にやったり、公園中をつかった缶けりなどに熱中していた覚えはある。けれどそれらには現実生活につきもののいたみとか悔しさも合わさっていて、バラ色の思い出というわけにはいかない。それにひきかえ空想生活の中では、すべてが色濃く生き生きとしていた。

ドリトル先生と一緒に大亀に会いにいったり、メアリー・ポピンズと空を飛んだり、ムーミンと一緒に洪水におびえたりすることの方が、色あせた学校生活よりよっぽどリアルだった。だから学校のキャンプくらいしかアウトドア生活を経験したことがなくても、ツバメ号にのって湖を走るのはとても自然なことだった。

子育てをする中でキャンプにはまり、さらに冒険遊び場など野外の活動で子どもと関わる生活を経験した後に読んだ「ツバメ号とアマゾン号」は、さらにグレードアップしてリアルだった。当時は子どもの感覚しかわからなかったのが、プラス、かたわらに寄り添う大人の感覚がわかるようになっていたからだ。

「ごっこ遊びを見守ってくれるお母さんや、子どもを信頼しているお父さん」がどれほど得難く、また達成するのがむずかしい境地であるかをわたしは子育ての日々の中で学んだ。

「ツバメ号とアマゾン号」の中で、子どもたちを貫いているのは「ごっこ遊び」と「名づけの感覚」だ。

四人は小帆船ツバメ号にのって島へキャンプに行くのだが、ただ行くのではない。船乗りとしていくのであり、電報を受け取った四人が最初にすることはまず「船員雇用契約書」をつくることだ。それぞれ船長、航海士、AB船員、ボーイとし。半端なごっこじゃない。本気で遊ぶ。その感覚は、最初は敵、そしてつぎには同盟者として登場するアマゾン海賊のふたりにも共通している。

「ジャマイカ・ラムの大たるに穴をあけよう。(中略)コックはそれをレモネードっていってるけど。」

これはアマゾン海賊、ナンシイ船長が条約を結んだあとに口にするセリフだ。何しろこのナンシイ船長、自分の名前が湿っぽいからといって(ルース…「慈悲」を表すらしい)、海賊稼業の時には別の名前を使うほどなのだ。

別の方のブログに書いてあったことでなるほどと思ったことがある。(リンク貼ろうと思ってもう一度探したのですが、みつかりませんでした。もし、知っている方がいたら教えてください)ランサム世界の独特さは、船乗りごっこをしている子どもたちを書いたのではなく、普段は「子ども」を演じているが休暇の時だけ本来のすがたにもどる子どもの姿を描いているからだ、という一文だ。こういう感覚はとてもよくわかる。カギ括弧つきの「子ども」(あるいは「親」「妻」「夫」)であることは、了解済みではあっても、その人のすべてではない。人は本来のすがたに戻るとき、いちばん輝くのだから。

ランサムの小説に満ちているのは、人が本来のすがたに戻ったときの「喜び」の感覚だ。このシリーズが初めて書かれたのが1930年だというのは驚きだが、今読んでも色あせてないのは、その「喜び」が時代を超えたものだからなのだと思う。

「ごっこ」は自分がなりきるものだが、「名づけること」は他の存在を自分のものがたり世界に引き入れるための大事なテクニックだ。ここに登場するおとなたちの大半は子どもたちによって「土人」と名づけられている。たとえ物わかりのよいお母さんでも土人だから、ひみつの港はあかせない。それでもこの土人は最高で

「こんにちは、フライディ」と、ティティはうれしそうにいった。

「こんにちは、ロビンソン・クルーソー。」とおかあさんがいった。ここがおかあさんのいちばんよいところだった。ほかの土人とちがって、こういうことをいっても、おかあさんには、いつでもわかってもらえる。

のだ。

せめて自分の子どもにとっては「世界中でいちばんよい土人」でありたい。こういうおとなのあり方がさらりとかけるランサム、やっぱり最高だ。

(もう一つ書きたいことがあるので続きます)

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オボレロノロマハ

子どもの頃好きだった本の話をしていても、アーサー・ランサム好きにはなかなかお目にかかれない。「ドリトル先生」とか「ムーミン」とか「メアリー・ポピンズ」の話をすると「そうそう、わたしも」という返事が返ってくることが多いのに…。

