2009年7月 4日 (土)

ケロちゃん コロちゃん

いくつになっても新発見はあるものだ。
海のアトピーがひどかった頃、薬屋さんでもらい集めたカエルの指人形は、今でも森のお気に入りだ。4匹いるので、はしご車に乗って消防隊になったり、船に乗って海賊になったり、大活躍している。
森にひとまとめで「カエルちゃんたち」と呼ばれている彼らだが、よく見ると目の向きが二種類ある。右向きと左向きだ。うちに来てもう10年以上たつ彼らだが、私は特に気にもせず、ランダムな製造過程の結果(つまり、適当なんだな)だと思っていた。
ところが、ひょんなことから素性がわかった。なんと彼らのブログパーツがあったのだ。そしてその名前が「ケロちゃん コロちゃん」となっている。そ~~~~かぁぁぁ。あの二種類の目は、ミスではなかったのかあ、とよくよく手にとって調べてみると、なんのことはない胸のところに浮き彫りの文字で「KERO」「KORO」と書いてある。
・・・・・・・・・。
ごめんね。10年以上も一緒にいながら、名前も呼んであげなくて。
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というわけで、期間限定、梅雨明けまで「ケロちゃん コロちゃん」のブログパーツを置くことにしました。3つのスロットが合うと、恐ろしいことが起こるので、ぜひお試しください。
梅雨明けまでといっても、この列島は長く、梅雨明けも同時ではないので、どの地域の梅雨明けかは、そのときに決めましょう(要するに、つけたいだけ、つけておくということだな)。
日頃「やまんばさんのおうち」をごひいきになさってくださる方、びっくりしましたか?
「やまんばさんのおうち」まだまだ奥が深いのです。
というわけで、引き続きよろしく!

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2009年7月 3日 (金)

家を洗う5

クライマックスの障子張りは日曜日に行われた。
その前の土曜日、まず子どもたちを巻き込んで、窓ガラス&網戸掃除を行う。よく晴れて気持ちのいい日。相棒は仕事。海が部活から帰ってきて、みんなでお昼を食べ、食休み(これが大事!)をした後、おもむろに始める。
窓は庭に面している。すべての作業を外から行うため、午前中に庭を整地した。自転車をどかし、積んであった竹の棒をどける。長いので、捨てるために切る作業を森に依頼。と書くとかっこいいけど、なんのことはない、のこぎり遊び。
午後、長柄のワイパーとブラシで窓&網戸を磨く。花形仕事は海。窓ガラスをぴかぴかにするのが気持ちいいんだそうだ。私は窓枠を拭いて、地味に応援。森はというと、午前中に切りそろえた90センチくらいの棒で「家を造る」とがんばっている。
庭に面した窓は3面。海は和室を終え、「他もやってもいい?」。どうぞどうぞ、と私はその間に障子の桟から張りついた紙を濡らしたぞうきんではぎ取る作業にかかる。実家にも障子はあり、イネばあちゃんとよく障子張りをしたのを思い出す。そのときの記憶通り、やはり紙はとれにくい。仕事を終えた海も途中から加わってくれたが、やはり少しずつしか進まない。夕方、相棒が帰ってくる頃、ようやく終わりが見えた。
次の日の障子張りは4人がかり。といってもちょうどお昼前に始めたので、ときおり私か海が台所に立つ。大人のどちらかが障子を張り、森はそのときに必要なもの(ノリとか拭き取る布とか)を渡す役。
窓から外さずに障子を張るのは、想像以上に大変だった。特に桟が下になっているほう。ノリも一度にはつけられないから、三分の一ずつつけた。そして一番困ったのは「風」。庭を吹き抜ける風が、ついでとばかりノリの乾いていない障子紙をいたずらする。私ははじめ外で押さえる役だったのだが、脚立の上に片足をかけたまま、限界まで手を伸ばして一番上を押さえ、さらに身体の線を使って、横から風が入らないように障子に張りついていた。文字通り「身体を張って」、貼った障子紙だ。
一枚目はようやく完成。そしてうどんをゆでていた海から
「そろそろいいよ!」の声がかかる。ここで私と海は交代。私がゆであがったうどんを冷やしている間に、こんどは海&森と相棒でもう一枚の障子を張る。
「麺喰い」の我が家にしても滅多に食べない量、900gの冷や麦が水で冷やされ、ひと巻きずつ取って、器に盛られる頃、もう一枚の障子も無事完成。そして、その冷や麦がすべて食べ尽くされ、4人で映画を見ながら食休みをしているうちに、ノリも乾いた。はみ出した障子紙をカットし、今度こそ本当に障子張り完成。
障戸を閉めた和室には、柔らかい光が満ちていた。子どもたちは生まれて始めてみる風景に目を見張った。たかが一部屋、されど一部屋。家の他の部分にだって掃除をする余地は山ほどある。けれど、この部屋が生き返ることによって、この家によどんでいた何かが、通りはじめたのはまちがいない。
子どもたちはそれぞれにこの和室を活用している。森は「真っ暗ごっこ」ができる部屋、押し入れには入れる部屋、として。海は座卓でそろばんをする。そして相棒は、夕食の後、ここにごろんと横たわり、身体を伸ばしてから二階に行くのがひとつのパターンになりつつある。もっともその静寂は長くは続かず、次第に夕飯を終えた子どもたちによって浸食されるのが常なのだが。
和室が開放されて、一番喜んでいるのは、結局のところ、彼なのかもしれない。
(終わり)

