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2008年12月

てんちゃん

石が作りたい、とある日、森が言った。

石なんぞどうやって作るんでえ、と思った。

よくよく話を聞いてみると、木を切って、削って、石ころを作るんだという。要は昨日買ってもらった「自分のノコギリ」を使いたいということらしい。

当然一人ではできない。この日はクリスマス・イブ当日。海は最後の学校で、いない。仕方がないから晩ご飯の仕込みをしながら、つきあってやることにした。

まず、材料の木を切る。先日ロケット作りにつかった柔らかい木が残っていたので、立方体になるよう印をつけ、後は森がノコギリで切る。柔らかいから刃は進むが、それをおさえるのが一苦労だ。押さえるのはもちろんわたし。

工作の好きな子どもなら、ノコギリはかなり幼くてもやりたがる。できばえさえ気にしなければ、やるのはそんなにむずかしくない。ただ押さえる力がないので、大人がしっかりと押さえる。冒険あそび場でも、切ることだけをずっとやっている子どももいる。

つぎに角を切り出しで落としていく。森もやりたがる。包丁などは握ったことはあるが、左手で木片を持って、削っていくのは、まな板のうえで野菜を切るのとはちがう。しばらくわたしがやっているのを見学させた後、森の手に乗せて、やらせてみる。手つきは悪くない。ただ手も小さく、指も短いので、思うように刃に力が入らない。親指で刃のところを押すように削っていくのだが、これは明らかに無理。持ち手と距離がなさ過ぎる。本人も納得して、後はわたしがやった。

面倒くさいが、このプロセスを踏まないと、いつまでも「森がやる~」といって聞かない。

後は紙ヤスリ。目の粗いものから順にかけていく。これは側についていなくても大丈夫。で、仕込みにもどる。お、だんだんマルになってきた。

こうして石はできた。でも形って不思議だ。特にマルは。卵がそうであるように○は命の形だから。案の定、森は「顔を描く~」と言い出した。「マジックで描いたら」と提案して放っておいたら、なんともいたずらそうな顔ができていた。名前もついている。

「てんちゃん」という。森によると「ほっぺたに点がついているから、てんちゃん」

てんちゃんには胴体が必要だ。ちょうど目のまえにワインのコルクがある。手は「流木箱」をごそごそ探して見つけた。「流木箱」とは、一時なにか作ろうと、流木を拾っては放り込んでおいた箱だ。フェルトで服を作るときに、問題が出てきた。果たしててんちゃんは男の子か、女の子か…。

森は最初「男の子」といっていたのだが、服を作っていくうちに「女の子」と言い出した。服とおそろいの帽子も作った。帽子は森がぬった。服を着せるのにはピンをつかった。だから着せ替え可能です。

そういうわけで「てんちゃん」登場!

腕も小さいドリルで穴を開けて、ピンで留めたから動くのです。

てんちゃんの冒険はいま始まったばかり。(続くかな?)

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オーナメント???

クリスマスよりさらに時はさかのぼる。

で、そのオーナメントである。11月下旬から12月初旬にかけて、わたしの時間を大量に奪ったあのオーナメントである。

幼稚園のお手紙にはこうある。

愛のオーナメント~母の愛をツリーにのせて~

原文、そのまま(ちなみに今年、父子家庭のお子さまはいなかった)。

我が家で問題だったのは、オーナメントにのせられたのが「母の愛」だけではなかったことにあるのかもしれない。

「わが子のことを思って手作りする」

そのコンセプトは海の幼稚園時代も同じだったから、まあいい。

オーナメントって何だ?という問いには「クリスマスツリーに飾るもの」という答えがついている。

問題はなにを作ったらいいのか、ということだ。

何しろ実用的なお家柄である。ただ「飾る」ものなど、ほとんど思いつかない。何しろ最初はロケット型のエスカレーター(二本のひもで引っ張ると登っていくおもちゃ)を作ろうと思っていたら、ある保護者から「あら、飾るものなのよ」とご忠告をいただいた。

森のすきなもの、といえば、近頃は恐竜かロケットである。で、まず聞いてみる。

「森、恐竜とロケット、どっちが好き?」

聞かれた森は何のことやらわからず、という顔をしていたが、しまいには答えを出した。

「ロケットかな?」

ただし、これがクリスマスと関係あるという伏線は張っていない。

そうして時間はどんどん過ぎ去っていく。あれ以来アイデアの進展はなく、ほんとうにロケットでいいのかという疑問もつのる。ついに面倒くさくなって、わたしははっきり、くっきり聞いてみた。