森の声さんと一緒に行っている「表現教室」の課題で、年末からひとりひとりおはなしをつくっている。わたしの場合、主人公が女海賊で、船のことも書くことになるんだろうなという予感があった。それと自分の「海賊好き」のルーツはどこにあるんだろうと考えたとき、ふとアーサー・ランサムの代表作「ツバメ号とアマゾン号」シリーズのことを思い出した。たしか「女海賊の島」というタイトルの巻もあったはずだ。そこでさっそく図書館へ。あの懐かしい灰色にヨットの表紙を探す。子どもの頃、わたしは何の予備知識もなく、あの表紙にひかれ手に取った。そしてランサムの世界にすっぽりとはまった。けれど(なかば予測はしていたけれど…)児童書のコーナーにはランサム全集はなかった。わたしは書庫から取りだしてもらった、分厚い灰色の本をかかえて図書館を出た。

子どもの頃、夢中になった本を読み返すことには不安が伴う。失望するのではないかという予感がするからだ。けれどもその心配は杞憂だった。冒頭から引用する。                                                             

「湖からハリ・ハウ農場までの急勾配の野原を、ロジャが右、左と大きくジグザグに横ぎりながら走ってきた。ロジャは、七つでもう末っ子ではない。ハリ・ハウは、ロジャたちが、夏休みのいく日かをすごしているところだ。ロジャは、小道のきわの生け垣ぎりぎりまで走っていくと、むきを変えて、こんどは反対側の生け垣ぎりぎりまで走る。そこでまたむきを変えて、もういち度野原を横切る。横ぎるたびに、だんだん農場が近くなる。風は真むかいから吹いているので、ロジャは風上に間切りながら、農場にむかっているのだった。農場の門ではおかあさんが、がまんづよく待っていた。」

ロジャがなにをしているかについては説明がいるかもしれない。「間切り」というのは「帆船が風上にむかって、左右ジグザグに進むこと」と脚注にはある。そうロジャは帆船になって農場にむかっている。けれども「間切り」という言葉を知らなくても(この本を読み始めた頃のわたしは間違いなく知らなかっただろうけど)、夏の臭いのする野原を風にむかって走っていく身体感覚にひたることはできる。

そして当時のわたしにはさして意味を持たなかった一行が、子育てを経験した今になって、静かに効いてくる。そう「農場の門ではおかあさんが、がまんづよく待っていた。」という一行だ。

おかあさんは手になにかを持っている。それはロジャたちが待っていた電報で、ロジャはそれに気がつくのだが、けっして一直線に農場にむかってはいかない。「それでは蒸気船になってしまう」からだ。その電報はウォーカー家の四人の子どもたちが、お父さんに当てて書いた手紙の返事だ。湖の島で子どもたちだけでキャンプをしていいか、というのはこの夏休みを左右する重大事項だ。

電報にはなんと書いてあったろうか。

「オボレロノロマハノロマデナケレバオボレナイ」

「それ、いいってこと?」とロジャがきいた。

もうこれでメロメロである。親が子に向ける信頼をこれほど小気味よく表現する言葉にはあったことがない。もしかして???になっている人がいるかもしれないので、三番目のティティの言葉を借りて解釈すると

「もし、わたしたちがノロマなら、おぼれちゃってもいいっていってるんだ」

「ノロマじゃないなら、おぼれないだろう」

ということです。

子どものごっこ遊びを辛抱強く待っているお母さん。子どもたちを信頼しているお父さん。こんな両親ほし~い!

長くなっちゃったので、続きます。

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Blue in blue(未来への羅針盤)

これは森の声さんの「ポラン通信」に乗せた最後のコラムです。「ポラン通信」自体もこの号で最後でした。書いたのは去年の8月。だからイメージが夏っぽいです。ブログに載せるのを単純に忘れていたのですが、とある友人からわたしの「少年時代の話」を聞きたいといわれ、思い出しました。「こっしぃ's コラム」を初めて読んでお気にめした方は「カテゴリー」欄をクリックしてみてください。他の文章がお読みになれます。