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2009年6月25日 (木)

家を洗う4

我が身を振り返らなければならなくなったのは、義母だけではなかった。和室の隅には私たちの「とりあえず使わないもの」も置かれていたのだ。相棒はあくまで、床に何も置かないことを主張した。その中には段ボールに入ったままの自著の在庫などもあり、私はそれをどこかに動かさなければならなかった。

どこかに、といっても家中すでにいっぱいである。思えば和室は便利な「ブラック・ボックス」だった。いらないものはとりあえず、そこに押し込んでおけばいい。

「あそこも片付ければ何とかなる」

「とにかく片端からどんどん片付ける」

という相棒の厳しい方針により、私は寝室のクローゼットを片付けることになった。着るかも(いつか? 私が? 海が?)と思っていた洋服も処分した。カセットテープも大量に捨てた。和室から始まった掃除の波は、いつしか家中を巻き込んでいた。

相棒と暮らし始めてからちょうど15年。こびりついてしまった暮らしの垢を掻きだして、新しい波をむかえる。海も中学生。育てるだけの暮らしから、旅立つことも視野に入れた暮らしに切り替えるちょうどいい潮時。

一連の出来事の中で何よりうれしかったのは、以前本棚から間引いたまま、和室に起きっぱなしになっていた本が処分できたことだ。ほとんどがハードカバーの人文書、間引かれたとはいえ、相棒にとっては大切な本だった。どうせ某B-OFFに持っていっても引き取ってもらえないのはわかっていたから、勇気を出して他の古本屋を回った。はじめの2軒の対応は予想したとおりで、打診したときに難しいのはいらないといわれたので、わざわざ文庫中心に選んでいったのだが、それでもジュース代にしかならなかった。

折しも翌日は古紙の日。引き取ってもらえなかった本を縛って出しておいたら、おじさんが来てあさっていた。どのような形にせよ、求められたのがうれしくて思わず声をかける。

「あのぉ」

おじさんがびくっとする。

「好きなだけ持っていっていいので、ちゃんと縛っておいてくださいね」

後で見たら、どうしてこれを?という本が抜けていて、おまけにちゃんと縛ってなかった。他人のニーズというものはわからない。

最後に二袋の本が残った。中でも厳選したハードカバーばかり。これをどこに持っていくのか。実は私には当てがあった。以前から目をつけていた某古書店。商店街の中ではなく、ただの道沿いにポツンとたっている。一度も入ったことはないのだが、珍しそうな本が並んでいて、開店したときからつぶれるのは時間の問題だと思っていた。ところがつぶれなかった。それどころか数年前に移転し、以前よりわずかに駅に近く、わずかに広い場所に店を構えた。問題はしょっちゅう店が閉まっていることで、重い本を運んでいって無駄足じゃやるせないので、持っていくのに二の足を踏んでいた。