「森、クリスマス会の時にツリーに飾るの、カアカ作ってあげるけど、なにがいい?」

考えている。まだ考えている。そして森の出した答えは意外なものだった。

「毛糸で作った宇宙」

ひゃ~、ビッグバンかい。ちょっと想像力の限界を超えてしまった。そこで仕方がないので、少しレベルを下げる。

「ねえ、森…。宇宙って形がないからさあ…地球、でいい?」

本当のところ宇宙も地球も区別がつかない森は、ウンと言い、交渉は成立。

わたしの頭には羊毛でできた青い地球が浮かび、これで事態はうまくゆくかと思われた、その夜。相棒に「オーナメント」という言葉を切り出したとたん、待ってましたとばかりの反応が返ってきた。

「もう材料買ってあるから」(えっ、えっ、何の材料)

「いつもぎりぎりになって、ばたばたするからさ」(確かに、そうだけど、そうだけど)

「ロケットと飛行機が作れるようにしてあるから」(ロケット…、飛行機…、ち、地球は…)

しかし、わたしにはわかっていた。いま、「実は地球を作ることにした」という話を出せばどうなるかが。せっかくの親切な段取りを無視して、コロコロ発想を変え、あたりを振り回す、というレッテルが自分に貼られているのはよくよく承知している。わたしにしてみれば、ちょっと相談しただけで気を回して先走りし、その結果、自分の労力がむだになった、と後で怒られてもなあ、と思うのだが…。

わたしの頭は高速でフル回転した。なんとかこの窮地を切り抜けなければならない。

わかった! 地球とロケットを両方作り、それをモビールにしてつるすのだ。

たとえ、手間が2倍になろうとも…。

相棒は確かに材料は用意してくれた。ロケットのデザインにこまっていたら、膨大なページの中から最適な画像を探してくれた。色だって、色だって、相談に乗ってくれた。しかし、実際に手を動かしたのは、すべてわたしだ。もちろん、自分でやれ、ということもできたのだが、もめるより手を動かした方が遙かに楽だと選択したのは、これもわたしだ。

父の愛、はずっしりと重かった。

「愛のオーナメント」はいま、寝室の壁に飾られている。

ちなみに、流木にはめ込んであるキラビー(熱することによって中だけ割ったビー玉)は月のつもり。

おまけ。森がわたしにくれたプレゼント。風におどっているモミジ。

ああ、クリスマス…。

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ろうそく好き

あやしいタイトルになってしまった。一応クリスマスブログなんだけどね。

その証拠に写真を一枚。

ろうそくが好きだ。

暗い中にぽつんと燃える炎が好きだ。

時々考える。わたしが好きなのは、光だろうか。

それとも、それを取りまく闇なのだろうか、と。

クリスマスが近づくと、やたらとろうそくをつける。わたしにとってクリスマスというのはろうそくのためにあるようなものだ。ツリーも一応飾る。リースを作るときもある。今年は幼稚園の作り物におされて、それどころではなかったが…。でもなんと言ってもろうそくが好きだ。

キリスト教に基づくクリスマスのお祝いがこんなに広まっていなかった頃、それは遠い遠いむかし、冬至の祭りというものがあった。ちょうど森の声さんのブログに、それについての

森へ行こう「メリークリスマス」

太陽がその力を失い、消えてしまいそうに思える暗い時を人々が恐れたにちがいない、という想像は容易につく。大いなる暗闇の中に訪れる光を人々はあがめた、と考えることも。

その光がいつしか「御子イエスキリスト」と重ね合わされた、あるいは意図的に重ね合わせていったというプロセスは大いに考えられる。土着の原始宗教を根絶するのではなく、取り込んでしまうのは、世界のどこにでも見られる権力者の得意技だ。もっとも、そのおかげで冬至の祭りは(形を変えて)世界中に広がった。私たちが実は何にあこがれているのか、知らないままに。

わたしは一切の宗教を持たない。わたしと相棒の家は両方とも、お寺に墓を持っているけれど、それはわたしの宗教ではない。わたしが歩んでいくために持っているのは、ホール(whole)システム、あるいはエコシステムとでも言う、「大いなる全体」に対する信頼だけだ。