 私の目の前に青い裁縫箱がある。たくさんのすり傷がついた、古ぼけたプラスチックの裁縫箱だ。ウン十年前、小学校で裁縫箱を購入することになったとき、子どもたちに選択の余地はなかった。女の子はピンク、男の子は青、と決まっていたのである。私はそのピンクがいやだった。TVアニメ「ルパン三世」に心酔し、次元大介になりたいと思っていた私のお気に入りの服装は、カーキ色のボタンダウンにベルボトムジーンズ。次元大介にピンクの裁縫箱は似合わない。私は押しつけられた選択肢を頑として受け入れなかった。それで事態がどう進んだのか、残念ながらよく覚えていない。おそらく親が折れ、学校も仕方なく認めた、というところだろうか。確実なのは目の前に青い裁縫箱があることで、私はこの箱をみるたび、自分の意志を曲げなかった11歳の自分をほめたたえてやりたい気持ちになる。

とはいえ、こういう子どもは大人には歓迎されない。低学年の頃は授業中ほとんど発言しなかったし、高学年になっても「明るい、さわやかな、意欲がある」という言葉とは縁がなかった。(大嫌いな)読書感想文の題材に、選んではいけないとされていた「SF小説」をわざと選んで書いてみたり、(同じく大嫌いな)意見文を書かせれば「読書感想文を廃止しよう」という内容だったり…、とにかく機会さえあれば反抗していた。

「反抗の仕組み」をご存じだろうか。パターンはいくつかある。ひとつはAといわれたら、もう一つの選択肢Bを選ぶというものだ。ピンクといわれたら青を選んだ11歳の私のように。もうひとつはおなじくAといわれたら、Aでないことをするというものだ。「SF小説を選ぶな」といわれたら、「SF小説を選ぶ」のである。けれど、どちらの場合もAという最初の条件なしでは成り立たない。「反抗」とは一見自由な行為に見えるけれど、最初の条件に縛られているという意味では必ずしも自由ではない。けれど、育つ側からみればそれは必要な行為であり、親や教師の価値基準から自分の世界へ移っていくための強烈なひと蹴りに他ならない。反対に育てる側からみた場合、もし子どもに「反抗」されているのなら、それは喜ぶべきことだ。ひとつには、子どもはあなたを「蹴るに足る」基準として信頼しているということだし、ふたつには、その子は今自分の足で立とうとしているに違いないからだ。

問題はその「反抗」の先にある世界だ。プールで泳いでいるときのことを考えてほしいのだが、ここでもスタートは反動を利用する。壁を蹴ると、身体は思いのほか早く進む。けれど、壁を利用できるのは最初のひと蹴りだけだ。後は自分の力で泳いでいかなければならない。「どこへ行くか」という問題もある。現実のプールは泳ぐ方向が決まっていたり、線が引かれていたりする。一方、「現実」というプールには、いろいろな線が勝手気ままにひかれていたり、前は正しかったがいまは???という線もあったりして、たどっていくととんでもないことになったりする。それに「現実」というプールはすぐ「海」へとつながっている。線もない、方向を指示してくれる人もいない、もしかしたら危険もあるかもしれない、そんな「海」だ。そういう(ああ、もしかしたら危険きわまりない)「海」へ泳ぎだして行くであろうわが子に、あなたは何を準備してあげられるのだろうか。浮き輪? ライフジャケット? 酸素ボンベ? 羅針盤? それとも宝の地図? けれど、浮き輪やライフジャケットは浮かんでいるのにはいいけれど、泳ぐには邪魔だ。酸素ボンベは重すぎるし、羅針盤は狂ってしまうことがある。宝の地図だって、昔は確かにそこに埋まっていたかもしれないけど、いまはどうだかわからない。たとえあなたがそこで、お宝を見つけたことがあったとしてもだ。

たったひとつおすすめがある。それは映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」で海賊ジャック・スパロウが持っている羅針盤、北を指さないかわりに「持ち主の望んでいるものを指す」羅針盤で、しかもそれは身体の中に仕込むことができる。逆に言えば、それを持たずに「海」を泳ぐということは、かなり危険なことでもある。荒海に乗り出すことを恐れたり、ひとの泳ぐ方向ばかりを気にしたり、道を失い、誰かにしがみついて、もろともに沈んでしまったりすることだってある。

「仕込む」と書いたが、それは本来ひとりひとりに必ず備わっているものだと私は思う。だから「仕込む」というよりは「育てる」。もっというなら「育つのを邪魔しない」…。

だって、自分が何をしたいか迷っている赤ちゃんなんていないでしょう! 赤ん坊にはしたいことがある。それは確か。おっぱいを吸うことだったり、抱かれたいということだったり、その他どうしてもこれを握りたいとか、大人には理解できないことだったりするけど。