その日、私は朝から機嫌が悪かった。原因はわかっていた。本を持っていきたくないのだ。断られるのがイヤなのだ。内面の声を無視しきれなくなった私はひとつ保険をかけた。(本当に滅多にしないのだが)気のおけない友人とランチの約束を取り付けたのだ。友人に電話をかける前、内面の子供によく説いて聞かせた。

「今日でないかもしれないよ。今日(彼女の)時間が空いているとは限らない。でも必ず約束するから」

私は運がよかった。私たちは今日の12時に会うことを約束した。そして、私は自転車の荷台に本を積んだ。

古書店の中は想像以上だった。ハトロン紙をかけた本がびっしりと並び、床にも本が積み上げてあった。懐かしい神田の風景。おじさんは私が持っていった本を積み替え、積み替えしながら眺めている。私は壁の本に目をやりながら、その様子を横目で見ていた。しばらくしておじさんが言った。

「…いい本ですね」

「当たり前だ」と私はこころの中で叫んだ。一級品の人文書売り場に並んでいた本だぞ。

おじさんは思いきったように値段を言った。私は言い値でいいです、といった。

ランチに使い込みたいという誘惑を退けて、本を売ったお金を相棒の机の上においた。端数はくれるかな、という期待もあった。帰ってきた相棒は、私の話を聞くと一言

「捨てないでよかった…」とつぶやいた。

結局、分け前は請求しなかった。この出来事が予想以上に相棒の何かを癒したのを感じたからだ。薄っぺらな資本の論理の底で、何か別の流れが途切れずに続いている。その流れを信じてみようと思った。

(続く)

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2009年6月23日 (火)

家を洗う3

(繊細な方、きれい好きの方は食事前に読まないことをお勧めします)

押し入れそのものの掃除に活躍したのは海であった。

ざっと掃除機をかけた後、こびりついたゴキブリの糞を歯ブラシでこする。我が家では滅多に使われない合成洗剤を薄めた液をつけて。その作業をコリコリやっていると、海が近づいてきた。実は彼女はこういう細かい作業が大好きだ。それを知っているから海がいるときに始めた、ということもある。

「やる?」ときくと、「うん」と答えたので選手交代。海ちゃんももう中学生。現実の汚さ(文字通り)を知っておくのもいいでしょう。押し入れには黒いカプセル上のものもこびりついていた。最初ネズミの糞と勘違いしたが、相棒はこともなげに「ゴキブリの卵だよ」と言い放った。

ええ~、見たことあるわけ!!!

さすがに海はそれに触るのをいやがったので、私が交代。それもこれもコリコリと落とし、掃除機で吸い取る。水拭きをし、洗剤を落とすと、一丁できあがり! 海ちゃん、偉い!

庭に面した窓には障子がはめてあった。日に焼け、茶色くなり、おまけにある日窓を開けておいたら、風で破れた。外そうとしたら、この障子は外せないことがわかった。おそらく建てられたときからそうだったのだろう。この家の内装は所々怪しい。業者の手抜きが見え隠れする。ということは障子張りは外からやることになる。その過程を想像するだけでうんざりする。

だがまずは…。

「(森)し~ん」と呼んだ。今回、部屋が汚いから入るな、とお邪魔虫にされ続けた森の出番がついにやってきた。

「障子、破っていいよ!」

森は飛んできた。さっそくビリビリ、グシャグシャやり始める。すると海も飛んできた。

「森の届かないとこ、やってよ」というのに、一緒になってバリバリやっている。それどころか、森が手を伸ばそうとするところを先回りをしてバリンと破る。まったく、もう! まあこういう時はうるさいことはいわない。私も手を伸ばして一番上をバリッ! 舞い散る障子紙。子どもたちの笑い声。これぞまさしく破邪の舞。ちぎれた紙をゴミ袋に押し込んで、後に残るは骨ばかり。