「大いなる全体」には当然のことながら、光も闇も含まれている。生物も非生物も。

闇を拒まず、光抱くものとしてとらえたとき、世界の真実の姿が立ち上がってくる。

ああやっぱり、わたしは光を抱く闇が好きだ。

Merry, Merry wholyness! (ちょっと遅いけど)

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うれしかったこと

先日、友人と話していて「どんなときにうれしいか」の話題になった。わたしの答えは「幸せでない人(状況)をちょっとだけ幸せにしたとき」で、そんなたいそうなことではなく、つまらなそうな子どもを笑わせたり、だれも話そうとしない話し合いで、さっさと本音を言ってすっきりさせたり、とかその程度のことなんだけど…。

その最中、なんだか話しておきたいことがあるような気がしていた。二、三日前になんだかたいそううれしかったことがあったような気がして、それが思い出せなかった。友人は帰っていったが、わたしの心には何かが引っかかっていた。そのうれしさがいままで経験したことのない種類だ、という感触だけが残り香のように漂っている。枯れ葉が一枚、木の枝に残っていて、飛んでしまえば思い出すのに、なかなか飛ばないといった具合だ。けれども、そのうちひょいと風が吹いた。風は葉っぱを飛ばし、わたしの記憶を戻した。

そう二、三日前のこと…。

近所に古くて大きなお屋敷があった。建物もそうだが、庭がたいそう広く、大きな樹がたくさん植わっている。なかでも桜は見事で、毎年私たちの目を楽しませていた。丈の高い松や柿もあり、カラスたちもよくここの庭で遊んでいたのをわたしは知っている。

そのお屋敷がある日、壊され始めた。ちょうどお屋敷の横が通園ルートに当たっていて、間近に見るパワーショベルの迫力に森は目を丸くしていたが、わたしは複雑な気持ちだった。というのはお屋敷は古い日本家屋で、わたしはたいそうそれが好きだったからだ。それでも建物が壊されているうちはまだよかった。立て替えではないか、という可能性が残されていたからだ。だけどそうではなかった。持ち主は、そこを更地にすることにしたらしく、パワーショベルの爪は樹にも容赦なくかかっていった。最初の桜はあっというまに引き倒され、それだけでもたいそう悲しかったが、二本目の桜が幹と枝の三分の二をもぎ取られながら、そのまま立っているようすは痛々しかった。松が折られ、柿は瞬時になくなり、庭の奥に広がる竹林も掘り返された。そこには小さな祠もあった。すべてが掘り返されても、その桜の木は最後まで立っていた。

ある日、園から帰ってきたときのこと、ようやくすべてが終わりになっていた。機械音があたりをふるわせるなか、森を後ろに乗せて家にむかう。そのとき、顔見知りのお母さんと目があった。彼女とは今年、学級委員会で一緒になった。その中でも役員を引き受け、ばりばりに見えた。子どもが運動部のせいか、長いベンチコートでいつも颯爽と駆け回っている。驚くほどご近所に住んでながら、お互いに存在を意識したことはなかった。このときまで…。

彼女はご近所のおばさんと、私たちがきた方に目をやりながら立ち話をしていた。いつもならただ会釈をして通り過ぎるところだ。けれどもこのとき、鳴り響くパワーショベルの音のなかで、どちらからということもなく、私たちはすれ違いざまに会話を交わした。「桜の木…」と彼女は言った。

「桜の木、どうなりました?」

「あんな姿で立っているなんてかわいそうで、かわいそうで…。もう、いっそ早く引き倒してくれればいいのに…」

このときの気持ちをなんと表現していいのかわからない。彼女はとつぜん見知らぬ人ではなくなった。私たちは同じものを悼んでいたのだ。

もうすべて終わりました、とわたしは答えた。ほんとうに見事な樹でわたしは大好きでした、と。

それだけの会話を交わし、家へむかった。

桜の木がなくなってしまったことは、とても悲しい。来年の春になるとその寂しさはいっそうつのると思う。けれども、そのおかげでわたしは得難い体験をした。一瞬交わした心が、この後どうなるのかわからない。それでもその後、道で彼女とすれ違ったとき、私たちはもう見知らぬ同士ではなかった。

逝ってしまったものは、このように形を変えて心をつなぐ。存在が消えても、それは無になることではないのだ。

ありがとう、桜。

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ブレーメンへ行こう(おまけ)

昨日は「ブレーメンの音楽隊」で遊んできました。これは「詩とおはなしで遊ぶ会」という集まりです。文字通り、大人と子どもがものがたりを題材にして遊びます。持ち回りでアイデアを出し、みんなでそれをふくらませます。今回はたまたま「ブレーメン」続きでした。