子どもの中に羅針盤があることを認めてしまえば、育児はずっと楽になる。たとえ最初は欲望のままに揺れる未熟なものだとしても、そのぶれにつきあっていくことで、子どもは成長する。そしてやがては自分ひとりで、その羅針盤を頼りに「海」へと乗り出していくはずだ。誤解させないように強調しておくと、羅針盤の「ぶれ」とつきあうということは、「子どもの好きにさせる」こととはずいぶん違う。

まずは受け手(親や教師)の「感度」と、それを「言葉にする力」が必要になってくる。身体に仕込まれているといっても、羅針盤は目に見えないし、子どもがそれを自覚するようになるのはずっと後だ。だから、その子の羅針盤がどこを指しているのかを、最初に感じてあげるのが受け手の役割だ。そして、大人がそれを感じ、言葉や行動でサポートすることによって、子どもは自分の羅針盤の向きを(思春期までかけて)徐々に理解していく。

また「want(欲求)」と「need(必然)」を区別することは重要だ。「~したい」にも二種類あって、「want」は後から目覚める。赤ちゃんはほとんど「need」で生きているので、ある意味、満たすのもたやすいし、速やかに満たしてあげる必要がある。けれども「want」はすべて満たす必要はなく、むしろその背後に潜む「need」を察知することによって、解消することが可能だ。たとえば、膝にすがりついてアメをねだってばかりいる子どもは、もしかしたら外で自由に遊びたいのかもしれない。「want」に振り回されないことは大切だ。もちろんそれを無視していいわけではないけれど…。

そして子どもの羅針盤が育っていく課程でおそらく一番肝心なのは、身近に自分の羅針盤を活用している大人がいることではないか、と私は思う。この羅針盤に従って人生を送っていると、ひとから奇異な目で見られることも結構ある。何しろ「北を指さない」ので、のぞき込んだとたん、ぎょっとされることも多いのだ。もちろん、自分の羅針盤の向きを自覚していれば、時には北を指すふりだってしていいと思う。でも(私に限らず)、自分の羅針盤を理解しているひとは本質的なところでぶれない。そういう大人が身近にいると、ぶれやすい羅針盤を持つ成長途中の人間は、安心して角度の違いをぶつけることができる(この場合、角度は違っていいし、違って当たり前だ)。

そう結局、チェックポイントは子どもではなく、大人の側にある。多くの場合、大人の「want」と「need」は複雑に絡み合っている。別にいつもそれを一致させることが可能だとも、いいとも思わない。むしろ、そのズレこそが「ものがたり」を生み出していく原動力だ。ただその乖離(かいり)や、ねじれに気づき、認めることができれば自分と他人の複雑さをもっと許せるようになるだろう。

 青い裁縫箱は、いま娘の海の手元にある。私の「反抗」の記念ともいえる青い箱は、遠い日にその「反抗」を許してくれた誰かの存在を暗示している。それを海に手渡すことによって、私は何かを未来に向けて放つ。これから泳ぎ出そうとするすべてのひとに。

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天野ガッパがやってくる!

冒険遊び場のお知らせです。

今年度の冒険遊び場は1月24日(土)と3月22日(日)です。2月は講演会になります。

「茅ヶ崎に冒険遊び場を作ろう会」が活動を初めて5年を超えましたが、待望の、ほんとうに待望の講演会です。たくさんの方の来場をお待ちしています。

講演会の時間にご注目ください。3時間取ってあります。普通の講演会は2時間で設定します。「しゃべりたいことがたくさんあるから」という天野さんの要望によるものです。

天野さんと言えば、何かと伝説の人。日本で初めてプレーリーダーを仕事にしたり、「冒険遊び場づくり協会」をたくさんの人と立ち上げてみたり、問題意識を持ち、行動し、それを形にしていくエネルギーが半端じゃない。そしてそのエネルギーの伝染力も半端じゃない。「つくろう会」のメンバーの中にも「天野さんの講演を聞いて冒険遊び場づくりの活動に参加した」人が少なからずいます(わたしはまだ聞いていないんだけどね)。

心が寒くなるようなニュースがあふれ、小さな枠に閉じこもってしまいがちな「今」だからこそ、「天野熱」にかかりにいらっしゃいませんか。「冒険遊び場づくり」の活動だけでなく、子育てをしている人、子どもと関わることを仕事にしている人、すべてに聞いてほしい講演会です。