障子のなくなった枠は、真実の骨格のように和室の風景を照らし出す。古いものをはぎ取ったすがすがしさが、やがてくる何かを予感させた。

(続く)

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2009年6月22日 (月)

家を洗う2

押し入れにしまったものの大半を義母は忘れていた。

「私は知らない」

「私のものじゃない」と何度も言われた。

それを一つ一つ確認し、「取っておいて」といわれたもの以外は捨てた。

最初、その役は私に回ってきたのだが、私は「できない」と断った。だって、私はその「もの」に対する記憶が全くない。義母がおかしなことを言い出しても、止める根拠がない。相棒はとてもイヤそうにその役をこなした。かわいそうだが、仕方がない。過去の決着は自分でつけるしかない。10代、20代の頃着ていた服がしみだらけになって出てきた。奴はそれを黙って全部捨てた。

布団は私の役目だった。二間ある押し入れの上段にぎっしり詰まった布団を使えそうなものと捨てるものに分けた。とりあえずのゴミを落とし、状態を見る作業は相棒の手を借りて玄関先でやった。私はマスクをつけ、子どもたちを遠くへ追いやった。ときおりゴキブリの糞や死骸が出てくる布団は、とても家の中で払う気にはなれなかった。

3分の2の布団が使えないと判断された。ゴミを出すにもお金がいる。茅ヶ崎では「布団」は3枚で500円であった。捨てる布団は10枚以上ある。2000円払って捨てるのはあまりにもったいない。市の「環境事業センター」を調べた。車で持ち込めば、かなりの重さまで500円だという。もったいなさが私を突き動かした。相棒と二人で車のトランクはもちろん、後部座席にまで布団をぎっしりと積み込み、平日は動けない奴に変わって、私が搬入することにした。初めての道、初めての場所…。

心細い私を救ってくれたのは、昨年引っ越したばかりで「環境事業センター」にもお世話になった友人の道案内だった。

布団(それに押したたみ式テーブルが一台)は全部で40㎏だった。

布団を干しながら掃除をする日々が続いた。15年もののホコリを吸い込みたくないので、防塵メガネにマスクをかけて布団を叩いた。その音はどんなに小気味よく響いただろう。呪いを払うつもりでやった。よどんだ精神をこの家から追い払い、新しい風を入れること。

一度、とても風の強い日に、夏掛けが飛んでしまい、お隣のレトリーバー「レオちゃん」のいるデッキに落ちたことがあった。私と森が公園から戻ったとき、レオちゃんはその上にちょこんと座り(もう大きいのですけどね)うれしそうに布団をなめていた。さっそくお隣に話し回収したが、その布団を汚いとはまったく思えなかった。ゴキブリの糞に比べたら、犬の方がよっぽど清潔だ。レオちゃんに清めてもらった気がした。

(続く)

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2009年6月15日 (月)

家を洗う1

我が家には「開かずの間」がある。

玄関を入ってすぐ左、6畳の和室である。この和室は義母の管轄で、数年前まで、朝にはシャッターを開け、夕には閉めていたのだが、義母の高齢化とともにここしばらく締め切りの状態が続いていた。

そのため中はかび臭く、押し入れには15年以上前、この家が建てられたとき以来の布団類が詰まったままだ。荷物をいじった、いじらないで何度かトラブルの種になったこともあり、私はこの和室に入るのが大嫌いだった。何しろゴキブリの巣、である。スリッパを脱いではいるのがいやで、どうしても入る用事があるときは、履いたまま入った。そのくらい嫌いだった。

和室のすぐ隣はリビングである。この空間を何とかしたいと思い始めたのは昨年のこと。相棒の生活設計によれば、この和室は義母の隠居用で、今彼女が住んでいる2階の洋室は、二人の子供部屋になる予定だったという。

(この予定は、私たちが出会う遙か以前、独身の彼がこの家を設計したときにたてたものである。従って私は関知していない。)

しかし上の子供が中学になる今になっても、義母はいっこうに動きそうもない。私としても、もし義母が和室に移ってきたとして、お友達とリビングで話している会話をすべて聞かれるのは、気持ちのいいものではない。ならば、いっそ、私たちが和室をもらったらどうか?

