ライフはアート?
2015「らいふ・イズ・あーと」連続ワーク開始まで、あと1週間となりました。私のワークショップの中でも、この連続ワークは特別です。理由は
1,グループワークであること
2、約半年を共に過ごすこと
の二つが同時に起こるからです。
グループワークですから、参加者同士がお互いに影響をうけ合うのはもちろんです。さらに連続ワークの素晴らしいところは、ワークとワークの間、約ひと月の普段の生活もワークになってしまうことです。
6月に始めてから第6回が終る半年後、11月までず~~~~っとワーク。
セッションでの気づきが、現実に影響を与え、それがまたワークに反映され、このくりかえしがずっと続いていくのです。
それも、もうこれしかない、このメンバーでしかできない、というベストのグループで。
連続ワークを始めて4年になりますが、毎回ベストです。細かいスケジュール調整も、時々飛び込んでくる単発での参加も受け入れて、いつもベスト。
信じられないかもしれませんが、本当にそうなのです。
昨年の参加者の一人に、エピソード公開の了承をいただきました。まずはそれをシェアすることから始めたいと思います。
連続ワークの開始前、参加者に投げかける問いがあります。
「自分がいたい場所はどこか」
その場所をイメージするように促し、ドローイングを描いていただきます。そのようにして初回が始まるのですが、今回お一人だけ日程が合わず、別日を設けさせていただきました。その時に彼女が描いた絵がこれです。↓
「さみしいけど、安心する」
と彼女は言いました。
そして初回のテーマは「足」。
約2時間のワークを受けた後、彼女が描いた「足」は…。
(続く)
ウソ、です。「続く」ともったいぶりたいくらいなのですが、公開しちゃいます。
「彼女の木」は「根」を持つ樹になったのです。
セッションを一人で受けたのも、意味があったのでしょう。この場所にたどり着くには、それしかなかったのでしょう。
その後、グループに合流した彼女は全6回をやりきりました。
これから彼女の樹には、どんな花が咲くでしょうか?
「らいふ・イズ・あーと」のサイクルは単純ですが、揺るぎのないものです。
「身体を動かす」→「感じる」→「ドローイングに現わす」→「名づけ、理解する」→「身体を動かす」
このくりかえし。
特にこんな人に受けていただきたいです。
・一歩踏み出したいと思っている人
・スピリチュアルな経験は積んだけど、それを身体に結びつけられない人
・いい子をもうやめたいと思っている人
・身体の不調を感じているけれど、医者は信頼できない人
・踊りたい人
・こっしぃに会いたい人
などなど…。
2015年の残席もあとわずかです。ピンと来た方は、ぜひどうぞ。
(注)第一回の日程が変更になりました。
(旧)6月26日(金)
(新) 6月29日(月)
なお、旧日程の方が都合のいい方がいれば、対応いたします。ご連絡ください。
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A trip to 珠洲 2
二日目、私は金沢に出て新潟へと向かう。森は5日まで田んぼの手伝い。二人とも、森が就園する前から田植えも稲刈りもこなしてきたけれど、それ以外の作業は知らない。今回、森は田植え前の作業をビビ微力ながら手伝うために滞在する。
「田起こし」「肥料まき」「畦塗り」「代かき」…
田植えの前にやらなくてはならないことは山積みで、今まで「はいどうぞ」と差しだされた田んぼに苗を植えるだけで、田んぼをやっていた気分だった自分を笑う。
午前中、珠洲で焼き物をしている妹の知人を訪ねる。これから釜に5日5晩火を入れるのだという。彼女は養蜂も手がけている。やりたいことを自分でやる暮らしは「大変だけど楽しい」と、彼女は微笑んだ。
近くの山に立ち並ぶ「風力発電」。珠洲は28年かけて凍結された原発計画のあった土地。土地の人は様々な形で揺さぶられたという。
その後、珠洲急行バスで金沢へ。
途中の棚田。新緑がただ美しい。GW中に遠くまできたのは何年ぶりだろう。
子どもたちが生まれてから、ずっとキャンプの日々だった。それはそれで楽しかったけど、新緑が美しいこの季節に、公共交通機関を使うほど足を伸ばしたのは、おそらく10年ぶりくらい。この機会をくれた相棒に感謝!