冒険あそび場 講演会

「子どもはおとなの育ての親」  ―プレーリーダーってなに? 遊育のすすめなどー

講師:カッパ こと 天野秀昭氏

日時:平成21年2月7日(土)13:30~16:30

場所:茅ヶ崎市役所分庁舎5F AB会議室

参加費:無料

定員:先着100名 子ども同伴可

保育あり:先着15名 1歳半以上の未就学児

     保育申し込み締め切り 1月31日(土)

     保育室はD会議室

     保育時の飲み物、おやつなど必要な方は各自ご持参ください。

申込先 E-mail: wolfruns@gmail.com 越地

    電話&ファックス 0467-58-7023 岡山

駐車場 有料にてあり(市役所駐車場)

〈天野秀昭プロフィール〉

1958年 東京生まれ。1980年、冒険あそび場「羽根木プレーパーク」で一年間、派遣ボランティアで活動後、プレーパーク初代有給プレーリーダーとなる。その後、世田谷のみでなく全国の冒険あそび場作りを支援しつつ、特定非営利活動法人(NPO)「日本冒険遊び場づくり協会」を開設。また、18歳までの子ども専用電話「せたがやチャイルドライン」の運営にもあたる。(福)世田谷ボランティア協会プレーパーク・チャイルドライン事業担当専門員。

茅ヶ崎に冒険遊び場をつくろう会・茅ヶ崎市教育委員会青少年課

*この事業は茅ヶ崎市との共同事業で行っています。

 

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一輪の花を

賀状の中に、一筆、訃報が紛れ込んでいた。古い友人からの便りに共通の知り合いの名前が書いてあった。「残念です」の一言とともに。

にわかには信じられずHPを探った。古典芸能「宮園節」の継承者としても知られる彼女のHPには、恐れていた事実が書き記されていた。

彼女の名は桃山晴衣(ももやまはるえ)。心の中の遙かな深みに、灯明のように刻み込んでいた名前である。年齢を重ねる先に先達がいるのは心強いものだ。彼女は「あんな風になりたい、あんな風になれたら」と、思うことをゆるしてくれた希有な存在だった。その人にもう現世で会うことはできないという事実は、彼女の作品が残されているということを差し引いても、やはりずっしりと重い。

桃山晴衣のうた語り

机の上の小引き出しの中に一通の封書が保管されている。その頃持っていた一番いい和紙の封筒に、宛名だけが記されたまま、早20年が経とうとしている。

「郡上八幡 立光学舎(りゅうこうがくしゃ)内 桃山晴衣先生 土取利行先生」

捨てずに取っておいたのは、いつかは会いに行く日が来ると思っていたからだ。いつか…わたしがきちんと自分の足で立ち、いつか…郡上までの旅費が稼げるようになったら…。

知らせをくれた友人に返事を出そうと、ハガキ箱を探った。確か設立当時の立光学舎の写真ハガキが一枚残っていたと思った。そのハガキを友人に出すことで彼女を弔おう、と思っていた。ハガキを取りだし、じっと見つめた。郡上の山並みを背景に、かやぶき屋根の学舎が建ち、周りを大勢の人々が取りまいている。わたしが写っているわけではない、ただの白黒写真。

けれども、見つめるうちに、肉体の記憶がよみがえってきた。20年近く前、わたしは確かにこの学舎の前に立ち、一日終われば足腰が立たなくなるほどのワークショップに参加したのだ、と。それだけではない。土取レシピにより、桃山さんの作った絶妙なカレーを食べ(そう、スパイスが3粒はねたら…)、ワークショップの仲間といろりを囲んで止めどなく話した。かやぶき屋根の手入れの仕方から、ピーター・ブルックのワークショップの話まで…。

まったく、吹き上がるほどに若かった日々。先は見えず、見ようともせず、ただひたすら流れを追って走った。そうしてたどり着いた山深い学舎で、わたしはずっと探していたもの、この列島に存在するかすかな希望に触れた。桃山晴衣という人はそれくらい「確か」だった。

もともとピーター・ブルック好きの友人から聞いた話だった。だから土取さんの名前は知っていても、桃山さんの名前は知らなかった。彼女にあって初めて、わたしはこの列島に女性として存在することはそれほど悪いことではないかもしれない、と思い始めた。受け継がれてきたものにしっかりと結びついていながら、未来に対して開かれている人。そう、桃山さんは未熟な私たちをとても暖かく遇してくれた。