そういう考えを相棒に話したのは、一年以上前、私が自宅で「作文教室」でも開こうかと考えていた頃のことである。けれど結局義母に、和室を使わせてくださいとは言い出せなかった。「作文教室」の話はそのまま立ち消えになった。

この間の春休み、実家から帰ってきたら状況が変わっていた。留守の間に相棒が義母に話を通し、和室を使えるようになったというのである。要するに海がもう中学だから、子供部屋を明け渡せ、と迫ったらしい。それなりに怒っても見せたらしい。けれど腹の中では最初から和室をもらうつもりだったらしい。私のために? まあ、家族のために。

記憶スパンの短い私としては「天からぼたもち」である。私は指一本動かさず、和室を手に入れたのだ。けれど、怠け心でいうわけではなく、これが正しいルートだったのだと思う。奴が動くこと。この家を変えるために。未来を切り開くために。なぜなら、その和室に詰まっているのは義母と相棒の歴史であり、私には関係のないものだからである。

(続く)

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2009年6月14日 (日)

座談会はいかがですか?

久しぶりに冒険あそび場関係のお知らせです。今年の遊び場は4月、5月と雨のため中止。次は7月26日(日)になります。そのかわり、とってもわくわくする講演会、ならぬ座談会が6月27日(土)に行われます。たくさんの方のご来場をお待ちしております。当日来場でもかまいませんが、保育のある方はお早めのお申し込みをおすすめします。 

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冒険あそび場講演会 協働事業3周年特別企画

座談会「茅ヶ崎流冒険子育て~遊べば遊ぶほど、かしこくなるってホント!?~」

講師:

齋藤直人氏(1965年発足のえぼしクラブコーチ、茅ヶ崎市立香川小学校教員)、

篠秀夫氏(アートスペース ネネムの森/冒険クラブ主宰、表現遊び研究家、親子遊び研究家)

山田昇氏(虹の丘代表、浜竹幼稚園副園長、RAM「虹の丘おやじの会」/PAPAS湘南「浜竹幼稚園おやじの会」言い出しっぺ)

日時:2009年6月27日(土) 13:30~16:00

場所:市民文化会館4階 第4、第5練習室(和室)

定員:80名(先着・子ども同伴可)

保育:2歳以上の未就学児童 20名(先着)

   保育申し込み締め切り 6月20日(土)

申込先:?:080-5527-5654(神谷)

E-mail:wolfruns@gmail.com (越地)

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ちょっとだけ自慢していいですか?

この座談会は私たち「茅ヶ崎に冒険あそび場をつくろう会」にとっても、特別なんです。何が特別かというと、今までの講演会でお話ししていただいた方たちは、「日本冒険遊び場づくり協会」にお願いして来てもらった方たちでした。天野さんとかね。

それはそれで素敵だったんだけど、なんと今回の三人の方は、全員茅ヶ崎で活躍されている方たち。すべて地元産の生きのいいおじさま方です。

タイトルの「茅ヶ崎流冒険子育て」には、地元発の私たちの思いが込められています。茅ヶ崎で冒険あそび場を初めて早?年。借りてきた考えが根付くかどうかを試される時期にかかっているのだなあ、と感じる今日この頃。

三人の方たちが全員、直接冒険あそび場に関わっているわけではないけれど、考えを同じくする活動がこんなに盛んに行われているのは茅ヶ崎ならでは。冒険あそび場を含む、幅広い子育て環境を今しっかりと確認し、進んでいかなければならないという思いからの発信です。