再びの金沢。
ご縁で浅野川界隈へ。
妹のご縁で、謎めいたブックカフェにたどり着く。
その名も「あうん堂」
懐かしき人たちの話に花が咲く。
活字の世界にいたなんて日頃は忘れているけれど、これも私の中を貫いている一筋の糸ではある。
「あうん堂」はブックカフェの他に出版も手がけている。
4月に出版されたばかりの
混まない金沢歩きをしたい人には、お勧め。私もこの前身「そらあるき夜マップ」を使って、ここまでたどり着いた。
気がつくと夕暮れ。
今回、金沢-新潟間のバスを取りそこね,乗るつもりもなかった北陸新幹線と急行を乗り継ぎ三条へ。母の顔を見て昔話に花を咲かす。
東京でも、新潟でも見逃した「トーベ・ヤンソン展」が私を持っていてくれたのだけれど、生きている人を優先してしまった。
何だかもう充分で、世界はただ美しくて、あとは流れ出すだけ。
旅の最後の写真は、五十嵐川の源流、福島県との境にひろがる山脈を背景にした鯉のぼりで。
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A trip to 珠洲 1
どこが果てか、なんて誰が決めたんだろう。
能登半島最果ての町に立って、そんなことを考えた。
「遠いところをわざわざ」と何度か言われたけど、距離だけを考えたら確かにそうだけど、旅をするひとコマ、ひとコマがワクワクしていて、そんな風には感じなかった。
事の起こりは中学生になる前に森を田んぼの手伝いにやろう、という相棒の提案。石川県にある親戚から、毎年お米を送ってもらっている。そこの末の子どもが今年進学で家を出た。今年は誰も帰ってきそうにないから、お前行って手伝ってこい、という。
初めは行きも帰りも飛行機で一人旅、というかなりワイルドな計画だった。
でもさ、わたしも一度も行ったことがないのに、お仏壇に挨拶もしてないのに、一人でやれません、というローカルな戦いを経て、行きは地べた、帰りは空、という折衷案に落ち着いた。
連休の後半は天気が崩れる予報。一日でも無駄にしない方がいい。2日から作業を開始するために、前日を移動日に当てる。学校にも理由を告げ、堂々と休む。先生は1日に予定されていた運動会の係決めを前倒しにしてくれた。感謝!
旅の始まりは夜行バス。江ノ電の夜行バスはかなり豪華。3列はもちろん、カーテン閉めたら個室状態。
朝の金沢駅。ガストでモーニング。息子は生まれて初めての目玉焼きふたつに大興奮。ドリンクバーついているのに自分のお腹に聞いて「もうこれでいい」と、ココア一杯のみ。日頃の暮らしがしのばれるね~。
JR七尾線で七尾駅に到着。ここからが今回の旅の目玉、「のと鉄道でレンタサイクル」の始まり。
「の鉄」の画期的な点は
「列車にそのまま持ち込みOK」
「有人駅間の乗り捨てが可能」
妹はこの日仕事で夕方まで迎えは来ない。だったら、能登島までサイクリングとしゃれ込もう!
まずは七尾で自転車を借りて、七尾湾までひと走り。能登食祭市場でお昼を買い、再び「の鉄」に乗って和倉温泉駅まで行く。
それから能登島大橋を越え、須賀蝦夷穴古墳を目指す。そしてあわよくば「ひょっこり温泉」で、お・ふ・ろ。
森はスイスイ走る。
けれどわたしの自転車、ギアが1と2に入らない!!!
その後もアップダウンが続き、古墳にたどり着く頃には、すっかりへこたれていたわたし。
古墳の石棺方式には大陸の影響が。ここは古代の文化最前線。
内浦と呼ばれる海の美しさ。人気のない静かな森。そこでイカづくしのおいしいお昼を食べ…,ひょっこり温泉は諦めて、和倉温泉に戻り、足湯公園に。ちゃんちゃん。ここは海を見ながら無料で足湯が楽しめる。
再び和倉温泉駅。ところが、ここでも問題が。なんと!穴水駅の発着は2番線。そして駅にはエスカレーターもエレベーターもない。すなわちチャリを運ぶのは人力しかない!