やっと人形たちをお見せすることができます。動物たち。

ドロボウさん。ごちそうを前にして決めポーズ

この間、見る側だった森は、今日はドロボウをやると朝から宣言。日曜日の朝(雨は降っていましたけどね)、静かな住宅街を通り抜けながらセリフの練習。

「それにして親分、昨日の盗みはうまくいきましたねえ」などと大声で繰り返すものだから、海がはらはらしていました。その海も、卒業文集の下書きができていなくて、劇遊びに来るか、家で作文を書いているかの二者択一を迫ったら、わたしの予想とは裏腹に劇遊びをえらびました。

そうか、むりやり連れて行っているわけじゃなかったんだ、と少しうれしくなったわたしでした。

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ブレーメンへいこう!

12月6日(土)、香川公民館で「人形劇フェスティバル」が行われた。私たちの小さなサークル「おはなしのたまご」も昨年から出演させていただいている。前回はその場にいられなかったのだが、仲間たちは手遊びや、簡単なおはなしをしたらしい。ただ、やはり人形劇にくる子たちはおはなしを聞きに来る子より年齢が低めで、たいそう騒がしいなかでの上演になったということは聞いた。正式に話し合ったわけではないけれど、「あの場でおはなしをするのは無理かなあ=今年は出演しない」とみんな何となく思っていた。

ところが、である。「夏のおはなし会」でやった「ブレーメンの音楽隊」という人形劇が、公民館の担当の目にとまってしまった。で、ふたたび出演することになった。実は当日までは、いくつか大変なことがあった。でもそれは省く。伝えたいのは別のことだからだ。

もともと「ブレーメン」の人形たちは、仲間のひとりが自宅で作ったものだ。身近にある材料と羊毛で作られていて、そもそもの目的は、こういった人形を子どもたちと一緒に作ることだったという。であるから作りは簡便。でもそのシンプルさがとても愛らしい。あやつり人形であることも、愛らしさにひと役買っている。少し動かし方に注意を払ってやれば、動きがとても自然で、表情がある。

「人形劇フェスティバル」に出演するのは全部で4組。午後1時からの開演なのだが、会場は午前中から開いていて、そこで他グループとの最終的な打ち合わせをすることになっていた。他のグループは私たちより出演歴が長い。会場の使い方にも慣れていて、新入りの私たちがおろおろするなか、着実に準備を進めている。完成型ではないが、どこもセットがすごい。人形6体と樹と、空き箱で作った家しかない私たち…。場違いなんじゃないかい…。そんな思いもよぎり、ますます身の置き所がない。

私たちの出番は3番目。どきどきしながら他のグループを見る。ふたつ目のグループがおわったところでいったん休憩が入り、そのあとすぐが私たちの出番である。休憩中に舞台をセットし、そのままついたての影でスタンバイ。ナレーション役だけが舞台の横に立ち、導入に手遊びなどをする。ついたての影は狭い。人形を操るのは4匹+ドロボウふたり=全部で6人。ロバ、犬、猫、ニワトリの順に、ひとりひとり登場する。

わたしはドロボウ役だったから、出番はかなり後。ついたての影で、舞台の進行に耳を澄ます余裕はある。ロバ役がでる。そのとたん、思う。

「いい声じゃん」

その疲れたとぼけっぷりがなんともいい。それだけではない。わたしの耳は沈黙を聞き取れる便利な耳だ。ロバが台詞を言うたびに、背後の沈黙が少しずつ深まっていく。それがわかる。見ている人がぐっと心を傾けてくれたときにだけ、訪れるあの沈黙だ。

犬、猫、ニワトリがでる。やはり思う。

「なりきってるなあ」

だてに読み聞かせをしてきたわけじゃない。みんな、届ける声をちゃんと持っている。届ける声はイメージをかきたてる声だ。押しつける声ではない。そして4匹がそろい、ドロボウの出番となる。わたしは相棒に合図をし、ついたての前に回る。そのとたん、わたしの目にはいったのは、ひろ~い会場の中におかれた、細長いテーブルの前にぎっしり集まる子どもたちの姿であった。会場においてみると、私たちの用意したテーブルは低く、後ろの子は見えないんじゃないかと心配していた。いまそれが余計な心配だったとわかった。