どうぞいらして、私たちの輪に加わってください。

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2009年6月 4日 (木)

花-on(かおん)

黄色い花の上で、虹色のいも虫を見つけた。黄色い花を食べているからだろうか。薄緑と薄紫の混じった美しい色だった。庭から摘んできた花がキッチンの窓枠に飾ってある。その上で見つけたから、調理している間、常に目の前にいる。おかげさまでよくよく観察することができた。

黄色い花の上に横たわる姿は、幼女の美にも似て美しい。好奇心半分、殺すのも面倒だったので、そのまま放っておいた。そうしたら、名前が降ってきた。花の上にいるから、「花-on」と書いて「かおん」。

名前をつけたら、情が移る。写真を撮ったら、もといたところに戻そうと思っていたのだけれど、台所に来るたびにカメラをもってくるのを忘れている。その間にも「花-on」はどんどん大きくなる。あっというまに最初に飾った花を食べ尽くした。思わず花を追加する。

大きくなった「花-on」は、花心の周りに沿ってくるりと円を描く。ただの本能だろうけど、その姿がまた愛らしい。このまま大きくなって、それでどうなるんだろう。

あるひ、「花-on」の様子が変わった。花瓶の周囲を伝ってどこかへ行こうとしている。アゲハの幼虫とつきあった経験から、さなぎになるのではないかと思い、花瓶に割り箸をさしてみる。けれども「花-on」は見向きもしない。結局また花の上に戻り、こんどは、花びらの下にある萼(がく)にぐるりと巻きついた。そして、このときからなんと「花-on」は緑色になった。

このあたりで何かの予感がした。それでも次々と花を食べ尽くす「花-on」にせっせと花を運ぶ。これってただの親ばかではないだろうか。ついに、ひとつの花の上では、身体を支えきれなくなった「花-on」は、花の茎を支柱にし、もうひとつの花に顔を突っ込んでもぐもぐと食べている。お行儀が悪いぞ!「花-on」。

そして、恐れていた日が訪れた。「花-on」の身体に模様が浮き出てきたのだ。自転車の荷物を止めるゴム紐にも似たその模様。ああ、なんということだ。「花-on」は、昔、私が畑でさんざんつぶした「ヨトウムシ」だった!

「ヨトウムシ(夜盗虫)」はその名の通り、日中は土の中にいて、夜這い出してきては畑の作物をむしゃむしゃ食べる。家庭菜園家にとってはとても憎たらしい虫だ。「畑の虫は天敵に任せ、多少は虫の取り分と考える」という寛大な方針でやってきた私ですら、どうしてもつぶさずにはおれなかった虫だ。なにしろ発芽した幼苗が、一晩で全滅するくらい大食漢なのだ。

ああ、「花-on」!

「花-on」をつぶすべきだろうか、と考えた。しかし「花-on」は現在、畑にいるわけではない。

うちの庭は虫がいてもいい場所と、いけない場所に別れている。畑の作物や、実のなる木などについた虫には、悪いけど死んでもらう。しかし、それ以外の場所まで、人間さまのものだと主張するつもりはない。植物を食べる虫は、やがて他の虫やカナヘビ、ヒキガエルなどに食べられる。人間が妙な介入をしなければ、自然は自分で自分の面倒を見る。何もしないからといって、特にうちの庭が虫だらけ、ということにはならないようにできているのだ。

私が悩んでいるうちに、ある朝「花-on」はいなくなっていた。もう一晩待てば、もといたところに戻してやったのに、などとつぶやいてももう遅い。成長したヨトウムシは土の中に潜る。きっと「花-on」は本能に従い、土を探す旅に出たのだろう。我が家のどこかで「花-on」の旅は終わったのだろうか。それともしぶとく、外に出る道を見つけただろうか。

私はといえば、かわいい娘が成長して、じゃらじゃらした姉ちゃんになり、どなりつけてやろうかと思っていた先に、家出されてしまった親のような心境である。

悪いけど、この次畑で会ったらきっとつぶす。

そう言えば、結局写真は撮らなかったな。

な、「花-on」。

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2009年5月28日 (木)