やるか、と森と二人で見交わす目と目。けれどここで救い主様1、登場。森のチャリを運ぶのを手伝ってくれる。こういう出会い、うれしい。
チャリは車内に。けれど「の鉄」は決して広くはない。そして意外と揺れる。疲れていたけど、チャリを支えなきゃ行けないから座るのは無理かなあと思っていたら、救い主様2「の鉄」の運転手さん,登場。
「結んでおけば大丈夫ですよ」と二台のチャリを荷物止めのゴム紐で連結。さらにもう一本のゴム紐でドアポールに連結し、ゆっくり座って旅を楽しむことに。穴水駅に着いたチャリたちは、私たちの手を離れ、そのまま七尾駅へ。
どうもお世話になりました。
でもさ、「列車にそのまま持ち込みOK」とするなら、発着ホームのことも考えてよ!「の鉄」さん。
その後、さらに移動を続け、バスで「のと里山空港」へ。ようやく妹に会えたのは17時発羽田行きの離陸を見る頃だった。(続く)
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ジャッジなき世界へ
色と色を取り合わせると「絵画」ができる。言葉と言葉を取り合わせると「物語」ができる。では、人と人を取り合わせると何ができるだろうか。
「らいふ・イズ・あーと」連続講座 全六回が昨日完結した。それぞれのプロセスはもちろんユニークだが、グループ内のメンバーの組み合わせが毎回たまらない。
前記の問いの答えがここにある。
人と人を取り合わせると「人生」ができる。
「Aさんの言動にはジャッジがない」とBさんが言った。
Bさんは「問題を解決したり」「目標を設定したり」することで人生を歩んできた人だ。パワフルで、美しい女性だと思う。彼女は自分の歩んできた人生は直線だったと言った。そのBさんが、Aさんのパフォーマンスに涙した。
Aさんの世界はアートの世界だ。ジャッジのない世界。あれがよくて、これがダメ、でない世界。「あること」を尊ぶ世界。彼女の到達したドローイングは、クレーの絵のようだ。
Aさんもかっては閉ざされた世界にいた。ある日、その世界から飛び降りるまで。Aさんは今も何かを探している。
この二人の取り合わせは、私に色々なことを考えさせてくれた。
「アート」とは何か。
私が求めている「らいふ・イズ・あーと」の世界とは何か。
それは…
すべてに意味がある世界。無駄なもの、無用のものがない世界。偶然はスピリットのやさしい息で、しまった、と思うことが転じてギフトになる世界。正解のない世界。敵も見方もない世界。過去と未来が手を取り合う世界。見えないものが尊ばれる世界。
書かれたものは、描かれたものは、撮られたものは
「記憶装置です」と私は言った。
思いがあり、伝えたいものがあり、それを永遠に閉じ込めたくて、人は作品を作る。時を越えて、誰かに届くように。
2001年に出版された拙著「魂にささげるダンス」は、出版後10年を超えたあたりから、様々な人の縁を私に運んでくるようになった。時間を越え、距離を超えて。
だからやっぱり、あきらめるわけにはいかないのだ。
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いのちをつむぐ日々 1
この記事はFBに載せた文章を加筆・訂正したものです。どうしてこんな載せ方をするかについては、ひとつ前の記事「のろのろ」をご参照ください。
5月12日(月)
ちくちく槻の屋、始まりました。昨年受講した方や飛び込みさんも来て、ワイワイがやがや。おなかポンポコリンのかわいい1,2歳児が歩き回る中、みなさん布を裁ち終えました。
それぞれのペースで集まるのんびり開催。頭でする自己紹介ではなくて、子宮で「感じあい」「聴きあって」からの「お隣紹介」。
裁ちばさみを動かしながらのお喋りは、玉手箱みたい。月経や布ナプキンの話しはもちろんですが、
「どこからがセックスか」
「日本の男の(女性の)好み」
「もてるためにした努力」、
はてはエロビデオの質の移りかわりからBLの話まで。時にはハッとし、時には爆笑しながら時間はあっという間に過ぎていきました。
個人的にヒットの話題はタンポンの入れ方の個人差、かな。
(タンポン使用を勧めているわけではありません)
次回は「ちくちく」しながら、さらなる深みへと…。
みんなの意見が一致したのが、「中学時代や高校時代にこういう体験があったらいいねえ」。
中学生だともう時間がないかもしれないから、小学校高学年の「親子でちくちく槻の屋」やりますか?
6月2日(月)
ちくちく槻の屋、2回目無事開催したよ!