そのときに出会った人とのつながりはずいぶん長く続いた。そのうち、一人逝き、一人、また一人と連絡が取れなくなって、とうとうハガキをくれた友人が最後の一人になってしまった。

写真は記憶を開ける扉だった。わたしはそれを友人に送ることができなかった。最後に残った一枚の扉。

先日、立光学舎で行われた「偲ぶ会」では、一人一輪の野菊の花が、最後には吉田川に手向けられたという。1月24日に東京で行われる「偲ぶ会」にも参加することがかなわないわたしは、せめて心の中で一輪の花を手向けよう。受け継ぎ、かつそれを未来に放つ、たくさんの鎖のひとつになれるよう願いを込めて。

合掌。

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そのまた奥には

元旦。初日の出を拝んだ後、お雑煮を食べて、今度は寒川神社へ初詣に行ってきました。快晴の関東地方。自転車三台を連ねて、快調に飛ばします。今回、森は父ちゃん号でしたが、かなり体重が増えてきたので、来年は四台になりそうです。江ノ島まですいすい飛ばす彼のこと、距離的には問題ないのですが、一部歩道の狭いところがあって今回はパスしました。

毎年恒例の干支の飾り物。今年は丑年。この写真の下はかなりの人出です。

寒川町は農村地帯です。神社のすぐ脇には田んぼが広がり、牛舎もあります。うちの子どもたちは田んぼの畦で「イチゴアメ」をほう張ります。

その後、寒川中央公園へ。ここには小高い丘があるのですが、そこから大山が見えます(下の写真、中央)。不思議な雲を見つけたのでパチリ。大山の左下に寒川神社の大鳥居が見え、まるで大山と雲を拝んでいるように見えます。

お賽銭を上げ、手を合わせたとき、森に「この向こうにはなにがいるの?」と聞かれました。

実家の近くにある越後一宮の弥彦神社のご神体は弥彦山です。

そんなこんなで連想がつながって、寒川神社は大山をご神体としているのではないか、という仮説を立ててみました。

ネットで調べてみたら、寒川神社は相模川と関係が深い治水の神のようで、大山との関連は出てきませんでした。確かに鳥居の向きがちがいます。大山は雨乞いの山なので、大きな循環の中ではつながっているのですけどね。

神が名づけられる前、人は自然と直接相対し、祈ってきました。いまや起源を忘れた私たちは利益のために神社仏閣で祈りますが、元来その奥には自然への畏敬が潜んでいたのです。拝殿の奥にあるものに思いをはせる想像力を、持ち続けていける一年になりますように。

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あけましておめでとうございます

皆様 あけましておめでとうございます。

旧年中は、この気まぐれなブログにおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

今年もどこへ飛んでいくやらさっぱりわかりませんが、お暇なときにでものぞいてくださいまし。日常のすぐ脇にあるやまんば空間へとお誘いいたします。

てんで…

初日の出を見に行ってきました。

初日の出は日が昇るまでがおもしろいと暗い中、出発いたしまして、歩いて10分の海岸に着いたときには、まだ真っ暗。人の姿もほとんどありません。日の出の連続写真を撮ろうと、5分おきくらいにシャッターを切りましたところ、これがさっぱり写ってえやしない。かろうじて写っていた最初の一枚。

地平線がほの明るくなってきました。

真ん中で光っているのは江ノ島の灯台。

これはしばらく経ってから。ぬれた浜辺の輝きに注目。

この二人はだあれだ。

この後当然、初日の出の写真が続くはずなのですが…。調子に乗って、波と遊ぶ森のビデオなどを撮っているうちに、予想外の充電切れ。周りでシャッター音がシャカシャカと響く中、家族4人でじーっと新しいお日様を見つめておりました。ドジといえば、ドジな話ですが、写真撮らなきゃというプレッシャーがない分、純粋に光景に埋没することができました。

それにしても、なんということもない一晩が過ぎただけで、なぜお日様があんなに新鮮に思えるのか。人の心はなにかを区切り、流すという「死と再生の魔法」を本能的に知っているのだと思えてなりません。

以前も書きましたが、わたしは暗闇の中にほのかに光る明かりがとても好きです。闇の中の光、光の中の闇。ふたつが入り交じる魔法の瞬間をいつも心に留めていると、なにげない出来事の中に潜む不思議をよりよく感じることができるような気がします。

それでは今年も

Have a nice Year! (よいお年を!)

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