どの枝を切ろうか

ユスラウメが茂りすぎたので、剪定をした。茂りすぎた写真も撮っておけば違いがわかったのにと思うが、もう遅い。切るときはばっさり切る私である。これが切った後の写真。

この日は土曜日。海と相棒は出かけてしまい、残された森と遊ぶつもりでの枝きり。もともと園芸の知識もなく、勘のみに頼る。樹にしては迷惑かも知れない。一回、図書館で本を借りてみた。しかし、テキストはテキスト、実践は実践。本に載っている樹形とうちのは同じじゃない。結局ライブ・パフォーマンスによる枝きりである。

ところが、今回発見があった。どこで切ったらいいか、わかるのである。木の芽が読めるような気がしたのだ。そこで調子よく、すぱすぱ切っていたら、もうひとつうれしいことがあった。

通りすがりのおじさんが、ひょいと声をかけてきたのだ。盆栽を通じての同好の士との会話。ああ、あこがれの老年期にまた一歩近づいたような気がした。

彼は重大なヒントを残して去っていった。

「この枝、切っちゃった方がいいんじゃないの?」

彼が指さしたのは、一番上まで伸びている我が家よりの枝。

でも、それ一番実がついているんだけどな、と曖昧にうなづく私。

すると、彼はそれに気づいたように

「あんまり家とかに、ぶつからない方がいいからね」

そういえば、そうだ。ユスラウメは切っても、切っても、毎年これでもかと思うくらい枝が伸びる。トイレの窓に映る緑の影は、美しいと思う反面、邪魔でもある。

「ま、好きに切ればいいんだよ」

「いい実、つけてるじゃん」

言い過ぎたと思ったのか、取りなすようにそういうと、そのおじさんは自転車で走り去っていった。

もう会うこともないだろうおじさん。彼の出現は意外な効果を私に及ぼした。

ひとつ、どんな形であれ、ほめられてうれしかった。

ふたつ、なんだか「あの枝」は切った方がいい気がしてきた。

しかし、見ず知らずのひとの一言のままにスパッと切るには、あの枝は惜しい。

どうしようかな、と私は改めて枝を眺める。まだ決めてはいない。いまも悩んでいる最中である。

そして、その枝の向こうに私はもうひとつのものを見ていた。現実の理(ことわり)と夢想の理が重なり合う貴重な瞬間。

いまは、まあまあ実がなっているけれど、私の本筋に必ずしもつながらない「あのこと」「このこと」は切るべき時が来たのかも…。

簡単に答えが出ることではない。今も考えている。

古来、通りすがりに受け取る戯れ言は、天からの言葉でもあるという。

さあ、どの枝を切ろうかな。

「いい実?」

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2009年5月21日 (木)

弁当こわい

寝室の床に弁当がひとつ、ぽつんと転がっていた。

土曜日、朝8時。海は朝練へ。相棒もついさっき出社した。海は午前中で帰ってくるから、弁当は持っていってない。

ということは…。

相棒の会社に電話をする。誰も出ない。まだ仕事が始まってないのかと思い、後でもう一度かけることにする。

私が作った弁当を台所から相棒に届けるのは、子どもたちの役目だ。ついこの間までは、年上の海が弁当配達を独占し、チビの森はおはしと水筒しか持たせてもらえなかった。それがもとで、朝からよくけんかをした。やはり弁当が主役、森だって弁当が運びたい。海も、海だ。たまには譲ってやってもいいだろうと思うのに、自分が寝坊したとき以外は、情けのかけらもない。

その弁当を運ぶ権利が、海の中学入学、クラブ入部によって棚ぼた式に、森に転がり込んできた。いまや、朝起きて出かけることだけで必死の海。弁当のことなど気にする余裕もない。森はウハウハである。問題は水筒がやたら大きくて、弁当とおはしと水筒という3点セットを森の手では一度に運べないところにある。この日もまず水筒とおはしを運び、二階に行ったまま帰ってこない森を、もう一度呼んで階段のところで確かに弁当を渡した。それが、なぜ…。