何だか、今年のみんなは手が早いな~。ほぼ完成の人もちらほら…。
ええ! 私はまだよ~という、小さい人連れのお母さんも心配しないで。終った人から手が伸びて、ちくちくタイムはいつまでも続くのでした。
今回はお産の話でもしようかと思っていたら、別の話がしたくなっちゃった。
自分のルーツの話し。前世もいいし、スピリチャルもいいけど、自分のこの身体がどこから生まれてきたのか、もう一度確認してみることはとても大切という話し。それも親だけじゃなくて、あのおじさんとかこのおばさんとか、おじいちゃんとかひいばあちゃんとか、自分の肉体と精神のかけらがどこから繋がってきたのか、しみじみ考えてみる。
そこで飛びだしてきた、おじちゃんの顔の話し、お父さんと自分の共通点の話、色々素敵でした。
更には、ここでしか聞けない「二人目の作り方」やら、「生み出す」だけではない女性の「死と関わる」「看取る」力とか、パートナーにいちばんわかって欲しいことの話しとか、みんなの人生のおすそ分け、ばっちりいただきました。
そして、今回はじゅんちゃんのベジスィーツの販売もあり、おなかも心もいっぱいになりました。
次回は6月23日(月)、「染め」をしながらこんどは何をしようかな?
*ちくちく槻の屋は全3回の連続ワークです。単発での参加は原則としてお断りしています。ご希望の方は、自分のうちで、あるいはご近所でお友だちと一緒に企画してみませんか。
ここまでがFBの記事。
6月23日(月)の染めは書き損ねました。
その代わり全体の感想を書きます。
「ちくちく槻の屋」はどこでやるか、がとても大切だと思います。今回開催したのは、Hさん宅。日々の暮らしを大切にする、居心地のいいおうちなのですが、それが、ここで開催してよかった理由のすべてではありません。
Hさんは、ちょっとしたことから骨折しました。治療に専念する日々は、活動的だった彼女にとっては、生活の見直しをするチャンスとなりました。
そして、身体もほぼ元に戻りつつあった頃、彼女は自宅で槻の屋を開らくことを決めました。彼女にとって「ちく槻」の自宅開催はふたたび活動を始めるキッカケ(のひとつ?)になったのです。
思えば昨年の「あかねのいえ」も、自宅開放を始めてしばらくでの開催でした。
「ちく槻」を開くことによって、その家にたくさんの人が出入りし、出会いがあり、お互いにその先をめざしていけるのなら、こんなに嬉しいことはありません。
今年は「ちく槻」を経て、最後の最後に思いきって連続ワークに飛び込んだ方もいました。その人のその後の道筋については、また別に触れますね。
そうやっぱり、ここまで書いて初めて「ちく槻」が終ったような気がします。
さて、次の槻が昇るのはどちらになるでしょうか?
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のろのろ
サボるときは、ビッグにサボる。
いやあ、1月からブログ書いてなかったなあ~、のこっしぃです(今9月)。
理由はいくつかあるかも。
メモがわりに並べてみると…
・Yahooメーリング終了にともなう移行と役員の引き継ぎ(死んだ…)
・ちくちく槻の屋(楽しかった!)
・プラネタリーダンス!!!(最高…でも死んだ…)
・夏が来た!(理由じゃないだろ!)
けれど、おおきな理由がFacebook。
気軽に投稿できるから、写真を載せるのも簡単だから、ついついFacebookばっかり使って、ブログがおろそかになった。
で、この空白…。
反省中、というか寂しい~。
出会い系ばっかりで、普通の恋愛ができなくなった気分。
なので、ゆっくり戻します。
「槻の屋」の記事とか、プラネタリーダンスに至るまでの流れとその報告とか、書き落としたことはたくさんある。
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ピリオド
123の日に、12年間かかえていたものを放った。
3ヶ月ほど、パソコンに向かってばかりいた。身体の声をなだめ、すかし、ひとつのことだけを追いかけていた。いや正確に言えば、最後の山道をたどっていたというところ。積み上げてきたものに磨きをかけ、シワを伸ばし、隙間を埋め…。
4ヶ月間、ブログに目もくれなかった。忘年会も行かなかった。片付けないまま、新年を迎えてしまったものは山ほどある。
12年前、まだ下の子は生まれていなかった。息子よりも古い、「それ」を形にするのに12年かかった。生まれた、とは言えない。とりあえず放った、としかいいようがない。それでも…。
たくさんの人に助けてもらった。ひとつひとつは小さなかけらだが、降り積もる恩は数え切れない。助けてもらった、と口に出してはいけない人もいる。そういえば、滞米生活の時もそういう人がいた。いいことをしてもらったのに、人には言っちゃいけないって不条理だけど、人生にはそういうこともある。見えるものばかりじゃないのさ、人生は。
肩が軽い。その軽さに身体が馴染めず、わずかに変調をきたした。こっちの方を向けよって。はいはい、今日からうんと可愛がってあげるからね。そう、身体はもう春をかぎつけている。
ピリオド(句点)を打っただけだ。まだ文章は終わりではない。それでも新しい季節が始まるのはやはりうれしい。
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