子どもたちはほんとうに人形たちに心を沿わせていた。4匹がたじろぐところでは「こわいんだあ」の声が漏れた。自分が演じているときはさすがに見る余裕はなかったが、ドロボウのやりとりにクスクスッとなっていたこどもがいた、とあとで友人が話してくれた。というわけで、劇は大成功。上演前は、「私たちはおはなしサークルなんだから、もうこんなに(上演するまでいろいろな意味で大変な)劇なんかやりたくない」と思っていたわたしの気持ちもかなり収まった。

そして久しぶりに思い出し、かつ実感した。劇にせよ、おはなしにせよ、その醍醐味は「届け手」と「受け手」が一体となって作り出すあの空間にあるってことを。それは画面の前でひとり鑑賞する経験からは、絶対味わえないものだ(映画はまたちょっとちがう。映画館という空間を共有することでなり立つものがあり、だからこれだけ家庭用DVDが発達しても、映画館に行く意味はある)。20代の頃、小劇場にはまり、下北沢をうろついていた時代の空気をちょいと思い出した。ただ、劇はハードウェア的に大変で、資本も関係する。抱え込むものの重たさがなじめなく、わたしはパフォーマンスへと傾斜していくことになるのだが…。

もう一つ思い出したものがある。あの子どもたちの群れるさまは、紙芝居やさんの周りに集まっていたあの頃の子どもたちとそっくりだった。そう、わたしはかろうじてその経験がある世代だ。

ああ、やっぱりおはなし会はいい。この身ひとつとわずかな装備で、子どもたちを幻惑する(修行中ですが)。私たちは、この時代に残されたさすらいの旅芸人の末裔なのかもしれないと、あらためて思った。

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銀杏と、日比野克彦と

11月30日(日)、なぜか山下公園へ。関内で降りて公園へ向かう途中の「日本大通り」(なんて名前だ)は銀杏(いちょう)の名所らしい。カメラをかかえ、写真を撮る人も大勢。けれど、わたしの目は別な物をとらえた。

路上につぶれている黄色い物。そうだ、これはギンナンだ。あのあこがれのギンナンが、こんなに豊富に。思わず鞄からビニール袋を取りだし、裏返して手にはめる。そう、ギンナンは素手でさわってはいけないのだよ。体質によってはかゆくなるのさ。あいにくビニール袋がひとつしかなかったので、拾いながら、ためるという作業を同じ場所で行う羽目になった。最初は靴で踏んで、果肉を取り外していたが、数の多さにだんだんめんどくさくなり、そのままポイポイ。走行して進んでいるうちに、「ギンナンだまり」とでもいうべき場所に行き当たる。

おお、これは…。しかし、こうなると多すぎて拾いつくす気にならない。おまけに路上カフェが近くてで、さすがのわたしも(多少?)視線が気になる。お客さんはこのギンナンの臭いが気にならないのだろうか。おまけにひとつのビニール袋での作業が限界に近くなってきたので、さすがにここで取りやめる。ふと時計を見る。む、まずい、待ち合わせの時間が…。そこで、銀杏の葉っぱでスケートを楽しむ森に声をかけ、山下公園へ急ぐ。ギンナンを入れた袋はさすがにバッグに入れる気にはならないので、手に持ったままだ。

なぜに山下公園か、そしてなぜに待ち合わせか。それは相棒&海のコンビが、はるばる横浜までサイクリングしてくるのと落ち合うためだ。海の中学への入学祝いで(四ヶ月以上、先なんだけどね)買ってもらった新しい自転車の試運転も兼ねている。

待ち合わせはマリンタワーの前。予定の時間を二十分近く過ぎたが、無事、合流。そこでおもしろいイベントを見つけた。「船は種」という日比野克彦氏のワークショップだ。来年の横浜開港150周年に会わせてのイベントらしい。

「船はアサガオの種に似ている」そうだ。なるほど。公式HPもあるけど、制作過程がよくわかるのでスタッフブログ。「船は種スタッフブログ」

だれでも参加できる制作コーナーもある。当然、中に入りたがるこども、とわたし。だが時間が早すぎて×。

くやしいので、ちょっとパフォーマンス。背景は、ただのコンテナに色テープを貼ったもの。

お昼を食べ、海&相棒コンビは帰路へ。ご苦労様。森&わたしは、ふたたび「船は種」コーナーへ。今度こそいっぱい遊んで帰りました。この日は日比野さんもいらしていて、何気にお話ししてしまいました。こどもしか船に入っていなかったので、「大人も乗ってもいいですか?」と声かけ。そしたら返事が