父ちゃんの弁当を見た森は、さすがにまずいと思ったらしい。

「…忘れちゃったのぉ」と、泣きそうな声を上げる。

「電話してみるからさ」と私。

別に怒るつもりはない。けど、よりによって何で「今日」なんだという思いはつもる。今日はとっても変則的な日で、11時から立て続けに用事が2件入っている。手はずとしては、海が帰ってきたらすぐ、早めのお昼ご飯を食べて、全員で出かけなければならないのだ。

私の中で、「届けてあげたい」という思いと、「この忙しい日にばたばたするのはいやだ」という思いが交錯する。相棒の会社は自転車で30分。森と一緒に走れば45分。往復で1時間30分をいまからひねり出すのは正直つらい。だがどちらにせよ、連絡がつかないことには動きようがない。私は15分おきに電話をかけ続けながら、出かける前に終わらせるつもりの家事をこなし続ける。

9時。ようやく家事のめどがついた。動き出すならぎりぎりの時間。だが、いまだに電話には誰も出ない。私の方の踏ん切りはついた。

あきらめよう。やつは大人だ。財布も持って出ている。コンビニもある。何とかするさ。

森にもそのことを告げる。

「父ちゃん、お財布もってるからさあ。コンビニで買うよ」

「そうだね…」とまだ心配そうな森。

海が帰ってきて、みんなでお昼を食べた。仕方がないので、弁当もみんなで食べた。今日の弁当は、相棒の好きなゆで卵、忘れちゃいけない塩の分包、ちょっと珍しめのウィンナー、彩り豊かなミニトマトと緑の野菜。

いつもきんぴらと煮物の多い我が家の弁当にしては、色よく仕上がった傑作だったのに…。

「父ちゃん、食べ損ねちゃったねぇ」と海。だからといって遠慮するような子どもたちではない。たちまち、弁当は食べ尽くされる。

そして、私たちは用事を果たしに行った。

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夕方5時。そろそろ相棒が帰ってくる頃。子どもたちはどきどきで帰りを待っている。私もとっておきの「冷凍たこ焼き」の数を確認する。

「怒っていたらどうする?」

「いや、機嫌悪いくらいじゃない?」

「そしたらたこ焼き出せばいいよ」

「森ちゃん、謝るんだよぉ」

そのとき、相棒が帰ってきた。階段を駆けおりる子どもたち。

「とうちゃ~ん」「おかえり~」

「お弁当、なかったでしょ」

「買った?」

相棒は苦笑いしながら、答える。

「中に入ってから気がついたからさ、買わなかった」

ああ、やっぱり…。そういうこともあるかなあ、と思ってはいた。もともとけんかをすると、一食や二食、抜いても平気な経歴の持ち主だ。こころのどこかで、そういう事態もあり得るとは思っていた。子どもたちはちょっと怪訝な顔。私は明るく声をかける。

「たこ焼き、もってくるねぇ」

そして、相棒は皿にぎっしりともられたたこ焼きを食べ、さらにおいしい夕飯を食べ、私と相棒の間ではこの件は終わった。

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深夜12時。横に寝ている森がもぞもぞする。森は夜中に目を覚まして私がいないと、隣の部屋まで追ってくる子供だ。早起きしてパソコンに向かう充実した時間を、邪魔されたことは数限りない。しかし、今夜は私が横に寝ているにもかかわらず、ふらふらと隣の部屋に向かっている。いるのに気がつかなかったのかな、または寝ぼけたのかなと思い、後を追う。森は隣の部屋に入る。そこには相棒がまだ起きていて、何かをしていた。

奴の言うことによればだが、相棒の腕の中に倒れ込んだ森は、とっても悲しそうな顔をしていたのだそうだ。

父ちゃんに謝りに来たのかな。

というわけで、話はおしまい。

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