「どうぞ、どうぞ。なかで昼寝してもいいですよ」

船底に入ったらほんとにスタッフの人が仮眠をしていました。まるで徹夜のような作業あけだそうで…。最初オブジェとして自ら展示されているのかと思ってしまいました。少し話したけど、ものを作る意気込みに燃えている若い衆というのは気持ちがいいです。おばさんくさい感想ですが…。

「船は種」プロジェクトはこれからも各地へ。新潟にも行くそうです。そこでまた船たちに会えるかな。

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劇するでえ(賢治の楽校・四)

「賢治の楽校」というくらいだから、賢治の劇をやることが中心にあるはずだ。けれど、わたしは長いこと賢治の劇はやらなかった。初めて参加してから、かれこれ四年くらいは別のことをしていた。

というのにはワケがある。

賢治の童話を劇にするのは、考えようによってはむずかしい。あまり幼い子にはつかみにくいし、人によってはちょっと抵抗があるかもしれないし。それと70人以上の参加者でひとつの劇をすると、関わる人数がたくさんになってしまう、というような理由から当時は劇をふたつやっていた。わたしはそもそものはじめから、その「もう一つの劇」のまとめ役をたのまれていたのだ。

実はこんな経緯はすっかり忘れていた。森の声さんは「あらあら、会っていくらもたたない人をこんなに信用していいのかい」という気楽さで、もう一つの劇をぽんと任せてくれたのであった。

この入口はわたしにはたいそう都合のいいものであった。もともと物事に対して真正面から取り組むのは苦手だったので、「賢治の劇をやりましょう」という誘われ方をしていたら、断っていたかもしれない。

「好きにしていいですよ」

このときすでにわたしの一回転した(ひねくれた、ともいう)根性を見抜いていたかのような森の声さんの声かけにより、現在のわたしと賢治の楽校の関わりがある。

初めての年になにをやったか、どうしても思い出せない(「はだかの王様」だったっけ?)のだが、つぎの年からははっきりとおぼえている。

「こぶとりじいさん」「さんまいのおふだ」「世界で一番やかましい音」(一年にひとつずつ)

もう一つの劇に求められていたのは、「わかりやすく」「おもしろい」ことだったので、演出も思い切ったことをどんどんやった。もちろんわたしがひとりで決めるということではなく、みんなのアイデアを自由に出してもらう。要は「もう一つの劇」の方に集まるのは、「賢治の劇はちょっとむずかしいなあ」という人の他に、「あまり真正面から賢治の劇に取り組みたくないなあ」という人たちもいて、「むこうがまじめなら、こっちはめちゃくちゃ」という変なやる気に満ちあふれていたのだ。

どのくらいむちゃくちゃだったか言葉で説明するのはむずかしいが、ちなみに「こぶとりじいさん」でわたしがやった役は「鬼の宴会にお酒を届ける酒屋さん」だった。

「役者さん」も強烈なインパクトを与える人が多く、悪いじいさん、ばあさん役はこの年がデビューのD少年とフラメンコもするOさんだった。ちなみにD少年はこれから数年間にわたって、賢治の楽校のムードメーカーの一人になっていく。

「さんまいのおふだ」では巨大な「おふだ」が舞台を走り、わたしはちょうど妊娠八ヶ月くらいだったので、「ふくれたモチの役」をやった。

この年で特筆すべきはマルセ太郎さんの弟子に当たるご夫妻(正確にはお弟子さんなのは奥様だけ)が参加していたことで、本筋と絡めてひとこまコントをやってくださったのだが、その切れ味には一同大爆笑で、このときほど、別のグループに所属して一観客として鑑賞したかったと思ったことはない。

「世界で一番やかましい音」では、なぜか「おしゃべりな奥さん」の役に扮してくださったお父さんがいて、その迷演にびっくりさせられた。それとこの劇では時計が重要な役割を果たしているのだが、初めて参加された手足の長いお父さんが、息子さんと一緒に、その手足を生かして時計の役をされたのが、とても印象に残っている。この方は後に「火の仙人」さんと名づけられ(勝手に名づけてすみません)、ながく森の声さんの活動に関わることになる。

書きたいエピソードはたくさんある。けれどすべては書ききれない。また他の人は他の人でまた印象に残っていることがあるだろう。そんなあれもこれも聞いてみたい、と思いつつ、今回はここまで(記憶ちがいあればご指摘ください)。

(続く)

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